待機
そこには両側にドアの並ぶ通路があり、全体的に清潔そうで明るかった。
最初の事情聴取が行われた場所が入口からそのまま続きの小フロアタイプ、所謂交番そのままの造りだったので、虹也には奥のこの広さと造りは意外に思える。
と言っても、別に彼は交番の奥へ入った事がある訳ではなかったので、あそこはあそこでまたそれなりに広い可能性もあるが。
「取り敢えず休んでおくと良いだろう。本部の判断にもよるので朝まで寝せてあげられるかどうかは分からないが、夜も遅いし、色々あって疲れているだろうしな」
「留置所じゃないんですね」
なんとなく意外な気持ちで虹也は口にした。
「ははっ、御希望なら泊めてあげたいところだが、事件の容疑者でもない者を監禁したとなると、バレたら顛末記述書提出の上罰金だ。勘弁してくれ」
堅苦しいばかりの一辺倒かと思っていたが、どうやらユーモアを解してくれる人のようだ。
顛末記述書とは始末書みたいなものかな?と考えて、虹也は笑みを浮かべた。
「そこまでしてもらう訳にはいきませんね。休憩室で我慢します」
案内してくれた相手も軽く笑い、
「休憩室というより宿泊施設に近いよ。なかなか一般の人は利用する機会が無いだろうが、警邏隊の番署は避難シェルの役分も持っているからね。当然その為のスペースがある訳だ」
先のやり取りで気持ちがほぐれたのか、相手はやや饒舌気味だった。
(警邏隊って言うのか、って事はやっぱり縮めて警官で良いのかな?それとも警邏隊員で警邏員?)
彼がとりとめの無い事を考えている内にも、説明は続く。
「奥のこの部屋は水周りで手水と洗い場、外鍵は掛かって無い。で、君の使う部屋だが、要望があれば変更出来るが、こっちでどうかな?」
カシャンという音を立てて、引き出された丸い取っ手を回し開けて、案内されたのは入口と奥の水場との中間に位置する部屋だった。
入ってみると簡易机とベッドが設置してあり、なんとなくビジネスホテルめいた造りである。
「中からもこうやって鍵が出来るから不安は無いだろう?」
内鍵があるという事は、どうやら本当に留置ではなく保護なんだな、と、納得する。
相手もそれを分からせる意図でで説明したのだろう。
内鍵は簡単な落とし込みタイプだが、だからこそむしろ信用度は高い。
これがもし電子錠とかだったら、逆に不安を覚えたに違いない。
いや、そんなものがここに存在するかどうかは彼の預かり知らない処だが。
虹也は相手の説明を聞きながら、互いの理解の及ぶ範囲を少しずつ擦り合わせていた。
「質問はあるかな?」
そう締めた警(邏?)官に、なので彼は思い切って聞いてみる。
「先程の話では本部から迎えか調査の方が来られるかもしれないんでしょう?鍵を掛けて寝ていたら呼ばれた時に気付かなくて困ったりしませんか?」
「その時は呼び出しを鳴らすから、寝ていても構わないよ」
「呼び出しですか?」
「ああ、浸透タイプの呼び出しだから大丈夫だ」
「そうですか、分かりました」
実はあまり分かってもいないのだが、呼び出しブザーのようなものがあるのだと勝手に納得する事にして彼が頷くと、その、彼を発見して連れて来た警(邏?)官は少し微笑んでみせた。
「記憶が混乱しているのは不安だろうが今はあまり考え過ぎない事だ。なに、君は素養の無い私が見てもすぐに分かる程血が濃い見目だ。程なく身元も分かるし、すぐに家に帰れるだろう」
言い置いて、軽く会釈して立ち去った相手を目で追いつつ、虹也は相手の残したその言葉を考えた。
彼は今迄殊更自分の容姿について考えた事は無かった。
普通に日本人らしい顔立ちだし、残念だが両親に似て無いのは当たり前だ。
どうひっくり返しても、大して目立つ特長はない。
敢えて言えば、再三母にその癖の無い黒髪を羨まれた程度だ。
(血が濃い……か)
それが何か特別な血統に当たるという事なら、言われてみれば僅かに甦った記憶の中の自分は、大きな屋敷らしい場所にいたし(燃えていたが)、「姉様」などと、気恥ずかしい呼び方で姉を呼んでいた。
自分自身に対するその姉からの呼び名は微妙に犬か何かの名前のような響きだったが。
ふと唐突な笑いが沸き起こる。
