守護ノ魂
帰りもあの車が用意されていた。
近くで改めて見るその一種独特の車体に、虹也はなんとなく圧倒される。
そもそもタイヤもないそれを車と呼んで良いのかさえ分からなかった。
「空気抵抗とか全く考慮されてないよね」
それを利用する相手の事を考えれば、要人警護に重点を置いた造りであるはずなのだから、異様に見えてもそれは当たり前なのかもしれない。
虹也が席に着くと、ふわりと、以前話したナビゲーターの女性が起動した。
「お帰りなさいませ、またお会い出来て嬉しいです」
ぺこりと頭を下げて笑いかけるその姿は、裏も表もないプログラムであるからこその真摯さに満ちていた。
「ああ、また暫くよろしく」
虹也は、やっとそこでほっと力を抜いて背もたれに身を預ける。
来る時は緊張していた車内で、今度は逆に脱力している事が、可笑しいといえば可笑しかった。
血の繋がっているはずの身内と共にいるよりも、単なるプログラムの疑似的な映像に癒されるというのもおかしな話だが、その隔離された空間は、確かに虹也を安心させてくれたのである。
「お飲み物はいかが致しましょう?先程と同じでよろしいですか?それともご気分を変えられますか?」
「前の注文を覚えているのか、凄いな」
虹也は感心したように呟いた。
一度切りになるかもしれない相手のデータを保存しているのはどう考えても無駄に思えるのだが、それを実行出来る部分が、権力者の余裕という物なのだろう。
しばし待って、虹也が同じ物を頼まないと判断したのか、飲み物の案内が始まった。
「それではメニューのご案内に移らせていただきます。温かいものと冷たい物はどちらがよろしいですか?」
「そうだな、今度は冷たい物にしようか?」
「それではジンジャーエールなどはいかがでしょう?」
「今度はお薦めがあるんだ?」
「はい、嗜好に近しいと思われる物を選択させていただきました。ご不満の場合は目録の一覧をお出しできます」
「いや、良いよ。ジンジャーエールをいただきます」
「お食事はいかがいたしましょう?」
「いや、食事は帰ってから食べるから、何か軽い、甘くない物は無いかな?」
虹也の注文を受けて、「はい」と答えたナビゲーターの少女は、数秒茫洋とした表情で固まった。
恐らく検索でもしているのだろうが、なんとなくその様子に虹也は心配になる。
ふっと、彼女に表情が戻ると、虹也はほっとした自分に少し笑った。
相手はただのホログラム映像なのだ。
「芋の薄揚げとかはいかがでしょう?」
ポテトチップスみたいなものかな?と虹也は思い、とりあえず食べてみる事にした。
「うん、それでお願いします」
「承りました。暫くお待ちください」
一礼して女性が姿を消すと、虹也はなんとなくこの日我が身に起こった出来事を振り返る。
詠み手と呼ばれるこの国の中枢に至る一族が自分の親族だと知らされ、なんだかよく分からない自分にあるという力のせいでいつか必ず精神に異常をきたすと言われた。
「うん、考えれば考える程冗談にしか聞こえないな」
あまりにも事が大きすぎてなかなか上手く現実として捉えられない。
考えてみれば、世界を移動するというとんでもない経験を既にしているのだから、もっと異常事態に慣れても良いはずだが、虹也としては、そういうものだと割り切る事は中々出来なかった。
オーバーヒート気味になった虹也の耳に、カラリと、どこか涼しげな音が届き、視線がその音の出処であるテーブルの上へと移動する。
そこには、いつの間にか注文の品物が用意されていた。
相変わらず早い提供である。
「謎技術すぎる」
呟きながら目前の物を眺めた。
厚みのある透明のガラスのコップは、角のある、いわゆるウィスキーグラスの背が高い物という感じだ。
その中に、金色をした綺麗な飲み物が注がれていて、中に数個の丸い氷が揺れていた。
虹也はなんとなくある予感がして、恐る恐るそれに口を付ける。
「……うん、甘くないし、アルコールだし、これは言うなればジンジャーの香りのビールだね」
なるほど、字面で見ればそのまんま、ジンジャーの入ったエール(ビール)なのだから、こっちではアルコール飲料であってもおかしくは無かった。
「俺、あっちじゃ未成年なんだけど、こっちじゃ違うんかな、違うって聞いた気がするぞ。よし、ここは郷に入っては郷に従えという事で」
虹也は気にせず飲む事にする。
後もう一品、大きな白地に青い絵の皿に盛られた、芋の薄揚げなる物を、虹也は眺めた。
「ううむ、これはまんまポテトチップスに見える、な」
とりあえず食べてみる。
市販のチップスのあのパリッとした食感ではなく、ややしっとりとしていて、その感触もガサガサしてなくて柔らかい。
少し透き通っていて黄色よりも飴色に近く、味としてはバーガー屋で出るポテトの中身だけを口当たり滑らかにした感じだろうか?
