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開けるな

がたん


 またやってしまった。


 妻と死別してもう半年になる。

 残った思い出に耐えかね売り払ってしまった家を出て、祖母が住んでいた家に越してきて二月になるというのに、未だに戸を閉める時の加減を間違えてしまうことがある。

 恐らくは祖母の手作りであろう鴨居に取り付けられた木切れに目をやるが、どうやら外れてはいないようでホッと息をつく。いっそ、ちゃんとしたストッパーを買いに行くべきだろうか?資材はいくらでもあるし、自分で切り出してもいい。日がな一日彼女を想って引き籠もっているより、DIYにでも勤しむほうがいくらか健全だろう。


 家を出て庭にある倉庫に向かう途中振り返ってみると、3cmほどの隙間達と目が合う。我が家ながら防犯意識の欠片も無いやつだ。最も、泥棒が入ったという話は聞いたことがないので杞憂に過ぎないのだろうが。

 経年劣化に苦しむ戸を開けて倉庫に入ると、巻き尺やノギス、接着剤やマスキングテープ、塗料やブラシなど必要そうなものを持って外に出る。

 申し訳程度に垂れ下がる風よけの暖簾も変えてしまおうか。いや、いっそ倉庫は戸を外して暖簾だけにしてしまおうか。暖簾、家の中にも付けるか?夏は虫、冬は寒さと戦わねばならないのだから、それらのことも考えておかねばならない。


 これからのことを考えていると、いくらか気が楽になって微笑んでいる自分に気付く。彼女も私が棚やちょっとしたものを作っているのを見ると、横から覗き込んでニヤニヤしていたものだ。以前であれば彼女を想い滂沱の涙を流していたところだが、今は逆に心が暖かくなっている。これは引っ越しのせいか、この家のおかげか、あるいは心の持ちようなのだろうか。


 ネットで衝撃吸収材を注文し、受け取り場所を車で30分のコンビニに指定すると改めて家の中を見て回る。

 築70年は経っている筈が手入れがよくされていたのか、不思議と傷んでいる箇所は少ない。踏めば鳴る廊下や言うことを聞かない戸はあれど、穴が開いている。朽ちている。使い物にならない。といった部分は無く、ただ古いだけの家といった様相だ。

 そういえば、祖母には建築関係の知り合いが居たと誰かに聞いたことがある。父が葬儀で名刺を貰っていた筈だ、今後頼ることもあるかもしれないので、後で探しておこう。

 最後に残した一階の物置の確認を終えると、ふと先ほど見た押し入れに目がとまる。


 そういえば、屋根裏は見ていなかった。確かこの家は元々1階建てで、祖母に子供が生まれた時に増築して2階建てにしたのだったか。

 押し入れの戸を大きく開け、天井板を押すとばきんという音と共に押し上がり、むっとするような雨上がりの匂い、かすかに黴の匂いが充満してくる。まだ昼前だというのに隙間は漆黒の闇を湛えており、どうやらあまり外からの光が入っていないようだ。


 懐中電灯とマスクを持って上がり、辺りを照らした先に見えたのは梁や桁、垂木ではなく何の飾り気もないベニヤ板の壁と、その天井から垂れ下がる一つの豆球だけだった。

 予想だにしない光景にマスクの下でぽかんと口を開けていると、懐中電灯に照らされていない暗闇で何かが動いたような気がした。

 そちらに懐中電灯を向けると、今度は元照らしていた場所が。動かせば、また別の場所が。

 ネズミでも居るのだろうか?なにぶん古い家だ、このスペースがいつ作られたのかは知らないが、どこかに穴でも開いているのだろう。


 ……穴?


