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復讐者

「運搬の手配は大丈夫ですかな?関を通すと面倒になりますが」

 恰幅のよい黒髪の男が金髪の男におもねるように尋ねる。

 男の物言いには、糸口があればそこから商売へと繋げようという意図が見え透いているが、だからこそ相手は見下し警戒心を抱かないのだ。

 全てが計算された態度なのである。

「心配ない。沿岸部にワイバーンを呼ぶ。この国は術を防ぐには堅いが、物理防御には穴がある。見た者は魔獣の渡りとでも思うだろうよ」

 馬鹿にするような口調で金髪の男がそう言ったのへ、黒髪の男が同調するように頷く。

「この国は間違った選択をして来ました。今時国を閉じておくなど、時代錯誤もはなはだしい奢りにしか過ぎませんからな。他国と繋がるゲートも持たないなど自国の力を自ら弱める行為ですよ。詠み手の力が外に流出したとなれば、弱まった帝の権威は地に落ちるでしょう。そうなれば、この国も完全な自由国家と生まれ変わる道筋が出来ます」

「ふ、」

 自由という言葉に金髪の男は笑った。

 彼の属する外苑の国はその言葉を争いの免罪符として使っていたからだ。

 自由に争い、自由に奪う。

 それは力ある者達の為の世界だ。

 果たして詠み手という独自の切り札を失ったこの国に、その中で勝ち上がる力があるのか疑ったのかもしれない。

 だが、黒髪の男はそれに気付きながらも余裕を無くさずにいた。


『詠み手の意識に外部から接続し、記録するという事は、いわば世界の一瞬一瞬の情報を解析するのと同じ事だ。そこから必要な情報だけ取り出すシステムなど容易く作れようはずもない。結局こいつらは我らに泣き付かざるを得まい』

 虹也は、ふいに触れたその意識が誰の物か咄嗟に判断出来なかったが、すぐにそれはどうでも良くなった。

 まるで押し寄せる波のように大量の意識のカケラが自意識を押し包んだのだ。

 それに呑まれ、飽和して、沢山の中に紛れる。

 何かを覚えていなければならないはずだったという思考が唐突に浮かんだ。

 だが、それも泡沫のように消え行こうとする。

『虹也が……』

 ふと、消えゆく泡が小さな呟きに触れた。





 (あらた)は、意識の無い虹也をしばし感情の窺えない表情で見ていたが、やがて顔を上げると、腹の探り合いを続ける二人の男を見た。

 この場にパッと見て護衛が居ないのは彼らの身分が低いからではない。

 むしろ互いの立場が高すぎる為に疑心暗鬼を避けるために護衛を廃しているのだ。

 そしてこの場に新が同席出来ているのは、逆に彼の立場が低すぎるからである。

 彼の能力は、影を使った人や物の移動。

 詠み手の一族に生まれながら、別の魔術を宿して生まれた彼は、一族の監視下に置かれながらも自らは身分を持たない。

 氏族でも平民でもない、ただ、血統の調整に使い潰されるだけの立場なのだ。

 その、不遇な地位から拾い上げ、役割を与えられた彼は、この、国に対して陰謀を企む者達にとってもまた道具にしか過ぎない。

(誰もが道具に意思があるとは思わない)

 そうして考えると、彼に新しい名を与え、少なくとも身内として遇している現詠み手の当主であり、明鏡の役職を頂く沙輝は、まだしも彼を人として扱っていると言えた。

 だが、それも彼の心を暖める事はない。

 実際に、自分の心はとうに死んでいるのだと、新は知っていた。

 今ここに存在するのはただの幽鬼だ。


「手順の概要は知れた。組織の繋がりも把握した。十四年か、よくも待ったものだ。渇望で身が焼けるようだったが、歳月がそれを凍り付いた憎悪に変えた」

 突然言葉を発した新に、商談を詰めていた二人の男は訝しげにその姿を視界に入れた。

「なんだ?猟犬の躾けがなってないのではないか?」

「いやはや、お恥ずかしい限りで」

 新は、彼には珍しい笑みを浮かべて男たちを見た。

 それぞれに立場のある者だ。

 黒髪の恰幅の良い男は詠み手の名家の血統で、当主直系が絶えた直後には新たな当主候補の一人にも選ばれた能力者でもあった。

 彼は、その立場を蹴り、新しい他国との関係性の中で設立された貿易会社の相談役という役職を取得し、名声や出世に対する欲は薄いが、俗世の物欲の強い人物だと見られている。

 金髪の男は、外縁部にある軍事国家の軍の重鎮の一人だった。

 既に現役を引退しているが、未だ軍部に強い影響力を持つ男。

 そして彼自身が一級の魔術師でもあった。

「十四年前、一つの不可解な火事が多くの運命を捻じ曲げた。実行犯は驚く程直ぐに判明し、捕らえられ、混乱の只中で秘密裏に処刑された。国の在り方に不満を持つ市井の魔術師の仕業、表向きはそうなっていた」

 高くも低くもない、掠れたその声は、聞いている者の喉まで乾いてくるような独特な不快な響きがあった。

 その声を背景に、金髪の男は、密かに魔術を発動させる。

 彼からすれば、新など虫けらと同然の存在だ。

 不快な思いをさせたから潰す。

 彼の口上など聞く必要はないのだ。

「何を言いたいのか分からんが、お前が早死したいという事は分かった。閃夜殿、この分は少し色を付けていただくぞ」

「やれやれ、もう少し利口な男だと思っていたが、やはり屑は屑、お手をわずらわせて申し訳ないですな」

 ピシリ、と、部屋の空気が捻れる感覚がある。部屋の隅に立つ新を中心に、周囲からその捻れが収束する。

 だが、見える光景すら歪んだそこに、既に新は存在しなかった。

 彼は自分の影を渡り、二人の男の背後に移動していたのだ。

「そんなごまかしの中にあって、この企みの大本を知りたいと思った者は多かった。そしてその中でも、その生命、立場を全てなげうってでも、企んだ者達を炙り出し、滅ぼそうとする者はひたすら耐えて、探り、待った。そしてようやく、磨かれ続けた祭壇に捧げられる最初の贄にお前たちがなる訳だ。どうだ?光栄か?」

