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世界の在り方

 派出所というのは彼の知っているそれと違って、どちらかと言うと警察本部のような建物だった。そもそもが自分が最初に保護された番署と呼ばれる場所が、彼の知る派出所に当たるのだから当然と言えば当然の流れではある。

 公的な建物だけあって、夜の暗さで全体像が分かり難い中でもそれが大きな建築物だという事は見て取れた。と言っても彼自身実際に目にした事はないが、都心の高層ビル等と比べればごく普通の大きさで、おそらく5階建て程度だろう。

 こっちの建物は一様に曲面を多用した物が多いようで、この建物もご多分に漏れず入口からして軽く湾曲しているのが目新しいが、だからといって全く違う思考過程で建てられたものでは無く、そこには共通する人類としての建築思想を感じた。

 その扉は、この建物を使用する機関に属する捜査官であると自称する男、墨時の例の手の文様に反応しているようで、それと扉の表のこぶし大の丸い表示が互いに淡く発光するとドアが自動で開いた。

「あのさ、その印みたいなのって要するに認証パスみたいな感じの物なの?」

 虹也は、気になった事はさっさと聞いてしまえとばかりに、隣りに立つ、拳骨二つ分ぐらい背が高い男に尋ねた。

 会話をすると少し見下ろされる形になるのが、彼としては地味にムカついていたが、そんな細かい事で腹を立てていてもしょうがないので我慢をする。

「ほんとに基本的な事から分からんのだな。これは軍の専用術紋だ。普通の術紋は一つに付き一つの作用を持っているが、こいつはスパイラル機構によって一つで複数起動を実用化させてる。一般的に複数起動の術紋は人為的誤作動を起こしやすいから免許制のものが多いが、これはその最たるもので、軍人さんご用達ってやつだな」

 滔々と語られた内容は、それなりに砕いた説明なのだろうが、基礎という一点が抜けている虹也には残念ながらあまり役に立たなかった。

「そもそもその術紋って何?」

「そっからか!」

 墨時は自身の頭を片手でくしゃっと掴むと、参ったという風に息を吐き出した。

「う~んっと、術士が魔気を使って術を行使するってのは分かるか?」

 虹也は無言で頭を横に振る。

「うぬぬ、こうやって魔気が発生するじゃないか?」

 軽く手を振ってみせる彼に虹也は懐疑的な目を向けた。

 彼がそうやって手を動かしても別段何も変化はない。

 墨時はあーとかうーとか、俺は理論は追加学習組とかぼやいていたが、覚悟を決めたのか説明を始めた。

「異なる物同士が接触すると魔気が生まれる。今、俺たちがこうやって動いてる間にも魔気は発生してるし、要するに魔気は動く存在があればそこに必ず発生する訳だが、これは作用エネルギーと言ってそのままだと即、他のなんらかのエネルギーに変化する一過性の現象に過ぎないんだが、方向性を示されればそれに従って変化する特性を持っている。そして、全ての生体はこれを独自に変化還元する独立細胞を細胞核に持っている訳だ」

「ミトコンドリアみたいな?」

 細胞核という部分から虹也が連想した名を挙げると、墨時は首を傾げてしばし考え、「ミト?」と返した。

「ミトコンドリア。確か生物の細胞核に在って酸素を利用してエネルギーを作り出してるもの?かな?」

 彼もまたあまり自信は無かったが、自分の理解の範囲で虹也はそう説明した。

「へえ、確かそんな役目もあった気がするが、そんな名前は聞いた事ないな」

「気がするって……」

「俺、こういう理論とかはどうも苦手で」

 ハハハと笑い、ごまかすように咳をしつつ、墨時は続けた。

「ともかくだな、細胞核にはそのミトなんとかじゃなくって、アルケミーという共生体があって、これが生物の生命活動を支えているらしい。んで、これが魔気を使っているんだそうだ」

 あまりにもざっくりとした説明に、虹也はふうと溜め息を吐いてみせる。

「凄く頼りない解説ありがとう」

「まあそう言うなって、んでだ、中にはこれが現象変換に特化した遺伝子資質を持つ個体がいて、そいつらを魔術士と呼ぶんだが、この現象を個人の資質に頼らずに記述誘導によって使えるようにしたのが術式。それを一歩進めて使い捨てじゃなくしたのが術紋って訳だ」

「現象って具体的にどういう事?」

 今聞いた情報を頭の中で整理しながら、虹也は重ねて聞く。

「それは、っと。後にしようか?準備出来たんでさっさと潜ろう」

 パネルを操作していた手を止めて、墨時はにやりと笑ってみせた。

 派出所の、その術紋とやらで認証するらしい通用口のドアを開け、真直ぐ廊下を抜けた先の部屋にその装置はあった。

 それがゲートだと言われた、床に描かれた掘り込みの図柄は、人が10人は立てそうな大きな円を描いていて、所謂魔方陣なるものを彷彿とさせたが、しかし、それを形作る線は、マンガや怪しげな本等で見かけるそれよりもっと複雑で絵画的な物だった。

