真実へと至る道
「ん、でもさ、今回は治安通しなんだろ?そう心配する必要は無いんじゃないか?」
深刻な顔を突き合わせあった後、誠志はふいにそう言った。
「治安って?」
虹也はその響きから大体の当たりは付けながらも確認の為にそう聞き返す。
「軍の治安維持部隊の事さ、軍隊つうと余所の国だとだいぶ暴力的な組織らしいけどさ、うちは基本的に防衛一点張りだろ?だから武力に劣る分、情報戦は得意らしいぞ」
当然の事ながら虹也にはこの国の軍隊の有り様など分からないが、別にそれには拘らずに話に乗った。
「武力には劣るんだ」
「攻撃は苦手なだけだ、弱い訳じゃないぞ!」
種族間の交流を望む誠志でも母国への贔屓はあるらしい。ムキになって抗弁するのを虹也は笑って宥めた。
「そっか、ここの警察……っと治安は信頼されてるんだ」
「まあな、行政機関の一部とはいえ軍は帝にほとんど直結してるし、そうそう腐ったりはしないと思うぜ」
(帝か……)
虹也は日本で暮らしていた時に特に意識した事は無かったが、日本にも天皇が存在していた。
両親などはTVに映るその姿を『陛下』と呼んで敬愛しているようだったが、虹也自身にはそういう両親を通しての記憶しか無い。何しろ実生活に直接関わりの無い相手であったからだ。
一方でここの帝は誠志の話から察するに、ある程度政治的にも君臨しているようであり、敬愛もされているようだった。虹也としては新鮮な感覚である。
「俺はこの国の事はよく知らないけど、そうだな、保護者になってくれた捜査官は信じても良いかな?とは思ってる」
「なら話は簡単だな、その人と話してみればい良い。なにしろ専門家なんだしな」
誠志の言葉は尤もだった。
(そうか専門家だったな)
あれでもと続けそうになって、さすがに虹也は自重した。いくら胸の内でも失礼だろうと思ったのだ。
「確かにそうだな、うん、専門家に相談してみるよ」
「確かにそうね、お兄はイマイチ頼りないけど本職の人なら安心だもんね」
「ちょっと待てや、今さらっと聞き捨てならない事を!」
「なんか知り合ったばかりなのに色々ありがとう、凄く助かったよ」
またも兄妹漫才を繰り広げようとした二人に先んじて、虹也は改めて礼を言った。
実際助かったどころの話ではないが、あまりに畏まって礼をするのも違う気がするのでなんとなくあっさりとした物言いになってしまう。
「まあ良いって事よ。色々今は大変そうだけどさ、一段落したら茶会に参加してくれよ」
笑って約束を交わし、お互いの元符に親交登録というアドレス交換のような登録を済ます。
世界が違っても友達というのは良いものだと、虹也は改めて噛み締めながら帰路に着いたのだった。
「ただいま」
「お帰りなさい!」
面倒臭いセキュリティの手順を踏んで、墨時の宿舎に戻る。
虹也としてはやや気恥ずかしくもあったが、迎えてくれる相手がいるのはやはり嬉しかった。
「待ってたのよ!で、どうだったの?」
しかし、白いふさふさの尻尾を千切れんばかりに振った銀穂に捕まった途端、全ての感傷は吹き飛んだのだった。
墨時は重くなる足取りを意識的に早めた。
気が重いのは確かだが、それよりはなるべく早めに問題を共有した方が良い、そう判断しての事だ。ただでさえ虹也はこちらでの空白期間が長いのだ。
生活環境が違えば当然常識も違う。危機的状況に立った時に判断に使える知識はなるべく多い方が良いに違いないのである。
実際、どうやら虹也の暮らしていた場所には異民族はいなかったようだし、氏族やリングの事すら知らなかった。護符の一つも持っていなかったのには驚いたが、恐らくはどこか強固な結界に守られた隠れ里に住んでいたのだろうというのが課の一同の一致した見解だったし、墨時も同じ意見だった。
「ただいま」
慣れた手順で室内の人数を把握してなんとなく墨時はホッとした。
相手の立場が圧倒的に有利な状況で先走る事は無いとは思っても、不安は不安としてある。