「貴様!」

 手の中の端末を起動して合図を送り、黒髪の男、閃夜光司は叫ぶ。

 しかし、押し寄せるはずの護衛は現れない。

 そして、再起動されたはずの金髪の男、リチャード・エイヘルの魔術も発動されなかった。

 体が重く息苦しいのに気付いた彼らは自身の体を見渡し、戦慄する。

 彼らの体はいつの間にか影に覆われていた。

「貴様!こんな事をしてどうなるか分かっているのか!我々の立場は国をも動かすのだぞ!」

 喚く金髪の男、リチャードの言葉に、新は軽く視線を向ける。

「国家安全機関という組織の事を聞いた事はあるか?俗称をつるぎという」

「国安!まさか!」

「帝の剣か!」

 男達はぎょっとしたように叫んだ。

 それは、実在するとは思われていない、空想の物語の中の存在のはずだった。

 この国を支える三宝、玉帝、明鏡、そして帝剣。

 それは剣と例えられる帝直属の武力組織の名前だ。


 新は、その肉の削げ落ちた顔に今度こそにやりと、はっきりとした笑みを刻む。

 昏いその瞳に病んだような熱が灯った。

「ようやく我らの悲願は成った。貴様らは今から稀有な経験をするだろう。一秒毎に死を願う、永い永い苦しみを得る事になる。おめでとう!我らはお前達をすぐに殺したりはしない。慈悲深い我が主は、貴様らの懺悔を全てお聞き届けになられたいだろうからな。お前たちはきっと、何度も絶望出来る程には長く生きられるだろう」

 ずるりと、頭だけを残して影に呑まれた男達はその場所から消えつつあった。

「待て!貴様は詠み手の家に恨みこそあれ、それを害した相手を憎む理由は無いはずだ!むしろ滅ぼす側にいるはずだろうが!なぜだ!なぜ!」

 光司は信じられない顔で叫ぶ。

 彼は隅々まで調査し、この新という男が、子供の頃は芥と呼ばれ、実の両親からそれこそ汚物のごとく扱われ、誰からも省みられぬまま野垂れ死にし掛けたという事を知っていた。

 そして世を嫉み、暴力沙汰を起こしては更に一族から爪弾きにされるという良くある悪循環を起こしていた事も。

 現当主にかろうじて援助を受けたが、逆にそれを憐れみと取り、反抗的な態度を取り続けていた事も調べが付いていたのだ。

 だからこそ、利用しやすい男であった。

「お前達の起こした火事で一人の女が死んだ。理由はそれだけで十分だ」

「何……」

 何をと、言い掛けたのだろう。

 口を中途に開けたまま、黒髪の威厳ある顔立ちの男は、どこか滑稽な表情を張り付かせて影に沈み。

 それと同時に、怒りに喚こうとした表情のまま、金髪の初老の紳士然とした男も新の視界から消え去った。

 新は、しばしその床を見詰めていたが、やがて空間に手を翳すと、ホロスクリーンを起動して指で直接そこになんらかの術式を書き込む。

 ブンと、音がしてそこに年若い男の顔が浮かんだ。

 黒い長髪を後ろに束ね、古めかしい衣装を纏った静かな表情の青年である。

「最終作戦をただいま開始いたしました」

「ご苦労だった。……そして、ありがとう」

「まだ早いですよ。それに礼はいりません」

「そうだな。……そこにいるのは“彼”か?」

 床に倒れている虹也に気付いた青年は、尋ねながらも確信を持って目を細めた。

「ええ」

 応える新の声はどこか硬い。

「よくぞ生きていてくれた。彼はたった一つ残った喜びだ」

「それも、長くは持たないかもしれませんが」

 どこか突き放した新の言葉に構わぬまま、青年は続けた。

「幼い頃、ずっと聞かされ続けていた。共に在るただ一人の存在。一つ年下の少年の事を。あの時、直後に迫った名併せの儀を、まるで大切な弟を待つような気持ちで待ったものだ。思えば、あれが最後の幸福な時間だった」

「我らはただ、龍と、月詠みの姫の加護を祈るだけです」

「そうだな。祈るのは我が天命。ならば天地を揺さぶるような祈りを捧げてみせようぞ」

 新は映像の向こうの、孤独な自分の主を眺めた。

 ほんの子供の時代に帝に即位し、自由を奪われた青年は、しかし、彼と違い僅かな光を手放さずにいる。

 それは、本来とは違いはしたものの、明鏡として傍に付いた沙輝の、あの母性の強い女性の優しさが良い影響を及ぼしたゆえだろうとも理解出来た。

 この国にとっては、復讐しか見ない主を戴かずに済んだのは幸福な事だったと、新も素直にそう思える程には、長い付き合いのこの年若い主に、多少なりとも希望を抱いて欲しいとは思う。

 世界は常に人の希望を裏切り続けるが、だからといって願ってはいけない理由は無いのだ。

 だが、新には主と違い復讐以外の生きる動機が存在しない。

 そして、その復讐は今、果たされようとしていた。


 新は、床に沈む虹也を見やる。

 彼自身が抱く虚無と、この青年がこれから陥る自らの力ゆえに避けられぬ虚無とは、どちらがより深いのか。

 埒もないそんな考えに、彼は頬を歪ませたのだった。


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