 その事実に気付いた瞬間、血の気が引く音が聞こえたかのようだった。

 吹き出した冷や汗でシャツがべったりと張り付き、心臓はまるで体の中から逃げ出そうとしているかのように早鐘を打つ。認めたくないと思考を拒否する脳とは裏腹に、体は危機に直面したかのように迅速に反応する。


どこだ、あるはずだ、必ず

 

 震える手で必死に懐中電灯を振ってスペースの隅々まで照らしていくが、穴や隙間はどこにもない。


そんなはずはない、どこかにあるはずだ


 縋るような気持ちで何度確認してみても、その事実は変わらない。

 その部屋は、閉まっていたのだ。





 眠れぬ夜を過ごした後、起きることが出来ずに布団の中で震えていると家のチャイムが鳴った。飛び起きると身支度もせず玄関に向かい、隙間に手を伸ばして祈るように戸を開ける。

 そこには癖っ毛を放置したかのような長髪の、ひどく痩せっぽちな男が立っていた。


なにか困ったことがあれば、いつでも相談しなさい。僕達は家族だろう?


 お義父さん……では、もう無いのか。彼女のお父さんが言っていた言葉に甘え、簡単な説明と共に連絡すると少し待って欲しい、こちらからかけ直すと返事があった。

 まるで永遠にも感じられる数分間に耐えていると、待ちわびた音に身を起こし、受話器を取る。


 「心得た人物に心当たりがあったから、連絡をしてみたよ。できるだけ早く対応してくれるそうだが、いくらなんでも今日中には無理だということだ。明日の午前中には到着するそうだから、それまでは何もせず、普段通り過ごしていればいいそうだよ。そうそう、彼の名前は――」


 久しぶりに聞いた優しい声に多少平静を取り戻せたが、流石に暗くなってしまうと無理があったのだろう。連絡を貰ったKですと名乗る彼を眠い目を擦りながら客間にあげようと……危ない、忘れるところだった。


「そうだ、玄関や家の中の戸など、一切の入口は完全に閉めないで貰えますか?一応、閉まらないようにはなっていますが」

「閉めない?」

「はい。遺言なんです、祖母の」

「分かりました。お祖母様は理由を教えてくれましたか?」

「いえ……ここに越してきたのは最近ですが、祖母は随分と前に亡くなったので……」

「そうですか、分かりました。……お宅に仏壇はありますか?」

「え?はい」

「ではまず、お線香をあげさせて下さい」


 そういう彼を仏間に案内すると、彼は恭しい所作でお線香をあげてくれた。私より若いだろうに、立派なものだ。だがこうして他人がしているのを見ると、結構嬉しいものなのだとこの時初めて気付く。前の家には、仏壇など無かったから。


 黙祷を終えた彼は立ち上がると、早速件の屋根裏を見せてくれという。正直もう近寄りたくはないのだが、そうも言ってられまい。それにこのKと名乗る男。見てくれは頼りないが、あのお義父さんが寄越したのだから信用は出来るのだろう。


「ここです、その押し入れの上から上がれます」

「ふむ……?すいません、言葉を翻すようですが、まずはお話を聞かせて下さい。緊急性はなさそうですから」


 押し入れの上に佇む闇を一瞥すると、彼はそう言った。客間へ案内し、彼女が好きだったお茶を淹れてお出しする。


「ありがとうございます……なんと。美味しいお茶ですね、何か格別のこだわりでも?」

「いえ、私は……亡くなった妻が好きだったもので、その余り物です。飲むと彼女を思い出してしまって、どうしても……もしよろしければ、帰りにお持ち下さい」

「そうですか……であれば、仏壇に供えてみては如何でしょう?」

「仏壇に?」

「えぇ。毎日でなくても構いませんし、形として仏壇に上げなければいけないわけでもありません。大切なのは亡くなった人と共に頂こうという心です。仏壇のある部屋で、このお茶を奥様を偲びながら飲む、それだけでもお供えすることになるのですよ」

「成程……そうですね、そうしてみます」

「さて、それではまずお困りだということについて説明して頂けますか?簡単にしか聞いていないものですから」


 改めて聞かれると、どう説明したものだろうか。以前霊感があるという知人にこの話をした時は一笑に付されてしまったが……いや、彼はそんな人間ではないだろう。一から、説明しなくては。




