105.神との邂逅(1)
お母様も部屋にやって来て、私の右目を確認していた。
その口から、深いため息が出る。
「間違いなく、精霊眼ね」
私はお母様を見上げて告げる。
「お母様と、同じ目になってしまったのでしょうか?」
「そういうことになるわね」
お母様の左目も、色こそ違うけど『精霊眼』というらしい。
宝石そのものの輝きをした、赤い瞳だ。
お母様が私を見る微笑みは、なぜか弱々しいものだった。
「とにかく、まだもう少し寝ていなさい」
と言って立ち上がり、部屋から出て行った。
部屋に残された私は、改めて手鏡を覗き込んでいた。
――自慢の外見に、異物が混じった感覚。
お母様も、こんな感じだったのかな。
精霊眼は目を引く。そしてとても異質だ。
この感情がまるで読み取れない瞳を、すぐに受け入れるのは難しいように思えた。
手鏡をサイドテーブルに置いて、ため息をつく。
三等級の魔力に加えて、外見すらハンデ付きか。
まともなお嫁の貰い手、見つかるかな。
私は肩を落として、途方に暮れていた。
お母様とお父様は恋愛結婚だ。
学生時代はモテていたとも聞く。
まったく見つからない、ということはないはずだ。
だけどそれは、『お母様の人間性』という前提があってこそだと思う。
今でも多くの人から慕われるお母様と、同じだけの魅力なんて私にはない。
私にも同じように相手が見つかるのか、それはまだわからなかった。
私はベッドに身を放り出し、どさりと後ろに倒れ込んだ。
こういう時は……やっぱり寝逃げよね。
私は早々に意識を手放した。
****
次に私が目覚めると、部屋にお昼の日差しが差し込んでいた。
時計は二時前を指している。
どうやら、かなりぐっすりと眠れたらしい。
私はベッドサイドのハンドベルを鳴らし、サブリナを呼んだ。
すぐにサブリナが姿を現し、私に告げる。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「お母様は書斎にいらっしゃるの?」
「はい、そのように伺っております」
私はベッドから降りながら告げる。
「下に降りますわ。着替えたいの、手伝って頂戴」
着替え終わった私は、サブリナを従えてお母様の書斎に向かった。
扉は閉まっていて、ノックをすると中から返事があった。
そのまま扉を開け、中に歩を進める。
「お母様、お聞きしたいことがあります」
明るい笑顔でお母様が応える。
「丁度いいところに来たわ。
伝えておきたいことがあるの」
ソファに座るように促され、お母様の正面の席に腰を下ろす。
お母様が告げる。
「ウルリケ、人払いを」
「かしこまりました、奥様」
お母様付きの侍女ウルリケが、他の従者やサブリナと共に部屋から出て、扉を閉めた。
なんで人払いをするんだろう?
私が小首をかしげる中、室内には私とお母様だけになった。
私が先に尋ねる。
「伝えたいこととは、いったいなんでしょうか」
お母様がニコリと微笑んで応える。
「あなたには、神様に会ってもらいます」
……はい?
私はおずおずとお母様に応える。
「あの、お母様? もう一度お願いします。
少し耳がおかしいみたいで」
お母様はゆっくりと、噛み砕くように言い直す。
「あなたには豊穣の神に在ってもらう、と言ったのよ」
お母様、いつの間にか怪しい宗教に手を染めてしまったのかしら……。
私はしばらく呆然としていたけど、すぐにお母様の説得を試みる。
「お母様、お気を確かにお持ちください。
そのような神の名前は、聞いたことがありません。
なにより『神に会う』など、荒唐無稽すぎます」
お母様の笑みが、苦笑いに変わった。
「会えばわかるわ」
そう言って、懐から一枚の葉っぱを取り出し、テーブルの上に置いた。
「これはあなたのための『導』よ。
大切に持っていて」
私はテーブルの上から青々とした葉っぱを拾い上げ、じっと眺めた。
これはトネリコの葉、かな。
お母様が私に告げる。
「それを半分に裂いて、片方をテーブルの上に置いて」
私は戸惑いながらも、言われた通りに葉っぱを二つに裂いた。
そして片方をテーブルの上に置く。
残りは私の右手の中にある。
「これでいいですか?」
お母様は笑顔でうなずいた。
「ええ、いいわ。
最後に私の手を握って、目をつぶって頂戴」
そう言って、私に手を差し伸べてきた。
――いよいよ怪しい宗教の匂いが立ち込めてきた気がする。
お母様、どうしてしまったの?
