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月に虹が掛かる刻  作者: 蒼衣翼


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御柱

「この国に詠み手という能力者がいる事は知っていますか?」

 輝李香きりかが最初に口にしたのはそれだった。

「ああ、月夜見の姫っていう有名な人がいたとか」

 虹也は以前聞いた印象深い名前を口にした。

 その力によって二つの世界を分かったという人物。

 虹也にとってはこの世界で一番気になる相手と言って良い。

 それに、姉が虹也をあちらの世界へ送り出す時に告げた名前でもある。


『月夜見の姫のご加護がありますように』


「そう、あの方はとても有名ですね。子孫としてはその名声が負担になるぐらいには」

「子孫?」

 虹也の中に、やはりという思いと、沙輝さきが残そうとしてくれていた選択の余地を捨て去ってしまった事への不安が渦巻いた。

「ええ、なんにせよ肝心な部分を伏せたままでは貴方の知りたい事の入り口にすら到達出来ないのですから、知りたいのなら覚悟は決めて貰うしかありません」

「それは分かる。止められていたんだろ?悪かった」

 虹也は自分の言葉で相手に負担を掛けている事に思い至って頭を下げた。

 あれだけはっきり宣言した事を代理の彼女に伝えていないはずがない。

 輝李香はそれでも虹也の求めに応えようと、敢えて禁を破ってくれたのだろう。

「構いません。痛みの伴わない真実なら知らないままでも良かったのでしょうけど、知ろうとも知らずとも結局は貴方は苦しむ事になるはずですから。私は、本人が何も知らなければ幸せだという意見には反対なだけなのです」

(まるで不治の病を告げる医者のようだ)

 そう虹也は感じ、同時にその自分の思いにぞくりとした。

 それではこの真実の中には確実に危険が潜んでいるのだ。

 しかもそれは避けようの無い物と、輝李香は告げている。

 そんな虹也の逡巡を他所に、輝李香は先に進む。

「あなたはこの国を支える二つの柱、玉鏡の鏡の氏族、月夜見の本家の後継として生まれ育っていました。でも、ある日、貴方が名取りの儀を行わんと準備していた前日の夜だったと聞きます。その時、隠れ地の別館、その母屋に貴方、離れにご両親と当時のご当主夫妻、貴方にとっては祖父母に当たる方々が滞在なされていました。私達の一族は、親族、家族でも滅多に一箇所に集まらないのです。ですからそれは恐らく二度とは無い事だったでしょう。そして、まるで狙いすましたように、その夜に火災が起こった」

 虹也はこくりと喉を鳴らした。

 記憶の中で未だ鮮やかな炎の色が踊っていた。

 その身にその炎が迫る幻想が、余りにもリアルに思い浮かぶ。

 いや、それは幻想などではない。

 その昔、実際に起こった出来事なのだ。

「おかしな話だったと言われています。何重もの守護の陣が掛けられていて、たとえ火が出たとしてもそれは広がる術を持たないはずでした。ですが、結果として別館は母屋も離れも焼け落ち、跡形も無い程に燃え尽きてしまったのです」

 虹也は押し寄せる寒気と戦っていた。


『なんという事、』


 呆然と窓を見る姉。

 炎と煙で世界が埋まっていく。


 ぱしん!と、破裂音とおぼしき音が虹也の耳を打った。

「大丈夫?」

 何事かと見回した虹也の目に、輝李香の不安そうな顔が映る。

 ほっそりとした両の手を添い合わすような体勢から、今聞いた音は、彼女が自らの両手を打ち合わせた音だったのだと、遅まきながら虹也は悟った。

「すいません、ぼうっとしてしまったみたいで」

「私も無神経でした。でも火事の話題を避ける訳にもいきませんでしたから」

 少し悄然とした風に輝李香は言った。

 虹也は慌てて同意してみせる。

「それはそうですよね。俺ももうちょっとしっかりすべきなんです。お恥ずかしい限りです」

 輝李香は虹也の言葉にいいえと首を振った。

「飲み込めない物を無理に飲もうとしてはいけません。押さえ込もうとすれば無理が出て、歪んだ箇所は永遠に貴方を苛む傷になるでしょう。ゆっくりと時が記憶をふさわしい形にするのを待つべきです」

 虹也は思わぬ真摯な輝李香の言葉に、咄嗟に返答に困った。

「続けても大丈夫ですか」

 だが、そんな虹也の戸惑いを置いて、先の話題に拘る事無く、輝李香はそう聞く。

「ああ、はい。よろしくお願いします」

 虹也は再び茶を含んだ。

 温かく柔らかな青い香りが、記憶の突然の再生によってささくれた神経を癒していくようだった。

「私は当時まだ物事が理解出来るような年齢ではありませんでした。それでも、とても怖かった事だけは覚えています」

「怖かった?火事で親戚を亡くした事がですか?」

 そう聞いた虹也に、輝李香は少し目を伏せた。

「いいえ。こんなことを言うのは失礼ですが、当時の私は人の死というものがまだよく分かっていませんでした。ですからご当主様御一家が全て身罷ったという言葉は、その頃の私には単なるぼんやりとした不安でしかなかったのです。ですが、それは恐ろしい事の始まりでした」