いくら安全性の高い街中だろうと、こんな事なら一人で外出させるべきでは無かったなと、帰る道すがら後悔を覚えた墨時ではあったのだ。
「ただいま」
玄関に入り、もう一度帰宅の挨拶を繰り返す。
「お帰りなさい」
帰宅時に返事をくれるのはいつも通りだが、今日の銀穂はどことなく弾んでいた。
銀穂は今でこそ家で墨時の帰宅を待つおとなしげな家人然としているが、元々は自分の家を飛び出して、境界生活者の若者衆の頭となる程の激しい気性の持ち主である。
多くの草原種族がそうであるように直情性向なのである。なので遠慮というものを知らない。
降って湧いた物慣れない青年など、良い具合に弄り倒されている可能性が高い事に今更ながらに思い至る墨時だった。
「ぎん、お前コウで遊んだんじゃないだろうな?」
上がりしなにそう聞く墨時にその尾を軽く絡ませながら銀穂は含み笑った。
「なに?ヤキモチ?」
「んな訳あるか!」
銀穂の尻尾は撫で回すように墨時の太股に絡み、その感触の誘惑に負けて、墨時はついその根元から背に掛けて撫で上げた。
「あん」
銀穂は吐息と鼻声が混ざったような声を上げる。
その声に、墨時の顔には愉悦を含んだ笑みが浮かんだ。
軽く抱き締めるように抱え込んで、銀穂の白銀の毛並みを撫で付けながらその耳元で囁く。
「なんだ?寂しかったのか?」
「だめ、その手には乗らないから」
「どの手になら乗るんだ?」
そんな風に囁き合う二人をじっと見詰める存在に墨時は気付いた。
玄関から続く廊下で、虹也が二人の様子を窺っていたのだ。
虹也は墨時に気付かれたと悟ると、至極真面目な顔でその場に姿勢を正して正座をした。
「気にせずに続けてください、後学の為に拝見します」
墨時はイイ笑顔で虹也に歩み寄ると、その脳天に拳骨を落としたのだった。
「まだ痛い。暴力による教育は卑屈さを与えるだけで何も生み出さないよ」
「お前は少し卑屈なぐらいが丁度良いんだよ」
「いやいや卑屈は駄目だろ。全く、エロエロ大王は頭が残念だな」
「エロエロ大王ってなんだ?なかなか良い響きだな」
「気に入ったなら今後はそう名乗りなよ」
「ふむ」
まんざらではなさそうに無精髭の生えた顎を撫でる墨時を横目で見つつ、虹也は大皿に盛られた肉の大振りな一片を掠め取る。
「あ!ずりぃぞ!コウ!」
「油断大敵」
そんなじゃれ合いを呆れ混じりに見ていた銀穂だったが、唐突にその両の手を合わせて声を上げた。
「そうそう聞いて、コウちゃんたら早速彼女を作ったのよ」
その言葉に虹也は口の中の肉を噴き出し掛け、慌てて飲み込んだ。
「なんだと!とんだ女ったらしだな!」
墨時まるで頭の堅い頑固親父さながらに厳めしい顔付きで評する。
「彼女じゃないから、それとお兄さんを無かった事にしないであげて銀穂さん」
「そうね、身内の反対による障害は定番だものね」
「ぎ……銀穂さん」
どうやら脳内で展開するドラマで盛り上がっているらしい銀穂から、虹也は恐ろしいものを見たようにスッと目を逸した。
「ほほう全く隅に置けないな」
だが、そんな風に尻馬に乗る墨時には、虹也はつばを飛ばす勢いで説明した。
「友達だから!困っていた所をお兄さんに助けて貰って、その縁で妹さんとも知り合っただけだから!」
「なんだ、何に困ったんだ?お前には頼りになる保護者がいるんだから俺に相談すれば良いだろ?今時何の下心も無しに見知らぬ相手関わるなんざ余程の物好きぐらいしか居ないぞ」
「物好きの方らしいよ調整官を目指してるって言ってたし」
「そりゃあ奇特な奴だな。有望な人材だ」
「種族差別ってそんなに厳しいの?おっさんと銀穂さん見てると信じられないんだけど」
「差別ってえと大仰だが、単純に言えば習性による違いだな。肉食の種族と草食の種族は捕食者と被捕食者の関係だったり冬眠する種族がいたり空や水中で生きる種族もいる。だから皆それぞれ棲み分けていた訳なんだが、人類は増え過ぎてそうも言ってられなくなった。お互いが干渉し合った結果、全種族を巻き込むような大戦が二度起こり、流石に懲りて世界同盟が発足したんだ。だがそうなると当然ながら今度は交流が盛んになる。交流すればお互いの差異が気になり出す。その連鎖が延々と続いてるんだな」
