日常と非日常
虹也が観察した所、その遊具の前には遊ぶ順番待ちの列は無く、周りにいるのはほぼギャラリーのみのようだった。
(人気はあるみたいなんだけど……?)
ギャラリーの盛り上がりと列が無い事との違和感があった虹也だが、その疑問は料金投入口を確認する事で氷解した。
そこにはこう説明があったのだ。
『プレイヤー登録を行なってください。
ワンプレイで500カンテラになります。
お一人様5回分まで一回でチャージ可能です。
登録が終わりましたらご自由にスタンバイください開始5分前にアラームにてお知らせ致します』
その説明文の下に支払い用チャージリング、更にその下に浮かび上がる数字のカウンターがあり、現在の待ち人数を表示していた。
『ただいまの待機プレイヤー16人』
虹也の予想通り人気なのか、それなりに待ち人数がいるようだった。
「順番待ちで並ぶより登録しておいてお知らせがある方が親切ではあるよな。あっちで言う所の整理券システムか」
虹也は、今日は手首に貼り付けておいたカードをリングの光に翳した。
ちなみに、なんで手首にしたかというと、腕時計の感覚の方が馴染みがあると思ったからである。
花びらが開くようなエフェクトが展開して、普段と違うフォントでのメッセージが浮かび上がった。
『遊技場、「空の勇者」のプレイヤー登録を行いました。利用料金500カンテラが移譲されます。取り消し変更の際は左転2央1により再設定が可能です』
「また新たな謎が生まれたぞ」
説明文中に分からない部分がある。だが、もはやその辺は慣れたものだ。
虹也は次の登録者の為に場所を譲ると、自身の端末カードにそのまま表示されている『左転』の部分を囲むように丸くなぞった。
ふわりと光が散るエフェクトと共にメッセージが変わる。
『左転:左回転操作、ほとんどの場合再設定に使われる』
なるほどと虹也は思った。
ややニュアンスが違うが、PCにおける『BackSpace』ボタンに近い。
同時に、虹也は自分が円を描く時に、無意識に右回りに描いていた事に気付いた。つまりは時計回りである。
「右利きだからそうなるのかな?って事はこの仕様も右利きに合わせてあるって事か」
自らが右利きであり、自分が疑問を感じずに使えていたという事実から、虹也はそれが一般仕様として使われるぐらい普通であるのではないか?と推測した。
元々昔には交流があった世界同士、共通の文化を持っているのだから、ここでも右利きが一般的なのは別におかしな事でも無い。
文化的類似点を自分なりに納得すると、虹也は『空の勇者』というらしい、少々大仰な名前の遊具を少し離れた場所から覗って、次の行動に迷った。
「さてと、どうするかな?」
しばしここで他の人のプレイを見ながら順番を待つのも良い。
初めてやる物だし、事前に他人の動きを見てイメージトレーニングするのは賢いやり方だろう。
しかし、既に時間は昼を回っていた。
健康な若者として当然な事に、虹也はやや空腹を感じ始めていたのである。
出来れば運動する前に何か軽く口にしたいという思いがあった。
「う~ん、さっきの食事処しか食べる場所はないのかな?」
転移の場所まで戻って別の階層(?)に移動して食事を摂るのはかなり時間が掛かる。下手すると途中で順番が来かねないという不安があったが、他に無いのなら仕方がない。
そう思い、元来た場所へと体を返し掛けた虹也は、ふと、自分の横を流れていった光の帯に目を止めた。
『甘芋ただいま出来たて!休憩処へお寄りください!』
その文字は丸文字POP調でそう謳っていた。
「休憩処とかあるんだ」
なるほど、スポーツやゲームに興じれば喉が渇きお腹が減るものだ、図書館でも飲み食い出来る文化なのだからむしろあって当たり前なのかもしれない。