 子供の頃、私はこの祖母の家が苦手だった。

 古い家だから、ということもあったが、ここに来る度に祖母が口うるさく勉強だの将来だの、子供心には鬱陶しいとしか思えないことを言ってくるからだ。極めつけは


閉めちゃいけないよ。決して、閉めてはいけないからね。


 子供だったからだろうか。特に私には口酸っぱく、来る度に最低でも3回は言うのだ。何が閉めるなだ、意味がわからない。

 反抗期だったのだろうか、いつかトイレのドアに取り付けられていたストッパーを無理やり外そうとしたことがある。その時は祖母に見つかり雷を落とされたものだ。ソレ以来、祖母の家ではどこに行くにも祖母がついてくるようになり、益々私はこの家が嫌いになった。


 だがそんな祖母も寄る年波には勝てず、いつからか殆どを寝たきりで過ごすようになったらしい。

 この頃になると、私もやるなと言われていることをあえてやるようなバカではなくなっており、年々弱っていく祖母に対して枕元に座って話をすることしか出来ない自分に歯がゆさを覚えてすらいた。


 そんなある年、お盆だっただろうか?いつものように両親に連れられ祖母の家を訪ねた。

 チャイムを鳴らし、父が家の横に回って寝室で寝ているであろう祖母に声を掛け、返事を貰うと玄関へ戻って鍵を開ける。

 三和土で靴を脱いでいると、ふと微かな違和感を覚えた。なんだろう?家の中を見渡してみるが、特に変わった様子はない。

 何してるの。と母に声をかけられ、慌てて後に続く。


 居間に荷物を下ろし祖母の寝室へ向かっている途中、はたと違和感の正体に気付く。

 祖母の寝室と居間は玄関から入った廊下の右側に並んでおり、その両者の丁度中央に位置する向かい側に物置として使われている部屋がある。以前秘密基地みたいだと入って遊んでいると、親に見つかって怒られているのを祖母がニコニコしながら見ていた記憶がある。


 その部屋の戸が、完全に閉まっていた。


 近くの廊下には、ストッパーとして使われていたであろう木切れが二つ転がっている。ストッパーが無くなったことに気づかなかった祖母が閉めてしまったのだろうか?

 しかし、よく考えてみれば閉めるなと注意されたことは何度もあったが、閉めるとどうなるのかは具体的に何も聞いていない。自分から聞くことも、無かったような気がする。


 両親と祖母の会話に加わった後も、私の頭はそのことでいっぱいだった。だが、去年より確実にやせ衰えている祖母を見るととてもそんなことを聞く気にはなれず、近況の報告や体を大事にしてねなど、当たり障りのない会話になってしまった。

 その内そろそろ帰ろうということになり、いいよと断っても無理やり体を起こして玄関まで見送りに来た祖母に、両親が車に向かい二人きりになった頃合いを見計らって尋ねてみた。


「ねぇばあちゃん、なんでばあちゃんちの戸は閉めちゃいけないの?」

「うん、それはね、どこ様がーー」

「おーい、行くぞー!」

「はーい!じゃあばあちゃん、また来るよ。元気でね」


 そう言って呼ぶ両親の元へと向かう途中、振り返ると祖母が笑顔で手を振っていた。自分も笑顔で手を振り返す。

 それが、最後に見た祖母の姿だった。



 その1週間後、父から祖母が亡くなったと聞かされた。

 人生で初めての葬儀に戸惑いも強かったが、それ以上に祖母が亡くなったことが悲しかった。昔はあんなに嫌っていたというのに、人間というのは不思議なものだ。

 その葬儀の席、父の後について親戚たちとの話を聞いていた時だった。


「なあ、おふくろさんなんで逝っちまったんだ?病気が進んでも、後10年は大丈夫だって話だったじゃねぇか」

「さぁなぁ……確かに医者はそう言ってたけど、急変とかあったんじゃないか?死亡診断書には心臓突然死ってあったし」

「突然死……心臓発作かねぇ、しかしなんだって物置でなぁ?ばあさんが使うような物は何も置いてなかったんだろ?」

「あぁ、まだ全て見たわけじゃないが、そうだと思う」

「まあ心臓発作なら他殺ってことはないんだろうが……なんにせよ、ご愁傷さま」


 その会話を聞いた瞬間、ごちゃ混ぜになった感情が頭の中を一気に駆け巡った。


 そう言えば、祖母に物置が閉まっていたことを伝えていなかった……まさか、それが原因で?