「単純な事だからこそ難しいんだね」
「おっしゃる通り」
虹也の賢しげな言い様にニヤニヤする墨時にひと睨みくれて、虹也は今度はいかにも美味しそうに野菜にくるまっているソーセージをさらった。
「いやいやコウくん、一番美味そうな所は家長に譲るもんだろ?」
「ニヤけ面がだらしなくて家長っぽくないから気付かなかったよ」
「二人とも子供じゃないんだから、いい加減にしな!」
銀穂はそう言うと、一番大きい骨付きハムを皿から抜き取って口に運んだのだった。
「伝言は見たか?」
食事の後、墨時は虹也を書斎に誘った。
踏み入った書斎の紙とインクの匂いが、ふと虹也の脳裏に父の面影を浮かばせる。
『コウ、書物は真の意味で人類の宝だ。それを手に出来る幸福を決して当たり前の事と思ってはならんぞ』
「コウ、聞いてるか?」
父とは全く違う若々しい声が同じ呼び名で虹也を呼んだ。
「ああ、うん」
「怪しいな。お前自身の事なんだからちったあ真面目に聞いとけよ」
「お、おう」
答えて、虹也は意識を切り替えると疑問をぶつける事にした。
「実はさ、その友達とも話したんだけど、昨日の今日で探し人っていうか俺を探していたって相手が見付かるのは早過ぎないかと思って」
「呆れたな、今日知り合ったばかりの相手にそんな突っ込んだ相談までしたのか。まさかと思うが偽装を外して見せたりしてないだろうな」
我が目を指差してそう言う墨時の指先からさり気なく視線を外しながら、虹也は首を振った。
「それは大丈夫だ。いくらなんでもあそこまで特別だと念押しされてあえて晒す勇気は俺には無いさ」
「それなら良いが用心はしておけよ」
「例えば生体部品として狙われるから?」
虹也がそう口にした途端、墨時のまなざしが剣呑な物に変わった。
「誰から聞いた!?」
強い詰問に、しかし、虹也は落ち着いて答える。
「その友達になった兄妹の妹さんがなんか魔眼とかで、何度か誘拐され掛けたんだって。んでそういう事に詳しかったんだ」
虹也が説明すると、墨時は今度は目を丸くした。
(忙しいな)
虹也は呑気に心の中でそう評した。
「そりゃあまた驚きの出会い運だな」
「やっばり珍しいんだ」
「魔眼はなあ。色々と特殊だからな。種族的なもんなら良いが、それ以外だと辛い目に遭う事も多い」
「やっぱそうなんだ。おかしいと思ってんだ。逢っていきなり魔眼の説明されたし」
「そっか、それなら危険じゃない方向の力だな」
そう言い当ててみせる墨時に、虹也は重ねて追求する。
「危険な場合はどうするのさ」
「危険な種類の魔眼は判明した時に封魔処置が取られる」
「封魔って?」
「簡単に言うとリング部分にカバーを被せるんだ。完全に効力は無くせないが威力は削れる」
「そんなに危険なの?」
「まあ、相手を硬直させたりするのはまだ可愛いぐらいだな」
「えーと、もしかして石にしたりとか?」
「ゴーゴンの呪いだな。そういう有名になりすぎたのとかがあるんで排斥される場合も多いんだが、一番の悲劇は本人にすら意識して使えないって事だ」
「自由に使えないって事?」
「というか常時発動状態なのさ。瞼を閉ざさない限り」
「それは……」
青華のような能力なら多少の不便はあってもそう問題にならないかもしれない。しかし、他者を害する力が常時働いているというのは恐ろしい話だ。
なによりまず最初に犠牲になるのは家族や親しい者だろう。
本人にとってみれば呪いに他ならない。
「なるほどそれは隠すよね。彼女が慌てて説明する訳だ」
「最近は出産前に大体の固有能力は判別出来るから悲劇的な事故は減ったけどな」
そこで話を一旦切り、墨時は持ち込んだ茶を淹れるとそれぞれの前に置いた。
一口湿らせると、いよいよといった風に切り出す。