 虹也は無言で促す。

 それは虹也が消えた後の世界の話。

 虹也からすれば、犯人が捕まったかどうかには強い興味はあったが、それ以上に何かがあるとは思ってもいなかった。

 だが、そうでは無いと彼女は言っているのだ。


「恐ろしい事?」

「ええ、世界がこの国を非難したのです。そして我が一族内では醜い争いが起こり、そして、帝が、……帝が、心労のあまり崩御なされてしまったのです」

 語る輝李香の顔は血の気を失って青さの透ける白と化していた。

 先程虹也に言ったように、輝李香にとっては、その記憶はまだ飲み込めない物なのだろう。

 この国で育っていない虹也には帝と言ってもいまいちピンと来ないが、調べた限りではこの国全体を守護する祭司の長であり、要であるとの事だった。

 帝と言っても政治的な立場は薄く、決して表には立たない。

 不思議な地位だと感じた事を虹也は覚えている。


 それにしても……。

「外国が責めたってどういう事なんですか?国内の氏族を失ったというのは、この国の内部だけの問題でしょう?」

 輝李香の言葉には強い違和感があった。

 だが、そういえば、以前墨時も似たような話をしていたと虹也は思い出す。

(確か、難民の受け入れを認めさせられたとかそんな話だったような)

 捜査部で会った変な医師は何やら酷く憤っていたようだった。

「それこそが月詠みの姫の名声の産物です。彼女はたった一人で世界の法則を変えてしまった。幸いそれは暴力的な物ではなく、平和的な意志によるものでした。ですが、そのせいで、詠み手は世界から良くも悪くも注目される存在となりました。小さい島国である我が国が他国の侵略や圧力をはね除け、独立独歩の気風を貫けたのは、その力への畏れがあったからなのです。それが突然に当代と次代を失い。その空白期間を狙って脅迫じみた外交を仕掛けられたのです。詠み手の力は世界の宝でもある、それをむざむざ失わせるような国には任せておけないと、血統を分散保存するべきだと」

「物かよ」

 無意識に虹也は口汚く罵ってしまい。はっとして口をつぐんだ。

 他人ごととして聞いていた虹也にすら、それは理不尽な話に聞こえる。

 ましてや当事者たるこの国の人間がどれほど憤ったかは想像に余りあった。

 輝李香は微笑を浮かべてそんな虹也を見て続ける。

「勿論、血統流出など論外の話です。しかし、明鏡の当代不在という不測の自体に対応しきれず、とうとう他国人の受け入れをゴリ押しされてしまったのです」

「帝は、その心労で亡くなったのか?」

 虹也の言いようが不敬に感じられたのか、輝李香は少し咎めるような目を向け、しかし、言葉では咎めないまま無言で頷いた。

「それだけでは勿論ありません。玉帝にとって明鏡は比翼の片割れのような者、それを失った心痛は余人には推し量れません」

 この辺りに来ると、虹也にはもはや理解出来ない感覚だ。

 色々と調べはしたものの、この国の帝やその周りに侍る詠み手等の在り方という事については、かなり曖昧にぼかされている。

 上位の人々が国を治める詳しい仕組みは門外不出なのかもしれなかった。

 そんな、意識を共有出来ない虹也の気配を感じたのか、輝李香は虹也の無知を補うように、帝についての説明を始めた。

「この国では帝は民に君臨する者ではありません。柱と言いましたが、まさにそれ、玉鏡二柱はこの国を支える人柱なのです」

「人、柱?」

 その不吉な響きに虹也は驚いた。

 もしかするとこちらでは意味が違うのかもしれないが、日本で人柱といえば生贄の事である。

「そうです。帝は戴冠なされると玉帝城という城とは名ばかりの極小さな庵のような場所にお籠りになります。そして、その後一生、その城から御出にならず、国全体へ魔術の網を張り巡らせる御役目を全うなされるのです」

「一生出れない?」

「そう、そして他の者はその城へ入る事は出来ません。唯一謁見の間で御簾越しに会話が出来るのみなのです」

「どうしてそんな?」

 虹也は自分の常識が余りにもこの国のものと違う事に驚いた。

「この国の成り立ちはご存知ですか?」

「あ、神話なら。世界を守った竜の遺骸を守る為にその遺骸の上に国を建てたとか」

「そうです。つまり帝は竜の守護者なのです。世界を守っていただいた感謝の為に我が身を捧げた。それがこの国の初代の帝と鏡であり、代々その御役目を引き継いでいるのです」

 今度こそ虹也は絶句した。

 あの建国神話を読んだ時には、そんな綺麗事だけの物語があるはずが無いと思っていた虹也だったが、この話が事実なら綺麗事どころの話ではない。

 そんな献身が本当に有り得るのだろうか?という信じ難い気持ちと、同時に、この国の人間が帝を語る時の理解し難い熱っぽさの意味がなんとなく分かる気がしたのだった。

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