 その大きな円の中は、びっしりと細かい線で埋まり、さながら彫り込んだ線のみで絵柄を浮かび上がらせるリトグリフのようですらある。とてもでは無いが、その一つ一つの線を目で辿る事は出来なかった。

 それをどうやってか操作するらしいパネルが傍らにあって、墨時がなにやら弄りながらの会話が、先刻のものだったのだ。

 墨時が作業の完成を告げてすぐに、床の円内の線が複雑に繋がりを持って光の文様を描き出す。

 準備が出来たというのはこの文様が必要な形に完成したという事だろうと虹也は見当を付けた。

 そして、ぼんやりと眺めるその複雑で美しい文様は、そのものではないが、それと相似した物を、彼の無意識の領域から呼び起こす。


 白く細い指が描く見事なまでの真円。

 彼がどれ程頑張っても歪みの無いその線を真似る事は適わなかった。

 尊敬と愛情。この小さな世界が、彼ら二人のみで構成され、完全な物だった時代の記憶。


 そう、それは姉の記憶だ。

 不意打ちのように思い浮かぶそれは、始めから失われてなどいなかったかのように当たり前に思い浮かんで来るが、それと同時に喪失の痛みを予感して、無意識が深くを探らせまいとする。

 おかげで取り戻した記憶はジグソーパズルの断片のようにバラバラで無秩序で纏まりが無い。

「術紋か。魔術とか……俺、ファンタジーは門外漢だぜ」

 現実逃避のような弱音がつい口をつく。彼が作ったクラブには、その名前から、その手の嗜好の人間が勘違いして転がり込んで来てはいたが、彼自身はメルヘンとファンタジーの違いも分からないぐらいそのジャンルには無知だった。

 何しろ一時期評判になった指輪物語やらハリーポッター等も名前はさすがに知っているが、何の話なのかは全く分からないという程度なのだ。

 ましてやそれを現実として目前にする事になろうとは、全く想像だにしないような事態である。

 かといって好きなSFの世界なら放り込まれても平気という訳では無いのだが。

「こんな事になるなら伊東の言ってたRPGなるものをやっておけば良かったかもな」

「おい、何一人でブツブツ言ってんだ?気味悪いよ」

「おっさん……」

「こんなナイスメンをつかまえておっさんとか、無いだろ」

「いや、ナイスとか、自分で言っちゃ駄目だと思うんだ、俺」

「うるさいな、お前だって到底氏族の若様の言葉遣いじゃないぞ。ほら行くぞ」

「だからそんなんじゃないから。で、どうすれば良いんだ?これ」

 言い合いながら、墨時の側に近付いた虹也だったが、そこからどうすれば良いかが分からない。なんとなく足下の光の線を踏み消してしまったらいけないんじゃないか?と思ってしまい。自然とおっかなびっくりな足取りになってしまった。

 笑いを堪えている年長者には一言言いたい気分だったが、勝手の分からない事柄はやはり聞くしかない。

「接続確認とセイフティに約10秒、用意が出来たら腕でもひと振りすれば発動する」

「腕を振る?」

 この場合、目視の合図は確認する相手がいないから意味が無いだろうと虹也は首を傾げるが、墨時はその意味を説明した。

「魔気を発生させるのさ」

 なるほど、先ほどの説明からすれば、密閉空間では意図的に何かを動かさなければ魔気は発生しない。もちろん彼らが動いて喋っているのだから、ある程度の魔気は発生しているのだろうが、その程度では動かないのだろう。大きなアクションが必要分の魔気を発生させて、この術紋を稼動させるという仕組みだと思われた。

 理屈が分かって、虹也は頷く。

「んじゃ、納得した所で行くぞ」

 宣言通り腕を大きく、頭上から腰の下迄振り下ろすと、可聴ぎりぎりの細く高い笛のような音が響き、まるで風景が塗り替えられたかのように変わった。

(この感じ)

