相容れない常識
「内部探査に成功しました」
低く告げられる声に、その場で唯一人深く椅子に腰掛け、赤い色の酒を啜っていた男が笑みを浮かべた。
「あの屑も存外役に立つものだな、ああいや、ゴミだったかな?」
「芥ですな」
「どちらにしろ屑には違いない」
ひとしきりの笑いを漏らし、男は機器に取り付いている者達に指示を飛ばした。
「贈り物を準備するとするか」
術紋機の放つ銀色の光が、壁面を埋めるパネルの上を彩り、目まぐるしく踊る。
刻まれていく記録と、出力する情報。
最新の設備にて行われる作業は滞る事なく進んでいた。
「お話しは分かりました。まだピンと来ない部分はありますが、そうすると俺と輝李香さんはいとこ同士って事ですよね」
「そうですね。改めてよろしくお願いします。で、良いのかしら?」
「あ、いや、こちらこそ」
虹也はくすぐったい思いを感じて鼻を掻いた。
同性ならともかく、同じぐらいの年頃の異性のいとこという存在にどう対して良いか分からないのだ。
そもそも虹也は親類という存在を持った事が無い。
「虹也さん、実を言うと、貴方にとって本当に大事な話はその先の部分になるのです。でも、さすがにこの先は、私の判断でお話しする訳にはいきません。お母様の、いえ、当主様の判断を仰がなければならないのです」
「はい」
既に彼女が明かして良い部分を大きく逸脱しているはずだが、それでも口を噤まなざるを得ない事があるらしい。
輝李香の口振りからすればかなり重要な話らしいが、虹也にとっては彼女等が身内で自分が歓迎されている事が確認出来ただけで、気分的には目的は果たされたに近い。
それに、明かされない大事な事も見当が付く。
詠み手の一族、明鏡と呼ばれる国の重鎮を輩出する一族であると言うなら、それは十中八九、その力についての話であるはずだ。
そういうものに全くと言って良い程興味が無い虹也は、別段説明が無くとも気になるような事も無かったのである。
「ところで、今度はこちらからお聞きしてもよろしいですか?」
「あ、はい」
返される問いに、虹也は少し緊張した。
おかしなもので、相手が従姉妹だと意識すると、途端になるべくその前で格好付けたくなってしまうようだった。
虹也は軽く咳払いをすると、渇いてしまっている喉に、温くなった茶を流し込み、言葉を滑らかに発する為の準備をした。
「虹也さんは今までどちらでどのように暮らしていらしたのですか?」
確かにそれは当然の問いだろう。
誰だって、死んだはずの身内が戻って来たらそう尋ねるはずだ。
一応警邏番所にて取られた調書と、捜査部で事情聴取された記録があり、この家の者に閲覧権限が無いとは虹也には思えなかったが、気持ちの伴わない記録と、当人の語る話しでは違う感想もあるだろう。
そう思った虹也は、捜査部の時に話したよりも、更に心情的な物を交えた話をする事にした。
「そうですね、最初、記憶も知識も何もかもを無くして火傷を負った状態で発見されたとの事です。俺の記憶は無いですが、記録には残ってました。幸い、発見者の夫婦が良い人達で、得体のしれないそんな子供を引き取って育ててくれたんです。本当の家族みたいに暮らしたんですが、二人とも高齢だったから、ろくに恩返しも出来ないまま最近亡くなってしまいました。一人になって、満月の夜に何気なく月を見ていたら、突然姉様の事を思い出して、気が遠くなって、ふと、気付いたらどこかの木立ちに立っていて、通り掛かった警羅の人に保護された。という感じですね」
虹也の説明に輝李香は眉を寄せた。
「お姉様ですか?私の知る限りでは貴方にお姉様はいらっしゃらなかったはずですが。そもそも、物心付いてから名取りの儀までの間は、身内とは隔離されて育つものです。その頃に身内が傍にいるはずもありませんし。その頃貴方に付いていたのは、一族外から選ばれた導師だけのはずですよ」
姉の存在に対する真向からの否定に、虹也はむっとする。
まるで嘘を吐いたと言われたように感じたからだ。
同時に、虹也は、先程沙輝が同じ部分でやや戸惑っていた事を思い出した。
「沙輝さんは、先程姉様がその導師だったと言っていました」
虹也がそう告げると、輝李香は酷く驚いたような顔を見せた。
「ではお姉様は外子だったのですね。それなのに導師に選ばれる程学を修められるとは、その方の一族への献身、並ならぬ物だったのでしょうね。あの愚かな男とは天地の隔たりがあるというものです」
輝李香の言った外子という言葉が理解出来なかった虹也は聞き返す。
「外子というのはなんですか?」
「必要な能力を持たずに産まれた子の事です。そういう子供は氏族守護の家に下げ渡されて、生まれの氏名を抹消されるのです。先程失礼を働いたあの男もそうなのですよ」
「必要な能力?」
「ええ、詠み手としての資質です。どれ程綿密に血統調整をしていても能力が確実に顕現するとは限りません。能力を持たなかったり、別の能力を発現したりしてしまう子供も生まれてしまいますから」
まるで、何一つ特別な話では無いように、さらりと輝李香は答えた。
だが、それは虹也には、衝撃的な話だった。
能力が無ければ家族では無い、そして能力があれば子供時代を家族と過ごす事が叶わない。
それが彼女にとっては当たり前の話なのだ。
「導師となるには規定の学歴と一つ以上の師号が必要となります。貴方のご両親はお母様とそれ程年齢は離れていなかったはずですから、最初に生まれた子とは言え、その方はまだお若い方だったのでしょう?それで条件を満たす程優秀な方だったのですから、さぞかし素晴らしい導師だったのでしょうね。例え外子でも尊敬出来る方と言えますね」
虹也は唖然としていたが、この件で輝李香に何かを言うべきだとは思わなかった。
そもそも輝李香に何の咎があるだろうか?輝李香の身を置いている世界の常識が虹也のそれと違うだけの話なのだから。例え姉を、成り上がりだが優秀な者と評されて癇に障ったとしても、責めるべき事ではないし、責める意味もない。
輝李香からすれば賞賛しているつもりなのだ。
「本来はもう繋がりは消えているのですから、その方が姉と名乗ってしまったのはいけない事なのですけれど、きっと元の家族をとても愛しておられたのでしょう。私もそれを責めようとは思いません」
虹也の記憶の中の姉はいつも笑顔だった。
優しく、時に厳しかったが、憂いや影など見せた事すらない。
虹也に不安な顔を見せたのは、あの火事の時、窓から外を見たあの時だけだった。
だから、虹也にとって、姉は溌剌として前向きで、最後まで誇りを持って生きた尊敬すべき存在であったのである。
一族から、家族から否定された存在であったというのに、彼女はそれを恨む素振りを一度も見せなかったのだ。
何も知らなかった当時の虹也は、そんな姉にただただ甘えていた。
「姉様は俺の誇りです」
おそらく虹也の憤りは輝李香には理解出来ないだろう。
虹也の言葉に微笑んで頷いても、彼女の中では虹也の姉は虹也の姉ではなく、親戚という意識は全くない他人なのだ。
そんな理由が分かれば、先程乱入した男の言動も理解が出来る気もした。
否定され続けた者が僻むのは当然だ。
むしろ虹也の姉が特別なのだ。
この家に自分は住む事は出来ない。
先程まで、少しだけ揺れていた天秤は、もはや傾く余地を無くしてしまった。
虹也は誰に告げる事もなく、一人そう決断を下したのだった。




