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「この世界をゆっくりと滅ぼす?」

 虹也は反芻するように呟いた。

「難しい事ではありません。貴方はただ絶望を歌えば良いだけ。心持つ全ての存在にその絶望は染み通り、ゆっくりと命は滅びへと向かうでしょう」

 感情の伺えない言葉。

 その言葉を受けて虹也は考えた。

 いつか出会うであろう二つの世界の事。

 そこに起こるであろう衝突をの事を。

 そしてまた、考えてみる。

 滅びの歌に侵されて重苦しく滅んで行く世界の事。

 その中で生き足掻く、墨時や銀穂や誠志や青華、沙輝や輝李香達、こちらで知り合った人々の事を。

「無理だ。俺にはそんな事出来ない」

 虹也はいつの間にか身を震わせていた。

 その想像があまりにも気持ち悪かったからだ。

 一人の意思が世界を滅ぼすなど、どう考えてもあって良いはずがない。

 だが一方で、虹也はぼんやりとだが、自分にそれが出来る事を知っていた。

 その恐ろしさ、気持ち悪さは、それを提案した目前の女性に思わず憎しみを抱いてしまう程に強烈だった。

 虹也のその拒絶の睨みを受けて、彼女は表情一つ変えずに頷く。

「そう。そんな事は出来はしない。それが出来るなら、貴方はきっとここへは辿り着けずに消え去っていたはずです。聞いたのでしょう?世界の中で貴方を呼ぶ声を。だから貴方は貴方のまま此処まで来れた。……でも、私は、あちらから戻った直後はそれが分かりませんでした。おじいさまとおばあさまの為なら、こちらの世界を滅ぼしても良いと思い詰めもした。でも、貴方がそう悟ったように、人はなかなかに孤独にはなれないものなのです。知らずに繋いだ誰かの手を、いつのまにか大切に思ってしまっている」

 虹也は押し黙った。

 世界の中に残された、歌という形の一人の女性の想い。

 その化身である彼女が語る言葉を、おそらく虹也は誰よりも理解出来る。

 そう、虹也にとって、既にこの世界はもう一つの故郷でもある。

 その事に、今更ながら虹也も気付いたのだ。

 彼にとってもう一つの、家族、友人が住む場所がここなのだという事に。


「それでも、私はわがままで身勝手な願いを持った。大切な人達が傷付けられるのも誰かと傷付け合うのも見たくないという、勝手な思いだけで世界を隔ててしまったのです」

 あちらの世界でかぐや姫と呼ばれ、こちらの世界で月詠みの姫と呼ばれた女性の残した歌の化身は、そっと、あの、母親のような目で微笑んだ。

「貴方がその愚かさを厭うなら、私は貴方の協力の代価を支払いましょう」

「代価?」

 虹也は目前の女性を見た。

 自らを愚かと称するその女性(ひと)の、しかしその表情のどこにも陰り一つ見付からない。

「ええそう、私は貴方に貴方の真名を告げる事が出来ます」

 その言葉に虹也は思わず息を飲んだ。

 自らが持っているらしい血統の力。

 そしてそれゆえに自分の精神がいつか我を失うだろうと知った。

 決して弱音を漏らすつもりはなかったし、未だにそれを信じたくは無かった虹也だったが、それでも、自分に異常が起きているのは感じている。

 正直に言えば虹也は自分が自分で無くなる事が怖かった。

 だが、それを防ぐには、今は失われた彼自身の真名が無くてはどうにもならないとも聞いていて、それを知っているのは既に喪われた人達のみなのだと聞かされていたから、虹也はそれを諦めて、自らの精神力だけでなんとか乗り切ろうとしていたのである。

 そう、真名があれば、虹也が正気を保ったまま生きていける可能性は遥かに高くなる。

 もしそれが得られるのならばと、どれ程考えた事だろう。


「どうして」

「言ったでしょう?私はこの世界と共に在るモノですから、ある意味で世界の全てを知っていると」

「俺は、確かにそれを知りたい。俺は俺を救おうとしてくれた姉様や、俺を育ててくれた両親の為にも、何も出来ないまま自分を無くす訳にはいかないからだ。……でも、だからこそ、俺は、貴女と取引きはしない。俺は俺の意思で世界を別つ。取引で仕方なくそれを選ぶんじゃなく、俺がそう望むから貴女に協力する」