 その唐突さには覚えがある。あの、庭先から違う景色に放り出された時と同じだ。先ほどのような音は耳にした覚えはないが、今のは機械の音なのかもしれない。

 やはりあの移動はこの魔術とやらが関わっている可能性が大きい。虹也はそう思った。

「よし、後は車でも拾って帰るか」

 着いたのは、虹也にはどこだか分からない建物の中だが、墨時には当然ながら馴染んだ場所らしく、のびのびと体を伸ばして軽くほぐしたりしている。

 足下の光の線は名残のように淡く光って消え、後には前の場所と同じ、絵画的な線に埋め尽くされた、床に掘り込まれた円だけが残った。

「ちょっと聞きたいんだけど」

「なんだ?」

「俺を迎えに来たのって仕事だよね」

「そうだな」

「報告とかは良いの?」

 彼のまっとうな問いに、墨時はくるりと体ごと振り向いた。

「良いか、俺はもうこれっぽっちも仕事の気分じゃないんだ。やることはやった。それで今日はお終い」

 ニヤリと見せた獰猛な笑みに、虹也は肩を竦めた。

 どうせ困るのは彼では無い。事情も分からないのだ。どうにでも好きにすれば良いと了解した。彼自身も疲れていて、休めるものならもう休みたい気分だった事もある。

 流しの車、虹也の感覚ではタクシーのようなものは、文字が次々と浮かぶネオンのような飾りを車体に施していて、いかにも客商売だと分かりやすかった。

 車は彼の知るものと大きくは変わらないが、排気筒が無い所を見ると、ガソリン車では無さそうだ。

 形は全体的に前が低く後部の車高が高い。

 何かに似ていると考えて、思い至る。

 馬車に似ているのだ。あとカタツムリ。

 カタツムリはともかくとして、馬の居ない馬車という感覚は車の原点でもあるし、感覚的には理解出来るものがある。

 彼の知っている車は空気抵抗とかを考慮してどんどん流線型に近く変化していったが、車の形にも流行りがあるし、ゲートがあるこの世界では車のスピードを競う理由が無い可能性もあった。

 色々と比べてしまっているその彼の横で、彼の保護者というか連れは、怠惰な動作で「流し」の車に手を挙げてみせ、それを停めた。

(停め方もほとんど同じなんだな)

「よお、公民宿舎まで頼むよ」

「はいよ、お役人さんも遅くまで大変だね。弟さん?……な訳ないか」

「そうそう、詳しくは聞くなよ」

「承知してまさ、俺はこれでも代々運びの仕事でね」

「どおりで、深夜に同族とは今時珍しいもんな」

「そうよ、旦那。昨今は夜行の連中に夜は飛ばされまくってまさ」

「しょうがないさ。うちもめっきり夜間は夜行族が出ばってるし、適材適所ってね。他種族との関係は良好な方が軍として有り難い。外戦(そといくさ)とかやりたくないもんな。治安を預かってる方が民にもウケが良いし」

「平和主義の軍人さんですか?そりゃあ良いや」

 世間話が世界の違いを主張している。

 なるほど、警察組織は軍の中にあるんだなと虹也は知識を拾った。

 だからと言って軍国主義風でもないようだし、平和な時代だった彼の元いた世界に近い空気をこの世界にも感じる。

「着きやしたよ、旦那」

「ありがとう」

 墨時がそう言って差し出したのはどう見てもカードだった。

 運転手はそれを受け取ると同じサイズのパネルに当てて直ぐに戻す。

(カード決済か、ファンタジー感溢れる世界なのに、ちょっとうちより進んでるんだな)

 虹也は変な所に感心してしまった。

 車が停められた場所は公民宿舎という話だったが、一見、高層マンションのような建物だ。流石にそれなりに時代は経てそうだが、元の場所で目にしたとしてもおかしくは思わないたたずまいに見える。

「さて、官舎は安全性の確保の為に本来は出入りが面倒なんだが、取り敢えず今夜は同伴だし、説明は後にするけど俺から離れるなよ」

 離れると不審者として攻撃でもされるのだろうか?

 少し興味があったが、虹也は大人しく従った。なにしろ保護されている立場なのである。いくらぞんざいに振る舞ったとしても、あまりにも厄介を掛けるのは本意では無かった。

 エレベーターは殆ど彼の知識にある物と変わらなかった。

 やはり他の全てと同じく曲面で出来ているが、展望エレベーターにはそういう物があるのを見掛けるし、珍しいとも言えないだろう。

 ここに来て、虹也は段々自分が単に夜道で迷子になっただけのような錯覚に陥りそうになった。

 が、

「ただいま」

「おかえりなさい、お仕事お疲れ様」

 特徴的な少し鼻に掛かったハスキーな声。

(奥さんか、色っぽい声だな)

 家庭的な匂いを感じると、途端にお邪魔してしまうのが申し訳なく思ってしまうが、このガサツな男の伴侶に興味がない訳でもない。

 既に説明を入れているはずだが声に咎める響きは無かったし、見知らぬ他人を連れて戻るぐらいはなんでもないような懐の大きな女性なのだろうか?或いは慣れっこだとか?

「すいません、ごやっかいになります」

 虹也は頭を下げ、そのまま相手を確認する為に顔を上げる。

「ご丁寧にどうも」

 彼の目が受け取った情報は、しばし彼をフリーズさせた。

 目前で微笑んでいるのであろうその女性は、ふんわりとした毛皮をした二本足で立つ犬のように見えたのである。

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