裏の裏って普通は表なんだよね
「どちらにしろ、坊やは何らかの容疑が掛けられている訳でもなく、今となっては仮とは言え、認証された我が国の国民ですよ。本人の意向を無視しては何も出来ません」
墨時がそう結論付けると、東山も頷いた。
「それは当然だ。この通達も別に強制執行や召喚ではない」
墨時は溜めていた息をふうと吐き出すと、ポケットから取り出したカードを手にした。
「なんでそっち?」
相方の彩花が尋ねる。
「私用だからな」
「へえ?」
いかにも意外といった顔で彩花は笑って見せた。
「そんな話は初めて聞いたね。ギンちゃんにも普通にこっちから掛けてなかったっけ?」
彩花は自分の手をトントンと軽く叩いて見せる。
「あいつに一々そんな事やってたら面倒だろうが」
実の所、この場の全員が、墨時がなぜそんな事をするのかという事には気付いていたし、墨時の方も気付かれている事は悟っている。それは暗黙の了解に近いものがあるだろう。
軍の端末を介せば、それは全て集約機構に記録されるのだ。
それは暗号化された複雑な記録で個々の通信を読むような物では無いのだが、墨時としては今は気分的に使いたく無いのだろう。
「幼稚なやつ」
彩花の嘲るような煽り文句が言い得て妙だった。
「じゃあ纏めるけど、外苑部っていうのは、その、魔気の性質が放射に偏りがちで、地域的特色として常に争乱が絶えない。それから内奥地域は魔気の性質が圧縮寄りで地域的には独立民族が個別にお互いあまり干渉せずに暮らしていて、国としては大きな国は少ない。中間域は魔気嵐の発生が多くて、大半が砂漠地帯。居住民族は少ないながら存在はしてる。主な大陸は六つ。って事で良いのかな?」
「大まかに言うとそういう感じかな?もっと詳しく知りたい場合は地理学で調べれば色々と出て来るはずだよ。学術コミュニティへの接続方法は分かる?」
(接続って言うとネットみたいな感じなのかな?学術コミュニティってwikiみたいな感じ?いや、自分の常識で判断するととんでもない勘違いをするかもしれない)
虹也は「いや全然分からないや、簡単で良いからやり方を教えて」と頼んで基本の操作を教わった。接続の基本は検索とリンクで、認証等は無く、それぞれ読める所にだけ繋がるという感じだった。
考えてみれば端末自体が身分証明のようなものなのだ。それで普通はパスワードやIDを必要としないのだろう。
今後は単純な調べ物はこの端末から出来るとなればかなり助かる。
自分の世界の文明に近いこの仕組みに、虹也はちょっとした感動を味わった。
そして、ふと、趣味や友人同士のコミュニティも存在しているのだろうか?と、自分の住んでいた世界の掲示板のような物を思い浮かべる。
そんな事を考えながら、空中をタップするように端末を弄っていると、ふわりと紙が舞い上がって吸い込まれるようなアニメーション画像がホロ画像の片隅で繰り返されている事に気付いた。
「ん?」
「どした?」
「なんか表示が出てる」
どれどれと誠志が覗き込み、ああと頷いた。
「伝言が届いてるんだな。開示するにはこのひらひらをちょいと」
言いながら誠志がアニメーション部分をつつくと、縦書き形式のメールらしきものが表示された。
(縦書きなんだ。なにか新鮮だな)
メールの相手はどうやら墨時らしかった。まるで宛名書きだけを縦に並べたリストのような一括表示があり(一件以外はブランクだったが)、それを選択してぺらりとめくって本文が出て来る。
先程のメニューといい、ホログラムの画像なのに触れた感触があるのが不思議だった。
「えっと、なになに……」
墨時からのメールは簡潔で、しかし重大だった。
虹也の身内ではないかと申し出て来た人がいると言うのだ。
あんなでもさすがにこの世界の警察(軍?)は優秀だという事なのだろうか。だが、
(それにしても……)
いくらなんでも早過ぎないか?と虹也は思った。
なにしろ昨日の今日である。
この世界の記録や情報がどんな風に管理されているかは虹也の知る処ではないが、なんと言っても虹也がこの世界から消えたのは、十三年も前の話なのだ。
「どした?なんか悪い知らせか?」
浮かない顔をした虹也を心配したらしい誠志が声を掛けて来た。他人のメールを読まないようにか少し離れて待っていてくれたのだ。その彼の心配そうな顔に、虹也は慌てて首を振る。
「ああ、いや、保護者からの連絡なんだけど、俺を知ってるかもしれない人が見つかったって」