 しかし、何故?祖母の言っていたどこ様が?

 そうなると、祖母が死んだのは……


 葬儀は滞り無く終わったものの、家に帰った私の心中は後悔で塗りつぶされていた。

 あの時帰り際に一言でいい、物置が閉まってたよと言っていれば、祖母は死ななくて済んだのではないか。もっと足繁く通っていれば、物置のストッパーが外れていたことにもっと早く気付けたのではないか。私が、自分が……


 その夜、泣き疲れて眠っている私の夢に祖母が出てきたような、気がした。

 祖母は、笑っていなかった。




 

 我ながら下手な説明だったが、それでも彼は親身になって聞いてくれた。途中祖母への想いに顔をゆがめると彼自身が体験しているかのように悲しい顔を浮かべ、逆にこちらが冷静になれたほどだ。


「それは、お辛かったでしょうね……」

「いえ……ありがとうございます。それで、どうでしたか?」

「そうですね……辛いお話を続けさせてしまうことになるかもしれませんが、貴方は奥さんを亡くされていますよね、何かお祖母様の件と関係があると思われる点はありませんでしたか?」

「え?……いえ、それは無いと思います。この通り古く、更に閉めるなの曰く付き物件ですから妻を連れてきたことはありませんし、この話をしたこともありません」

「そうですか、では奥様はこの件に関わっていないと見ていいでしょう。不躾な質問、どうかお許しください」

「大丈夫です、最近やっと整理がついてきたところですから」

「お強いですね……では、話を戻しましょうか。貴方が最後にお祖母様を見たのは、帰る貴方をお祖母様が見送りに来たところでしたね?」

「はい。互いに手を振って別れたと思います」

「その時、お祖母様は笑っていた?」

「ええ、もう昔の話ですが、間違いないと思います」

「分かりました。では、その後見たという夢に出てきたお祖母様は如何でしたか?笑っていなかったとおっしゃいましたが、具体的にどういう表情に見えましたか?」

「……笑っては、いませんでした。いませんでしたが……あれは……」



 改めて、過去の追憶に目を向ける。


 ばあちゃん。ばあちゃんは、何で俺の夢に出てきたんだ?俺のせいで死んで恨めしかったのか?それとも……


 脳裏に、優しかった祖母を思い浮かべる。確かに小言が鬱陶しいと感じた時機はあった。だが、今思い返せば愛する孫を想った故の発言だったことは痛いほど分かる。

 徐々に過去の記憶が実像を結び、私は祖母と二人っきりになっていた。


(ばあちゃん……僕だよ)


(ねぇばあちゃん……ばあちゃんが死んだのは、僕のせいなの?)


(教えてよ……あの時、ぼくが、僕がちゃんと教えてさえいれば、ばあちゃんは!)


(……え?)



「……困って、いたんだと思います」

「困っていた?」

「……自分が死んだのはお前のせいじゃない。だけど、自分にはもうそれを伝える手段がない。だから、困って、心配で、悲しかったんだと、思います……」


 いつの間にか、目から涙が溢れていた。

 彼から手渡されたハンカチでそれを拭うと、改めて彼に向き合う。


「ばあちゃんが死んだのは、私のせいじゃない。これは確かだと思います。なら、どうしてばあちゃんは……」

「大丈夫、落ち着いて下さい。一緒に答えを見つけましょう。微力ながらお手伝いさせていただきますから」

「……ありがとう」

「では、改めて屋根裏へ向かいましょう」


 用意しておいた懐中電灯を持って物置へ向かう。既に恐怖はなく、あるのは祖母が死んだ理由を解き明かしたいという一心だった。

 物置に入ると彼は真っ直ぐに屋根裏へ上り、そのまま完全に上りきってしまった。パチンという音と共に暗闇が晴れ、上がってきて下さいと声に私もその後に続く。


 屋根裏を見ると、彼が持ってきたものだろう設置型の照明のおかげで懐中電灯を用いなくともその全容を伺うことが出来た。

 天井と床も含め全ての面が光沢のあるベニヤ板――恐らくニスでも塗ってあるのだろう――で出来ており、天井から下がる豆球には紐が付いていたが、点かなかったと彼は言った。