 虹也の言葉に、歌の化身の女性は頷いた。

「もちろん、その方が歌は調和をし易いでしょうから、私にとっては嬉しい事です。それに、もちろん真名は教えさせてもらいます。これは私の意思ですから」

 くすりと笑って見せたその顔は、どこか童女のようで、同時に老女のような、純粋で透徹した顔だった。

 虹也は、それに応えて自身も淡く微笑んだ。

 どうしても、虹也は彼女の中に母を見てしまう。

 だから、たとえ彼女の語る理屈の全てが間違っていたとしても、虹也はきっと彼女の願いを叶えただろう。

 そう思ったのだ。

(彼女のまなざしがこんなにも綺麗に見えるのは、きっと、これが大切なモノを守り通すと決めた目だからなんだ。ただ優しいだけじゃない、決して揺るがない気持ちがきっとこのまなざしに現れているんだ)


 歌の化身、古めかしい衣装の女性が、ゆっくりと手を差し伸べる。

 無意識に、虹也の手もそれに釣られるように動いた。

 そのまま、まるで互いが鏡の中の虚像であるかのように彼らは向かい合い、同じ動作で互いに近付き、額を触れ合わせた。


 それぞれの意識が混ざり合う。

 記憶が交差し、感情がそれを補った。

 失われた過去が、鮮やかな記憶として蘇る。



『まあやっこい娘だこと』

『だなあ、子のないわしらにこれ以上の恵みはない。有難い事じゃ』

―…それはとても不思議な感覚。優しく触れる手と自分を見つめる目。少女の知らなかった家族という温かさ。

『私も、何か手伝います』

『あれ、なんてやさしか娘じゃろ、愛らしい上に優しいんじゃから妻問いがひっきりなしじゃの』

『おめさのおった竹やぶにたっくさんの金子きんすがあっての、山神さんの思し召しじゃろうからおめさまは安楽にしてればええんよ』

『でも、一緒が良い』

『あんれまじいさんどうするよ、おら、この娘を嫁子に出したくないわさ』

『だから婿さ取れば良いっていっとっただろうが、ばあさん。ずっと一緒にくらせばええ』

―…切ないまでの愛情と郷愁が胸を締め付ける。



『コウちゃんはずっとうちの子よねえ』

 上品に結い上げられた、白髪を黒く染めた髪。

 年取った母親だと息子がからかわれないように、せめてもといつも綺麗に髪を染めていた。

 綺麗に伸びた背筋と綺麗で上品な立ち居振る舞い。

 大切で大切で、失いたくなかった。

『またお前は当たり前の事をそうやって聞いてコウを困らせて。仕方ない奴だな、もうボケたのか?』

 いつも飄々としていて、それでいて大事な時には必ず大切な言葉をくれた。

 学者らしい深い知識と、それでいて子供のような気ままさで家族を振り回す事も度々あった。

 山登りの途中で倒れるなんて酷いサプライズをやらなくったって良かったじゃないか。

 あの母さんが泣いてたぞ。

 もっとずっと一緒にいてくれたって良かったのに。

『俺の家はここだろ?追い出されない限りは居座るからね、俺』

『ほほ、追い出すならお父さんを追い出すから大丈夫よ』

『なんだと!追い出されたら俺が虹也を連れて行くからな!』

 きっとこれは魂の奥で自分を形作る中心にある物。

 そう、



―…だから、決して忘れない…―




 歌が響く。

 時の中でうねり流れ変わり続ける世界で、輝く一筋の蛍火のようなそれは、儚く見えながら、決して消えずに世界の中で響き続けた。


「あ、」

 ふと、虹也は自分が泣いているのに気付いた。

 いつの間にか、青い故郷を目前に届かない手を伸ばして溢れる涙を抑えきれずに零している。

 虹也は、伸ばした手をゆっくりと引いた。

 青い星は、まるで霞が掛ったようにぼやけていく。


「さようなら」

 呟きは世界の中に涙と共に零れて消えた。


「     」

 ふいに耳元で囁かれて、虹也は振り返る。

 そこにはさやさやと葉を鳴らす竹やぶに囲まれ、夜空を写したような紺地に光の星を描いた浴衣を着た、長い黒髪の少女がいた。

 その顔立ちは以前より少しほっそりとしていて、少しだけ虹也自身に似ている。

「ありがとう。どうか、幸せに」

 彼女との繋がりが切れようとしているのを虹也は感じた。

 はっとして、慌てて虹也は言葉を紡ぐ。

「あっちの世界の人たちは貴女を忘れていない。この間月に飛ばした衛星にも、あなたの名前を付けたんだ」

 ふわりと少女が微笑んだような気がしたが、虹也は、夢から覚める時のような強烈な覚醒感に支配されて、それを確かめる事は出来なかった。


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