「さて本題のお前の身内として名乗り出た相手に関してだが、状況から鑑みれば明らかに怪しい。だが、俺はかなり当たりの可能性が高いと思っている」
墨時の言葉に虹也はやや驚き、次いで何かを悟った表情になった。
「俺の知らない条件があるんだね」
「ん、こっちじゃ有名過ぎる程有名な事件があったんだ。お前が何処かへ飛ばされた頃にな。国の存亡に関わるような大事件だ、あらゆる情報に網が張られている事は間違ない」
「えっと、偶然じゃ?そんな大事に関係ないと思うんだけど」
虹也の記憶にあるのは自分と姉の姿だけだ。二人とも国をどうこうするには若過ぎた。
あくまでも虹也の主観だが姉は二十歳に届かないぐらい、自分は五歳程度だったろうと見ていた(発見時の推定年齢が自分の年齢の基準である)。
そして彼等の身に降り懸かった事態といえば火事である。
彼等自身にとっては大事だが、いってみれば良くある不幸な事故に過ぎない。
(いや、あの時姉様は何か……)
虹也の脳裏に痛みと共に蘇る情景があった。
『まさか?そんな……』
それまでまだ余裕のあった姉様の顔に浮かぶ驚愕、そしてそれは絶望に染まり掛け、すぐに現れた強い決意に染め変えられた。
姉様の見ているのは炎の壁と化した窓の外。
僕はまだ を持たない自分の無力を噛み締めていた。
「おい!コウ!」
パンと目前で打ち合わされる大きな手に、虹也はビクリと身を引いた。
「なんだ?急に」
「聞きたいのはこっちの方だ。急に空ろになったような顔をするから心配しただろ」
「あ、ああそっか、今ちょっと昔の記憶が戻って」
「大丈夫か?おい。施術師の言うには急激な記憶の回復も本人の精神には危ない場合があるらしいからな」
「それは大丈夫だから、気にしないで。で、なんだったっけ?」
「本当に大丈夫かあ?話を続けるぞ?」
「どうぞどうぞ」
過去と現在の感覚に翻弄されながらも、そんなお笑いネタがあったなと思い出した自分を笑いながら、虹也は頷く。
「お前の話した記憶にある火事の話もその事件に当て嵌まるんだ。時期と事件、しかもお前のリングがノーブルリングって事を考えるともはや確定と言って良いんだなこれが。俺はそうじゃない事を祈りたかったが」
「どうして?」
虹也は身震いするような寒気を僅かに感じ、思わず言葉を発した。
「どうしてそうじゃない方が良いとおっさんは思ったんだ?」
小さく息を吐くと、墨時は一度茶を口にした。
「それはこの事件のそもそもの胡散臭さのせいだ。大事件なのに犯人が分かってない。しかも、事件の詳細も、いや、事件だったのか事故だったのかさえ明かされてないんだ」
「おっさんは国のお抱えで、事件を扱うプロだよな?それなのにそんな話があるのか?」
「氏族ってのはやっかいな相手なんだ。俺らとは系統が違う権力体制に属していて、非公開不可侵、あらゆる見える見えざる防壁に守られた最高機密でもある。とうてい手出しが出来ん相手なんだよ。だから、コウ、お前がそちらに行ってしまうと俺は一切手出しが出来なくなる。俺としては事件がまだ解決してない現場に被害者を戻すなんてとんでもない話だし、ほんと、頭が痛いぜ」
墨時の言葉で、虹也は自分の置かれた立場を不完全ながら理解した。
おそらく虹也の身内だと申し立てて来ているのは氏族なのだろう。そして墨時達捜査官は氏族には手出し出来ない。あの火事が故意のものだったとしたらまた犯人が虹也を狙ってくるかもしれないのだ。
「その、氏族ってのの内部に犯人がいるっておっさんは思ってるんだな」
「……言い難い事を言わせる奴だな」
苦く笑って墨時は頷く。
「ああ、犯人が捕まっていないという事はそれ以外ないだろう。そうでなければ国の総力を上げてやっきになって解決してなければならない事件だからな。俺にとっちゃこの仕事に着きたての頃の事件で特に印象深かったし、同僚と色々と議論を戦わせたものさ」
虹也はしばしためらった末に墨時に告げた。
「実は今、思い出した事があるんだ。あの時、姉は窓の外を見て、あの火事がただの火事じゃないって気付いたみたいだった」