 そしてやはりというかその部屋には隙間など無く、今自分が上半身を覗かせている押し入れの天井板以外に出入り口は無かった。


「この部屋については何もご存知無かったのですよね?」

「えぇ。連絡することになった件で初めて知りました」

「成程……しかし、綺麗なものですね。古い家の屋根裏というのは普通湿気で何もかもダメになってしまうものなのですが、ここは見事に対策されている。恐らくちゃんとした業者に頼んで作られたのでしょう」

「祖母が作ったのでしょうか?確か建築関係の知り合いが居たと聞いています」

「恐らくそうだと思いますよ。理由までは分かりませんが、物置のスペースを増やそうとされたんでしょうか?」

「うーん、当時でもそこまで物があったワケではありませんから、違うと思いますが……」

「ふむ……しかし、こういったスペースはワクワクしませんか?まるで秘密基地みたいですよね。はは、少し子供っぽすぎますか」

「いやいや、分かりますよ。私もよく……あっ」

「どうされました?」

「いえ、そう言えば子供の頃、下の物置で秘密基地みたいだと遊んでいたのを両親に咎められ、その場を祖母に見られていたことを思い出しまして」

「ほう。ではこの部屋は、お祖母様が貴方に」

「……そうかも知れません。今となっては知る由もありませんが」


 言葉とは裏腹に、自分の中では確信があった。祖母の家に来るといつも所在なさげにムスッとしていた私のために、祖母が秘密基地を作ってくれたのだ。

 しかも床は大人が立って歩いても軋みもしない程丈夫に作られており、壁や床を手で撫でるとしっかりと加工、塗装されているのか木がささくれだっている箇所すらない。天井から下る豆球から伸びる紐は子供でも容易に届くようかなり長めになっているし、よく見れば隅にはコンセントまで付いている。

 どれをとってもここで遊ぶ人間のことが考えられており、祖母の自分を想う気持ちにまたしても目頭が熱くなる。


「今後も本格的に利用できるかは専門家に聞かなければ分かりませんが、これならどんな用途にも利用できそうですね、流石に空調を設置するには高くつきそうですが」

「そうですね、折角祖母が私のために用意してくれた部屋ですし、何かに利用できれば……映写室なんてどうかな、内部屋だから防音性は高そうだし」

「いいですね!照明を消せば真っ暗ですから、調整次第で色々出来そうです」


 そんな話をしながら客間に戻る。彼が来る前は恐怖の対象でしかなかった場所が、こんなにも胸躍る場所になるとは思わなかった。

 だが、一番重要と言ってもいい疑問はまだ晴れていない。お茶を淹れ直すと、そのことについて彼に尋ねた。


「そう言えば、祖母の言っていた戸を閉めるなというのは結局なんだったのでしょう?どこ様というのが関わっているようですが……それに、私のせいでないなら祖母は一体何故……」

「まずお祖母様については、お話にあった突然死ということになるのだと思います。元々お悪かったようですし……」

「やはり、そうですよね。でも、ならどうして普段使っていなかった物置で……」

「恐らくですが、最後にあの秘密基地の入口を開けようとしたのではないでしょうか」

「え?」

「このままではあの部屋は誰にも知られることはない。この家に今後誰が住むことになったとしても、せめてあの子には教えてあげたい。そんな一心で、必死に物置まで……」

「……なるほど。でも、過程はどうあれ見つけることが出来てよかった。あの部屋を今後も使ってあげれば、祖母も喜んでくれるでしょうか」

「勿論です。この家には仏壇もあることですし、何かあればその度にお祖母様に報告してあげればさらにお喜びになりますよ」

「そうですね……妻への報告も兼ねて、今度墓参りにでも行こうと思います」

「素晴らしいお心がけだと思います」

「ありがとうございます……それで、閉めるなの件についてはいかがでしょう?」

「まず、結論から申し上げればこの家はもう戸や玄関をしっかり閉めてしまっても問題はないと思います」

「えっ?」

「お祖母様のおっしゃっていたどこ様とは、恐らく土公神のことを指すのだと思います。土公神とはいわば土の神様で、土に関連する物や場所の間を遊行するとされています。そして土公神はその遊行を妨げられるのを嫌う」