だけど母親の命令だ。
貴族令嬢は、両親の言葉に逆らってはいけない。
私は言われた通り、左手でお母様の手を握り、目をつぶった。
次の瞬間、ソファの感触がお尻の下から消えていた。
私たちは、盛大にお尻を地面に打ち付けていた。
「痛っ! ――え?! ここ、どこ?!」
辺りは真っ暗で、遠くからちゃぷちゃぷという水音が聞こえる。
こんな場所、私は来たことがない。
少なくとも屋敷の中に、こんな場所はない。
お母様が恥ずかしそうに告げる。
「椅子に座って移動すると、こうなるのね。
初めて知ったわ」
軽やかな男性の笑い声が辺りに響いた。
「ハハハ! ヒルデガルトはドジだな!
次からは、きちんと立って移動してくるといい」
そちらに振り向くと、長い金髪を身にまとった、背の高い青年が近づいてくるところだった。
その男性が差し出してくれた手を取り、私たちは立ち上がった。
お母様は「そうするわ」と、バツが悪そうに告げた。
私は男性にお礼を告げる。
「ありがとうございます」
「いや、大したことないよ。マリオン」
あれ? 私、名乗ってないよね?
私はお母様に振り向いて尋ねる。
「お知合いですか?」
お母様は微笑んでうなずいた。
「ええ、そうよ。
彼が『豊穣の神』、つまり神様なの」
****
お母様は私の手を引き、男性と一緒に近くの洋館に移動した。
中に入ると応接室に通され、指示されるままに私はソファに腰を下ろした。
向かいの席に座った男性を、私はまじまじと観察した。
この人が神様、ねぇ……。
人間離れした美貌は男性的だけど、美しさの塊だった。
どこを取っても美しい人だ。
だけど服装はとてもラフで、まるで平民が休日に着るようなもの。
でも髪の毛は透き通った柔らかい黄金のようだった。
さっき聞いた笑い声も、惚れ惚れするくらいの美声だ。
その存在が眩しすぎて、まるで男性が発光しているような錯覚さえ覚えた。
……『まるで』? いや、この人、実際にうっすら光ってないか?
見つめれば見つめるほど、体全体が光っているように感じた。
次第に、男性から強い魔力の波動を感じ始めた。
それはまるで、真夏の太陽のような力強さ。
燃え盛る力強い波動だ。
その体の輝きと感じる魔力が、どんどん強まっていく。
遂には右目を開けていられないほど、男性は眩く輝く光の塊に見えていた。
まさに、太陽を見たかのように。
その魔力はとっても重厚で濃密だ。
その魔力に『押しつぶされるんじゃないか』って思うほど。
なんて圧力なんだろう。この人はいったい、何者なの?
『右目』を開けていられない――あれ? 『左目は』眩しくないぞ?
混乱する私に、さっきから黙って私を見つめていた男性が告げる。
「眩しい物を見る時のように、目の感度を下げるんだ。
ゆっくり、慣らしながら目を開けてごらん」
私は言われた通り、ゆっくりと右目を開けていく。
とっても眩しいけど、なんとか右目を半分だけ開けることができた。
男性が再び告げる。
「上出来だ。そう、その調子でいい。
慣れてくれば、それを瞬時にできるようになる。
ヒルデガルトのようにね」
お母様を見ると、私と同じようにしていた。
左目が眩しい物を見る時のように、やや細められている。
「お母様、この神様とかいう人、とっても眩しいんですけど。
神様なら眩しくないよう、お願いしてください」
男性から軽やかな笑い声が上がった。
「ハハハ! すまない!
これでも精一杯、力を抑えているんだ。
これ以上は、私にも抑えられない」
私は男性に振り向いて尋ねる。
「……もし全く力を抑えなかったら、どうなるんですか?」
「そうだね、目の前に居る君たちは、とっくに蒸発して消えてしまっていただろうね」
なにそれこわい。
お母様は黙って男性を見つめていた。
男性は楽しそうに、私を見つめて居る。
そして、二人が会話をする様子がない。
――どうしろっていうの?!