「なんだと、どのくらい思い出したんだ?その時お姉さんは窓の外を見てたんだな?窓そのものを見てたんじゃなくって?」
「ちょい待ち」
虹也は額をトントンと軽く指で叩くと記憶を掘り起こす。
「うん、姉は窓の外を見てた。赤い炎が壁のように窓の外を覆っていてその赤い色が姉の顔に反射してたのを覚えてる」
「炎が壁のようにだと?待て、それは窓の一部を覆ってたんじゃなくて一面全てを覆ってたのか?」
「うん、全部だ。窓の向こうに炎で出来た壁があるように見えた」
「なるほど、お前の姉さんがなぜそう判断したか分かったぞ」
「どういう事?」
「ある程度備えのしっかりとした家には耐火の結界が施されていて火事が起きても大きく燃え広がらないようになっているんだ」
「それは凄いね」
耐火ボードのようなものだろうか?と虹也は考えた。もしくはもっと積極的に消化を促す仕組みかもしれないが、虹也にその辺りを今知る術は無い。
「それが機能してないって事は結界が破られたって事だ。その場合は当然まず疑うは外敵だ。外から何者かが侵入して結界を破壊して火を施した。そう考える。だが、窓の外に炎の壁が出来てたって事は外に吹き出した炎が外の結界に阻まれてそれに沿って広がってたって事だ。普通なら下からの炎でも、燃えないガラスを厚く覆う事は出来はしないからな」
「外の結界?」
「家を覆うように掛けられる結界だ。具体的には遮断の結界といって空間を完全に分けてしまう仕組みなんだ」
「なるほどバリヤーみたいなもんか、もはや俺にはついていけない世界だな」
虹也は遠い目をしたが、直ぐに意識を切り替えて話しの続きを促した。
「つまり犯人は内部にいて耐火の結界だけを破壊して火を放ち、そいつが自殺志願者で無ければ外の結界を解除せずに逃げた。つまり内部のゲートを使って脱出したって事だ」
「ゲートってあれか、あの場所を移動する模様?」
「ああ、氏族は移動用のゲートを個人で所有してるからな。お屋敷にあったはずだ」
「あれってさ、行き先は予め決められた場所だけしか行けない物だよね?固定式だったし到着先にも同じ模様のゲートがあったし」
「そうだ。ゲートの移動には全く同じ模様の一組の術紋式が必要になる。固定して使うもんだ」
「犯人は身内って事なんだね?」
「結論を出すのは早いが、少なくともお前の姉さんはそう判断したんだろうな。最初から違和感はあったんだ。なんでお前を誰も知らないような辺境、もしくは異世界?へ飛ばしたのかってな。そりゃあ殺されるかもしれん身内の元へ自分の大事な弟を逃がす訳にはいかんわな」
その言葉に、虹也は墨時が自分の異世界から来たという言葉を、少なくとも全く信じてない訳ではなく、選択肢の一つとして頭に入れているのだという事に気が付いて、複雑な気持ちになった。
信じてくれるのは嬉しいが、今となってはそれはあの世界に対する危険の要因だ。
「それで、今はその身内から俺に会いたいって話が来てるんだよね?」
「必ずしもその身内とは限らないけどな、申し込んで来てるのは氏族といってもその事件の氏族とは別の一族だし」
「それってカモフラージュって事?」
「カモ?なんだって?」
「あー、本当の事を隠す為に見せかけだけ別の名前を使ってるんじゃないかって事」
「ああ、その可能性は高いな。何しろこの名前ってのは表に出てる下位氏族の名前で、現世と氏族社会の橋渡しの一族とか言われてるとこだからな」
虹也は押し黙って考えに沈んだ。
自分が何をしたいのかを考えてみたかったのだ。
姉の仇を討ちたいのか?元の世界に戻りたいのか?それともこの世界に自分の居場所を作りたいのか。
虹也自身の今の気持ちは遮二無二に元の世界に帰りたいという物ではなくなっていた。
手段が無いのは元より、もし手段が見付かれば、今度はあの世界を危険に晒す事になる。当然ながらこの選択は今の所保留するしかない。
ならば姉の事はどうだろう?