虹也はそう考えると、視線を中空に向けて案内図を呼び出した。
「全く、嫌な事件が多いな。そう思わないか、相棒」
「目一杯嬉しそうに言われると同意したくないな」
墨時の仕事上の相棒である彩花の足元では、あまり馴染みの無い異形の者がジタバタと暴れている。
顔立ちはなんとなく愛嬌があるが、背を覆う甲羅という自前の鎧と、金属にも匹敵する鋭い爪を持つ森林種族だ。
肉食でこそないが、その種族的剛力もあいまって、非常にやっかいな相手だった。しかし、半分だけとはいえ、吸血種族である彩花に力比べで敵うはずもなく、今は完全に無力化されている。
墨時は、その踏まれている相手に、自ら膝を折って目を合わせた。
「この半年程術紋起動部を狙って車を荒らしてたのはお前だな」
「シ、シルカ!」
たどたどしい言葉で不貞腐れたように否定する相手に、墨時は肩を竦めて見せる。
「現場逮捕だからな。言い逃れは無理だと思うぞ」
その、どこか労るような物言いに、相手はまたひとしきり暴れ、罵りの言葉を喚いた。
「オマエラハ イツモソウダ! カッテニキメテ ナニモウケイレナイ!」
「そりゃあお前さんも犯罪行為に至る理由とか事情とかあったんだろうけどさ、結局やった事の結果ってのは自分で始末するしかないんだよ。って事で確保っと」
墨時の手の甲の上に立体的に立ち上がった二つの紋様陣が目標に対して展開される。
途端に、踏まれていた森林種族の男は、まるでいきなり見えない何かで縛られたように硬直した。
「いてっ!」
同時に、彩花が急に引っ張られたように動いたハイヒールに足をとられてたたらを踏む。
「へえ?あたしを巻き込むとは良い度胸じゃないか?」
「おおすまん、設定が甘かったか」
墨時の取って付けたような言い訳に、絶対わざとだとブツブツ言いながらも、彩花は犯人から足を離した。
そこそこ長い付き合いから、墨時が必要以上に犯人をいたぶる彼女の性癖に警告をしたという事が分かっているのだ。
「今や犯罪者の7割は移民や違法滞在者だ。そのせいで差別はますます酷くなり、差別によってひねた奴が起こす犯罪は増える。商売繁盛だあね」
「やめろ、ゲンナリする」
正に悪循環という現状は、今やこの国の人間の共通認識でもある。
行き詰まりを何とかするのは国家の上層部の仕事だが、実際に水際で事に当たる者である墨時達には頭の痛い話ではあった。
「そうそう、移民と言えばあの坊やどう?謁見を控えてブルってる?」
彩花は紅い口元をぺろりと舐め上げる。
墨時はそんな彩花に警告を込めた視線を向けた。
「嗜虐癖もいい加減にしないと、いずれ後悔するぞ」
「ふ~ん、なら後悔させてみなよ」
彩花の、ほとんど凶器のようなヒールの先が足元の犯人の男へ振り下ろされる。
それが突き刺さる、と、見えた瞬間、ハイヒールの軌道は甲高い音を響かせてずれ、攻撃は不発に終わった。
「ヒイイ!」
とはいえ、よほど怖かったのか、犯人の顔が恐怖に引き吊りはしたが、だが、それだけだ。
「ちっ、」
「てめえのやる事なんざお見通しなんだよ、単細胞」
「ああ?」
その場に巻き起こる暴力の気配は、もはや誰が犯罪者か分からない有様だった。
そんな異常地帯のど真ん中で転がっている犯人の男は半泣きである。
「坊やはあれで結構猛者だよ。毎日冒険気分でうろうろしてる」
「へえ?自分の価値が分かっててかい?そりゃあ良い。ふん、なるほどね、あんたら結構似てるんじゃないかい?もうこのまま弟で通しちまったらどうだ?」
「まったく、世の中がお前の頭ぐらい単純だったら良いな」
ヒュンと空気を切り裂く軽い音と共に、墨時の前髪が数本落ちる。
「あんたはさ、外には強いけど内に弱い。あたしはね、自分の周りをまず守れない男ほど愚かじゃないよ」
そう言って鼻で笑うと、彩花はにぃっと紅い唇を歪ませたのだった。