「成程……その神様が移動できるように、戸を閉めるなということですか」

「恐らくは。ただし、もう一つ更に重要な理由があったのだと思います」

「そ、それは?」

「土公神は土の神。基本的には大地から現れるとされていますが、その上に建っている家、言ってしまえば部屋の中にも現れます。そしてその部屋が密室だった場合、土公神は行く宛もなくただそこに留まることになり、大層不機嫌になるでしょうね」

「それで、何か家に災いが……」

「いえ、そういうことにはならないと思います。閉じ込められてしまった土公神も部屋が開く、あるいは時間が経てばもと来た地面へ帰っていくでしょう」

「なら、問題は無いのでは?」

「えぇ。殆どの場合は、です」

「殆どの場合……」

「マズイのは、その土公神が現れた密室に誰かがいる場合です。この場合でも、その人に土公神が悪さをするなんてことはありません。しかし、密室に人間と土公神が一緒に居る状態でその部屋が開いてしまえば別です。

 行く先が出来た土公神は、直ぐにでも部屋を出ていくでしょう。そしてその時、同じ部屋に居た人間がどうなるのか……」

「……どうなるんです?」

「……実際のところ、分かりません」


がたん


 子供の頃見たお笑い番組のようにズッコケてしまった。散々意味深な説明をしておいて、オチがこれとは。



「ははは……分からない、ですか」

「偉そうなことを言っておいて申し訳ありません。ですが私もあまり良くないと聞いたことがあるだけで、実際に遭遇したこともありませんので」

「それはそうですね。ですが、分からないのであれば気をつけるに越したことはないのでは?」

「いえ、大丈夫です。もうこの家、あるいは土地に土公神が現れることはないでしょうから」

「え?そうなんですか?」

「はい。お邪魔する前に近辺も見て回りましたが、特段変わったこともありませんでしたし。ひょっとすると、お祖母様と何か縁があったのかもしれませんよ」

「成程……であれば、通常通り戸締まりをしても問題ないと」

「えぇ。ですが戸締まりをせず何十年も経過しているようなので、一旦閉めると建付けで閉まらない、なんてことも考えられます。まずは専門家を呼んで見てもらうことをオススメしますよ、あの秘密基地の件もありますしね」

「そうですね……そうしてみます。今日は本当にありがとうございました。そういえば失念していましたが、お代はいくらになりますか?」

「いえいえ、お代なんて結構ですよ。私なんて所詮自称専門家ですから」

「しかし、助かったのは事実です。このままお帰ししては……」

「うーん……あ、では先ほどご提案頂いたように、このお茶の茶葉を少し分けて頂けますか?このお茶は本当に……はぁ。美味しいですね」


 そう言って笑う彼に残っていた茶葉を半分包むと、こんなには結構ですと言われてしまった。だが感謝の印です、妻も祖母も喜びますからと無理やりにでも渡すことにした。こうでもしなければ、彼は受け取ってくれなかっただろうから。

 玄関の外まで見送りに行ったが、驚くことに彼は電車でここまで来たのだという。最寄り駅まで徒歩30分はかかるはずだが、車は持っていないのだろうか?彼に最寄り駅まで車で送ると提案したのだが


「普段から運動不足でして、これくらいならいい運動になりますよ」


 とまたしても断られてしまった。

 最後に念の為と連絡先を渡され、笑顔でお辞儀する彼にこちらもお辞儀を返す。

 彼の細い体が丘を越えて見えなくなるまでその背中を見ていると、全く違う状況のはずなのに祖母を最後に見た時のことを思い出した。ばあちゃんも、こんな気持ちだったのかな?


 家に戻り、後ろ手で玄関を3cmほどの隙間ができるように閉める。


 さて、名刺はどこに閉まったかな?


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