音も振動も無い乗り物は、もはや動く部屋である。
車は座席側に全く窓が無く、外の様子は扉の内側をスクリーン代わりに映し出されるようになっていた。
呆れた事に運転席とのやり取りもスクリーン越しになっているらしい。
それらの全ては、虹也が座席に座った時にテーブル上に現れた、女性の姿のナビゲーターが案内してくれた。
その説明は丁寧で、ある程度の知識があれば子供でも分かるようなものであったが、さすがにいきなりの事で虹也はしばし思考が追い付かずに固まってしまい、しばしそのナビゲーターを見詰めていた。
しかし、そういう物だと理解すれば後は順応は早い。
ナビゲーターが示す案内メニューの確認を進めて、虹也はすぐに大体の概要は理解したのだった。
ただ、頼めば簡単な飲食物まで提供されると知って、虹也は別の意味でまた呆れる事になったが。
「これって、後部座席は完全に隔離されてるよな」
虹也は車両の乗客席の構造を大体飲み込むと、そう呟き少し不安を感じもしたが、内部の乗客への気の配り方を考えれば、それは虜囚としてではなく、保護すべき対象としての扱いに違いない。
つまりこの車を常用している者は、外部からもたらされる危険を予想しなければならない者だという事だ。
デンジャラスである。
「そういう世界って全然想像もつかないな」
こんな個人用装甲車のような車、一体どれだけの費用を掛けて作られているのか虹也には想像もつかなかった。
そもそも、金額などが気になる時点で虹也には遠い世界なのだろう。
虹也がそうやってマニュアルのような物を確認している間に、ふと気付くと扉の風景の表示が消えていた。
「申し訳ありませんが、ここからは保安上の理由で外部映像を遮断させていただきます」
ナビゲーターの女性の声が穏やかにそう告げる。
という事は今消えたばかりなのだろう。
それにしても、と虹也は思った。
モノは映像なのだから、差し支えの無い物に差し替えて流せば、乗客には気取られる事もなくやりすごせるだろうに、律義な事だと。
だが、そもそもはこれはシステムなのだから律儀なのは当然といえば当然であった。
「それにしても話し相手もいないし、一人じゃちょっと退屈だよな。どのくらい時間が掛かるのかも分からないからせっかくの飲み物に手を出して良いかどうか判断に困るし」
虹也はふと気付いて、今は用事が終わって姿を消しているナビゲーターを再び呼び出す。
テーブルの上にあるホテルの呼び鈴みたいな物が呼び出しスイッチになっているのだが、雰囲気を重視しているのか、その形はアンティーク物として通用しそうな代物だ。
チリンという音と共に、ナビゲーターの女性映像はすぐに立ち上がった。
「はい、同行案内ノ壱です。何か御用でしょうか?ご指示は口頭又は書体にて承ります」
「口頭はともかく書体っての面白いよな、こっちってキーボとか無いのかな?まあ口頭で問題無いし、俺の書く文字はこっちだと違ってる場合があるから使えないんだけど」
虹也は備え付けの応接テーブルの中央に、まるで可愛らしい小人のように佇む女性の姿に向けてぺこりと頭を下げた。
「口頭でよろしくお願いします」
頭を下げたのは殆ど無意識の行動だ。
恐るべき日本人の性というべきか。
実の所、最初の調べ物は提示された案内書を開示するだけだったので、この女性型のナビと会話もどきをする必要が無かったのだが、虹也はシステムと会話するという事に妙な緊張を覚えていた。
「あの、到着までの時間は分かりますか?」
なので、つい敬語になってしまう。
「到着、時間、ですね?」
やや独特のアクセントだが、これはおそらく言葉の中の質問の単語を確認しているのだろう。
システムをそう理解した虹也は、「はい」と答えた。
「了解致しました。予定到着時間は午前十時二十三分、現在時刻午前九時七分ですので、一時間十六分がおおよその予定所要時間です」
「おー、ありがとう、凄いな」
予定時間を到着と予定所要時間両方と解釈して教えてくれるナビゲーターの性能の高さに、虹也は感動すら覚える。
「それでは快適なひと時をおくつろぎになってお過ごしください」