まだ記憶は完全ではないが、虹也は姉の事を思い出すと強い愛情と共に深い痛みを感じる。
自分の為に姉は犠牲になったのだという考えがどうしても拭えないからだ。
姉1人なら自分だけ脱出するのは容易かったのではないか?彼女は優れた術紋師とやらだったはずだ、実際幼い虹也を異世界に逃すという無茶を成功させていた。
だが、その為に姉は自らの脱出の為の時間を失ったのではないのだろうか?その考えが胸を締め付ける。
そして、その運命を強要した存在がどこかにのうのうと生きているのなら……。
「いや、そうじゃない」
虹也は頭を振って冷静さを取り戻そうとした。
「なんだ?何かまた思い出したのか?」
「あ、ううん、そうじゃないんだ。あのさ、おっさんは復讐って虚しいと思う?」
いきなりの虹也の発言に墨時は驚いたようだったが、直ぐに真顔になって答える。
「そうだな、結局傷付く相手を増やすだけの行為に過ぎないから虚しいといえば虚しいな。だけど、因果の法ってのがあってな」
「因果の法?」
「因が生じた場合それで生った果は収穫されなければならないって法則みたいなもんだ。それに照らせば復讐も理の内ではあるんだ。実際復讐事件の場合罪は軽減される。被害者には准断罪権があるとされているからだ。極端な場合罪に問われる事すらない」
虹也は衝撃を受けた。
だが、元の世界にもハンムラビ法典という似たような法があった事を思い出す。
あまり興味も無かったので流して覚えていたのでその内容に自信は無かったが、更に言えば日本にも仇討ちの法が何かあった気もした。
「で、お前としては復讐の為にあえて乗り込もうという気持ちなのか?」
墨時に言われて、虹也ははっとした。
改めてそう言われてみれば虹也自身の気持ちは冷えていく。
姉を悼む気持ちと犯人を憎む気持ちは近いようで遠い事に気付いたのだ。
相手を許せない一方で、そんな事をしても何一つ元通りにならないと理性が告げる。それよりも大事なのは……。
「いや、俺は知りたいだけだと思う。本当の事をまず知りたい」
復讐も何もかも気持ちの置所を見付けなければ始まらないのだ。
今の虹也は全てに中途半端であり、目前の恩人にも出来たばかりの友達にも施されるばかりで何一つ返せて居ないのである。
まずは自分のやるべき事を一つずつ消化するべきだろうと、両親の教えのままに虹也は思った。
その為には自分自身の事をまずは知る必要がある。
「そうか、まぁなんだ。こう言っちゃなんだけど、それを聞いて安心したよ」
ニッと笑ってみせるいかにも男らしい顔を見ながら、虹也は少々同じ男としての嫉妬を覚えた。
「その保護者面、何かむかつく」
「はあっは、悔しかったら早く独り立ち出来るぐらいになって安心させろや」
「そうなったら銀穂さんが俺に惚れるかもね」
挑戦的な虹也の言葉を墨時はフッと鼻で笑う。
「有り得ないな」
「はいはい、ごちそうさま」
虹也は肩を竦めてみせたが、その一方でこんな時にこんな風な会話が出来る事に対する笑いが自然に浮かんだ。
人間は逞しい。それでも足元を見失わないように進む為には明かりが必要なのだ。そしてきっと、その明かりを持つのは自分自身ではないのだろうと虹也は感じていた。