どこか客観的に自分を分析しようとする己の思考がおかしかったのだ。
同時に、思い出したばかりのその記憶に迂闊に触れるのを恐れる自分も自覚する。
突然甦った記憶は、ついさっきまで忘れていたにも関わらず、余りにも鮮明だった。
そして何よりそれは痛みでもあった。
その先にある物に触れてはいけない。
あの恐ろしい劫火以上に、その事実は自分を焼くだろう。
そんな予感がする。
「姉様」
その言葉は、今の自分にはそぐわない。
だがそれは、忘れていたはずの長い時に磨耗する事無く、大切な思慕を象っていたのだ。
「報告を上げるぞ」
青年を案内した同僚が戻るのを待って、中年の域に差し掛かった警邏官は表示モニターを起動した。
同時にキー入力円盤も立ち上がり、彼の指示を待つように淡く輝いている。
「はい、しかし、意識改竄などリスクの高い技を使うなんて、無茶をする相手ですね」
「お前の報告から判断すれば、あの坊やは発見される前に鬼共の餌になる予定だったんだろう。本人が混乱さえしてくれれば良かったんじゃないか?まぁこういう事は下手な推測はご法度だけどな」
「やっぱりお家騒動でしょうか?」
「まぁ、そんなとこだろうな。あの坊や血が凝ってそうだし」
「氏族顔ですもんね」
ご法度と言いながら、彼等はついついその推測を広げてしまう。
元々大きな事件など滅多にない僻地の担当官だ。普段が暇なだけに思いもよらぬ大事の予感に、その反動は大きい。
話しながらも指先を動かし接続キーを打ち込んでいた彼だが、程なく画面が対面確認へと進んだ。
「接続確認、重要2度」
「コードパス願います」
「犬の尾を踏め」
「接続します」
無機質な疑似オペが消え、画面に女性の姿が投影される。
人員が潤沢な本部の夜勤は夜行種が殆どを受け持っており、スクリーンアップされた彼女は森林の民だった。
森の民独特の大きな目と小さな口元が愛らしいが、子供ではなく立派な成人である。
「こちら南海平野西の里、緑野区の警邏番署です。意識改竄を疑われる案件が発生しました」
「了解しました。概要をどうぞ」
「芳輝13年3月15日23時近時、南海平野西の里緑野区、月夜見本家別邸跡にて巡回任務中の木下警邏官にて発見、保護された、10代後半と推測される青年。事情聴取時に応答に混乱、誤認がみられ、意識改竄の可能性を推測し重要案件として報告に至りました」
発見場所の報告の際、表情を動かさない訓練を受けているはずのオペレーターが顔を顰めた。
それを報告者は認めたが、理解があるが故に見咎める事はない。
「了解しました。本部に報告後そちらに指示があるはずです。回線を待機させて指示を待ってください。それと、保護された仮定被害者には慎重に当たってください。意識障害は心因性のショックを誘発する可能性があります。精神の安定を第一にお願いします」
「了解しました。指示を待ち、仮定被害者に注意を払います」
画面が暗転し、待機状態を示す閉じた門印が表示される。
「場所が場所だけに挑戦されたような気分になりますね」
オペレーターの動揺の意味を理解している同僚が、溜息と共に共通の意識を吐き出した。
「まぁあそこは大きな忌み処だからな。こういう事には利用し易いんだろう。だが、だからといってやられたら腹が立つ。そういう事だ」
彼等の声には案件自体と共に、それが発生した場所に対する憤りがある。
その場所は、10年以上前に、この国に大きな衝撃を与えた事件の起こった場所だった。
それ以降、良からぬ噂と共に、忌み処とされ、一応の手順を持って結ばれたものの、結局は放置されたまま雑木林と化していた。
「しかし、事前に防げてなによりだ。お手柄だったんじゃないか?」
「俺は知っての通り、何の能力もないですけど、あの時は影がこう、透けてる感じで違和感を感じて、思わず光を向けていたんです。忌み処といっても月夜見の加護があるのかもしれませんね」
「加護か、そうだな」
会話を遮って、待機の画面が接続の印に開門する。
「本部の指示が来たか」
「来るにしろ行くにしろ、こんな僻地じゃ転移門も遠いし、一苦労ですね」
回線が繋がると、二人は私語を止めて指示を確認する為に画面に向き合った。