しばし佇んだ後、もう用事が無いと判断したのか、女性の姿をしたナビゲーターが消える。
「まあ一時間以上あるんならお茶を楽しんでも時間が余るな」
それを見送った虹也は、メニューから適当な飲み物を選択してオーダーする事にした。
ついでに食べ物らしき物も頼む。
「車とは思えない内装だし、揺れないし、こうやって外の景色が見えなくなったらちょっと狭い内装の良い小部屋に閉じ込められたみたいな気分になるな」
ほとんどタイムラグもなく注文の品物がテーブル内部から現れる。
熱々のティーポットなどは明らかに陶器でありコードなども無いし、内部の熱さに対して外側は熱くなっていない。
どうなっているのかを知りたいぐらいだと虹也は思ったが、設備の説明はともかく、さすがに仕組みについては開示されていなかった。
虹也はお茶を飲みながらチーズっぽい物を摘む。
何かいたたまれないものを感じた。
「そうだ、ミニゲームみたいなのがあったっけ」
例の登録をしたゲームに付属してきた端末用の簡易ゲームがあったのを思い出した虹也はそれにアクセスしてみる。
この車内は結界なる物が張られていたはずだが、端末は問題なく繋がった。
結界にも種類があるのかもしれないと虹也は推察する。
あるいは、結界があると感じた虹也自身の間隔が間違っていた可能性もあった。
ゲームは、飛び回るボールの中に何色が何個あるかを当てる単純な物だったが、その単純さに反してなかなか難しいミニゲームで、暇つぶしとしては、それなりに楽しむ事が出来た事に虹也はホッとする。
「あれは三色が限界だよな。なんだ五色とか七色って」
結局、飲食物に関しては、後から請求される事を恐れて高そうな物は頼めなかったのは、なんだかんだ言っても所詮は庶民という事だろう。
そうして過ごした時間は、虹也からしてみれば間延びした時間のように感じられたが、逆に到着が近付くとたちまち緊張が蘇った。
残りの時間が十分を切ると、端末から外部へのアクセスが唐突に切れる。
シャランと、オルゴールに似た小さな音が、何かの曲の冒頭を切り取ったような短い音の連なりを奏で、ナビゲーターの女性が再度姿を現した。
「しばしのご移動はいかがでしたでしょうか?間も無く到着です。身だしなみのお直しが必要な場合は姿見をご利用になれます」
「それは助かるな。姿見を頼めるか?」
なかなかに気の利いたはからいではある。
考えてみればこの車両の主はそれなりの立場にあるのだろうから、身だしなみを常に整える必要があるのだろう。
「承りました。少しの間位置の固定をお願いいたします」
位置の固定というと動かなければ良いのかな?と、虹也はぴしりと動きを止める。
約三秒程だろうか?その程度の体感の間を置いて、虹也の目前に鏡が出現した。
それは、どこから支えられている訳でも無く、空中、虹也の眼前に在る。
「これもホログラムか、それにしたってどうやって鏡として機能してるんだろう?……まあ良いか」
到着まですぐというなら急いで最低限の体裁を整えなければならない。
虹也は、空中にある以外は、まるで普通の鏡のように見えるそれを使って、長い車内での時間にやや着崩れた着慣れない礼服と、それに合わせて整えて貰っていた髪を軽く直した。
「車が停車いたしました。扉の前を投影いたしますのでご確認の後開閉をお選びください」
テーブル上に表示されるナビゲーターの女性が頭を下げるのと同時に、左手の扉に外の情景が映し出された。
どこかの庭だろうか?青々と茂った広葉樹と、その下に小さな水場が見える。
と、その風景、すなわち扉の前に、最初に虹也を車に招き入れた初老の男性が立って一礼するのが見えた。
扉の手前に開か閉かという選択肢が表示される。
どうやら中に乗客がいる場合、扉を開くかどうかは乗客が選択出来るという事らしい。
「どうでも良いけど、この車って初めての人間が一人で乗るのってけっこう無茶なんじゃないか?」
強固なセキュリティのせいか、どうも独自機能が有り過ぎる車両に溜め息を零しながら、虹也は開の文字に触れたのだった。