「これはこれで有りか?結構美味しい」
なんとなく気に入って、虹也は今後の為に名前を覚えておく事にした。
それは、ジンジャーエールが残り半分を切り、芋の薄切りが心もとなくなって来た時に起こった。
ピピピピ……と何かの警報と思われる音が響き、ナビゲーターの女性の姿が立ち上がる。
「お客様、緊急事態が発生いたしました!」
「どうした?」
まだ外の風景が出ない場所で、何の振動も感じないので、異変など虹也には全く察知出来なかった。
「運転手の脳波に異常が発生致しました。緊急対応マニュアルに従い、客席側のコントロールを切り離しましたが、車体の運行は運転手に委ねられています。後部ブロックは耐衝撃構造になっておりますので接触や転倒等でお客様に危険が及ぶ事はありませんが、念のため急な衝撃にご注意ください」
ナビゲーターの言葉に、虹也は緊張した。
「それって運転手さんが急病って事?何かの発作を起こしたとか?」
「申し訳ありません、当管理脳は対処用の簡易医療の知識に対応はしていますが、症状の分析に長けている訳ではありません、その為運転手に発生した異常を分析する手立てがありません」
「じゃあ専門家に、医者、ええっとこっちじゃ医術者?施術者?だっけ、に連絡する事は?」
「ご要望の主旨を理解いたしました。外部への救援要請を発動いたします」
言って、目を閉じたナビゲーターの女性の映像が、すぐに目を開く。
「気脈に断絶あり、周囲に遮蔽障壁が発生しています。人為的な襲撃の可能性あり」
「なんだって!?」
細かいニュアンスは分からないまでも、襲撃の意味は分かる。
理由は分からないが、運転手に異常が起きて、それに合わせるようになんらかの攻撃的情報封鎖がなされているという事だ。
「おっさん、なんか分からんけど、不安的中っぽいぞ」
虹也は腕の端末を起動させると、墨時のほどこした緊急用の通信を発動させる。
完全な一方通行だというそれは、ちゃんと役に立つのかどうか確認する術はないが、今となってはそれだけが頼りだ。
「車体停止、攻撃的魔術の発生を感知。護国網に接続しての撃退を試みるも遮断されました」
虹也がその報告に身構えていると、ほんの僅かに揺れを感じた。
どうやらこの後部座席の内部保護の構造はかなり凄い物らしい。
「だけど、ずっと一方的な攻撃を受けてればいつかは決壊するよな。くそっ、一体誰がやってるんだ?高級そうな車だから暴走族がちょっかいを掛けてるとかじゃないのか?ってかこっちに暴走族っているのかな?」
「お客様、申し訳ありません。ただいま私の脳幹部分が欠損いたしました。同行案内ノ壱はこれにて消滅いたします。これより末端機関を切り離して個々の反射対応にて抵抗を続けてみますが、力及ばない場合はお許しください。お客様にミラーコートを施させていただきます。ほんの僅かですが、襲撃者の目を欺く時間を稼げると思います。その間に速やかな避難をお願い申し上げます。襲撃者の存在しない方向に亀裂を入れますのでそちらからお逃げください。……僅かな間でしたが、少しでも心休まるひと時を提供出来ましたなら幸いでした。失礼いたします」
ペコリと、微笑みのまま頭を下げたホログラムの女性は、何かにかき消されるように姿を消した。
「あ、」
何かを言うべきだったのか判断出来ぬまま、虹也はそれをただ眺める。
同時に、壁に外の様子が映し出された。
迷彩柄に近いコートに身を包んだ背の高い男が、手を掲げて何かを言っている。
音は一切聞こえないので言っている事は分からないが、その男が手を動かす度に、映像にノイズが乗り、何かの破片が飛ぶのが見えた。
「魔法?魔術師ってやつか?」
突然、相手の男が顔を庇うように覆った。
この車の防御システムが何かをしたのだろう。
「イマ、デス、トビダシテ、ミギにマッスグで、ホゴケッカイが」
突き上げるような振動が走り、襲撃者の反対方向に車体が割れた。
虹也は急いで飛び出すと、右手に走り出す。
驚いた事に、自分の姿が見えない事に気付いた。
手をかざしても風景の中に微妙な歪みが見えるだけで自分の体が目に映らないのだ。
どうやらホログラムシステムで何かを施されているらしい。
「あの車の機能でやっているなら、距離がある程度離れたらこれ消えるよな」
小さく呟き、とにかくがむしゃらに走る。
木々の間に駆け込んでしばらくすると、施されていた処理が解け、自分の体を確認出来るようになった。
途端、背後で大きな爆発が起きる。
「もしかして襲撃して来た相手を攻撃する為に……」
空に上がる黒煙が透かして見えた。
例え襲撃相手に何の効果が無くても、ここで何かが起きている事を知らせる事は出来る。
「ありがとう」
虹也はそう口にして、慣れない森のような場所を走ったのだった。




