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思うと思わざるとに関わらず事態は動く

『第一に、自らを安定させる事。真名なら十全であったが、それを得ていない以上は通名を使う。強く自らを認識する名を日毎百度を越えて自らの姿に重ねよ。その際出来れば親しき者に呼ばれ意識を向ける己を思い描くべし。人は自らによって己を知らず、他者によって己を知るゆえに』

 指導は、分かりやすく具体的ではあったが、酷く観念的でもあった。

「要するに、まずは自分をしっかり持てって事だよな」

 虹也は呟き、試してみる。

 この世で最も愛していた両親が、かつて自分を呼んだ声を思い出してみたのだ。

 母の「コウちゃん」というふんわりとした声は、ごく自然に優しい記憶を伴う。


『コウちゃん、ほら見ておはぎよ!』

『でかい……』

『俺の推理によると、このおはぎ、中心部分には味がない!』

『あらあら、まあまあ』

『痛い!やめろ母さん!耳を引っ張るな!』

『父さん、いつも一言余計だよね』


「あ、ヤバい」

 虹也は突き上げる胸の痛みに目頭を押さえた。

 熱が両眼を浸してあふれる。

 もう思い出は優しい記憶として眠っていると虹也は思っていた。

 だが、彼自身が思う程、傷が癒えるのに掛かる時間は短くは無かったのである。

「これ百回とか、俺死ぬんじゃね?」

 喪失の痛みに打ちのめされた虹也は、顔を覆ったままベッドに後ろ向きに倒れ込んだ。

 そう、今や彼には彼専用のベッドがある。

 墨時と銀穂は、虹也がそうと気付かない内に物置になっていた部屋を片付けると、そこを虹也の部屋として提供したのだ。

 今の状況では外で買い物も出来ない為、三人で通販カタログからわいわい言いながらベッドや机を選んだ。

 虹也は、まるで最初から家族であったかのようにいつの間にかこの家に落ち着いてしまっている自分に疑問を抱かないではなかったが、それを言えば銀穂とて似たような立場である。

 もちろん今となっては、銀穂は家主と男女の関係にあるのだから、同棲という至極一般的な立場にあるものの、聞いてみると(別段虹也が聞き出した訳ではなく、銀穂が勝手にしゃべった)そういう関係になったのは押しかけ居候となって数年後の事であったとの事で、彼女はそれまでは本当に純粋な居候に過ぎなかった。

 それゆえ虹也の抵抗は、即ち銀穂の立場への疑問とも成り得る為、そこに疑問を差し挟むのは暗黙の了解として避けられてしまい。

 なんとなくなし崩し的にこの血の繋がらない家族もどきの生活が続いてしまっていた。

 もちろんそこには虹也にとっての居心地の良さがこの家にあるからという理由も当然ながらある。

 あちらの世界の両親のように、彼等は虹也を「コウ」と呼ぶのだ。

 それは、虹也にとって安心出来る場所を示した。


「そっか、誰かが呼んでくれる名前って、そう考えると大事だよな」

 世界の中の己の在るべき座標。

 自分が自分である為に必要な徴。

「でもさ、百回もいらない、一回で良い。父さんと母さんがもう一度俺を呼んでくれたら、きっと俺は揺らがないでいられたと思うんだ」

 それは呆れる程の我儘だと、虹也は知っていた。

 死者の至る場所は、きっと異なる世界よりも遠いのだから。





「勝手は違うだろうさ、それはな。なにしろこの国の隅々にまで帝の力が行き渡っておるからな」

 そう呟いて、フ、と鼻で笑う男の傍らで、影のように佇む痩身の人物が、吐き出す息のような言葉を生み出した。

「それで先方の要望は?」

「お前の影を使って贈り物を包装しろとの事だ」

「なるほど、いかにもお貴族様らしい傲慢さだな」

「だが、貴様も後ろ盾を得て、思う様に復讐が出来よう。両得は取り引きの基本よ」

 影の人物はそれに是とも否とも応えない。

 用は済んだとばかりに歩み去る足音を、影は見送る事なく自らも消え去った。





 夕闇が光と影の境界を曖昧にして行く時間、普段より早めの帰宅となった虹也と墨時は人混みに辟易としていた。

 思いっ切り帰宅ラッシュに捕まったのだ。

 パーソナルスペースを侵される事を極端に嫌うこちらの世界の人々は、虹也のいた世界の者達よりも、この状態への不満が大きいらしい。

 具体的に言うと、路上でいきなり殴り合いが始まったりするのだ。

「てめえ!汚い息を吹き掛けんな!」

「あんたこそじゃまな尾っぽをちょんぎったら?」

 乱闘が始まると人はそれを避ける為、より多くの空間を求める。

 そうした空間の奪い合いは新たな火種となった。

 見事なまでの悪循環の見本がそこにある。

 墨時は薄い防御膜を展開しているらしく、周囲の人との間に僅かな隙間を作りながら、強靭な握力で虹也の腕を掴んで最も混沌とした場所を迂回しようとしていた。

 ほとんど泳ぐような感覚で人波を掻き分けていた二人に、本来の動きの方向とは違う方面からの圧力が掛った。

 立ち止まれない半ば暴力的なうねりの中で、誰かがうっかり転倒したらしい。

「きゃあ!助けて、誰か!」

 周囲に害意は無くても、止まれない以上は、倒れた者は踏み付けられる事となる。

 こういう場合に発生しやすい事故ではあった。

 墨時には虹也を守るという役割があり、それは全てに優先するべき事だ。

 だが、だからといって、それを放っておけるのなら、きっとそれは墨時では無い別の誰かだろう。

 ごく身近に聞こえるその悲鳴に向かって、墨時はほとんど考える事もなく、強引に体を進めた。

 しかし、流れを無理矢理横切るその行為に、さしもの墨時の握力も耐えられず、虹也と切り離される事となる。

「コウ!」

「俺は大丈夫だから、その人をよろしく。お店の前で待ってるから!」

 お店とは、雑貨屋の事で、なんらかの事態で別行動を取る場合はそこが二人の合流地点となっていた。

 この店の前には都市守護印の起点の一つがあり、魔術などの類の暴力的行為から身を守るには十分な機能がある。

 ついでに言えば雑誌や軽い菓子類、小物等が売っている店でもあって、暇を潰すにも最適なのだ。

「分かった。何かあったら街灯を目指すんだぞ!」

「大丈夫!そっちこそちゃんと人助けしとけよ!」

 虹也は、墨時の正義の味方特性を貴重なものと思っていたし、この国の守護の源の力の事も学習して、街中で魔法的な超常の力から害を受ける事はあまり警戒しなくて良い事を知っていた。

 それを油断というなら、確かに彼らは油断していたに違いない。


 別れてから十五分余り、待ち合わせの場所に到着した墨時は、虹也の姿を見出せなかった。

 端末の呼び出しは相手の場所を見付けられずに接続不能の文字を表示する。

「くそっ!」

 悪態を吐いて、墨時は本部へと連絡を取ったのだった。

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