「えっ!?それって身元が分かったって事?おめでとう!」
青華が無邪気に我が事のように喜んでくれるが、虹也の複雑な表情を見て戸惑ったように口ごもる。
「なにか気になる事でもあるの?」
「警察…じゃなかった、捜査官の人が手配してくれたのはほんの昨日の話なんだ。俺が元いたとこから飛ばされたらしいのは十年以上前の話なのに、早過ぎないかと思って」
自分がこの世界の常識に疎い事を承知している虹也は、素直に出来たばかりの友人に懸念を打ち明けた。
三人寄れば文殊の知恵ということわざもある。
(そういえば丁度三人だな)
どうでも良い事に気が付いて苦笑する虹也だった。
「ああ、うん、なるほど、確かにそれはちょっと早過ぎるかもなぁ」
「言い難いけど、虹也さん、見た目が見た目だから心配ね」
兄妹はそれぞれに虹也の懸念に同意を返す。
特に青華の言葉は意味深だった。
「俺の見た目って?」
「ほら、言ってたじゃない、虹也さん明らかに氏族顔でしょ、しかもリングがあるからなんらかの能力持ちだろうって、見た目ではっきり分かるわ」
虹也の目のリング光はメガネで変色させてはいたが、見えなくなった訳ではない。
ノーブルリングという特殊な物とは思われないとしても、これは能力者の証であった。
「なるほど、能力者は需要があるんだ」
有用な者を欲するのは当然と言えば当然だろう。だが、その言葉を聞いた途端に二人の顔が微妙に歪む。
「えーと、なに?」
「実を言うと、昔色々あってね。ほら、私魔眼じゃない?でも攻撃的な物じゃないからうちの家族もあんまり気にしてなかったの、最初の内は」
どうやら過去に能力絡みで嫌な事があったらしいと気付いた虹也は、慌てて告げた。
「あ、なんか嫌な事を思い出させたなら……」
「あ!違うの。確かに良い思い出じゃないけど、知らないでいるのは凄く危険な事だから、聞いてほしいの」
青華がそう言うと、誠志も大きく頷いた。
「うちの国は身内意識の強い嫌外国家だろ?だから本来国内に限っては犯罪率はかなり低いんだ。お国柄もなんとなくのんびりしてるしね。んで俺等も例に漏れずお気楽だった訳だ。それがさ、こいつが何度も誘拐され掛けて」
「誘拐!?」
物騒な言葉に虹也はぎょっとした。
氏族とかノーブルリングとかどこか遠い言葉のように思っていた虹也だったが、急に生々しい犯罪に関わる現実を聞いて、否応無しに不安が実感を伴って押し寄せる。
「まぁ、幸いな事に相手がみんな他種族だった事もあって、目立ち過ぎて未遂に終わったんだが、今はちょっと情勢が変わってるからな」
数年前までは断固とした鎖国を貫いていたというこの国は、現在大きな変動期を迎えている。墨時から聞いた話から判断すると、いきなり開国したようなものだ。
こういう混乱期は往々にして犯罪が多発する。
虹也もTVの特番などで改革の途上にある国の現状をTV越しだが見た事があるし、もっと身近な話で言えば、彼の母国である日本でも、それまでの常識が全て変わった明治の頃や終戦直後には色々と法の手の届かない事件も多かったと聞く。
「それでさ、俺もその当時、まだ院生で何が出来るって訳でも無かったんだが、とりあえず敵を知っておこうと思って色々調べたんだよ。そもそもさ、能力者って色々いて、魔眼なんか相手を操る力があるのまであるんだぜ?そういう相手を言うなりにさせるって並大抵じゃないはずなのにどうするのか?とか考えたりしてさ」
「うん」
確かに、能力者がその力を振るった場合とんでもない事が起きるのは虹也も直に目撃している。
誘拐した所でその力をどうにかして制御出来なければ意味が無いだろう。
能力者を欲するという事はその能力を封じる訳にはいかないという事でもある。
「それで調べてたらとんでもないのが出てきてさ、おかげで心配のあまりその当時こいつに嫌がられるぐらい過保護になっちまって、街を歩けば恋人同士とか思われるし……」
「お兄!それ関係ないでしょ!」
誠志が何かしみじみと述懐すると、横にいた青華がツッコミを入れた。
良いタイミングだな、と感心しながら虹也は微笑み、少し緊張していた体から力が抜ける。
ゴホンと咳払いで場を改め、誠志は話を続けた。
「結論を言うと、どうも世の中には生体部品という物があるらしいんだ、これが」
苦々しい声と顔つきでそう言い、何かを思い出したのか一度ぶるっと体を震わせる。
「生体部品……」
何か聞くからに嫌な予感が押し寄せる言葉だが、聞かない訳にもいかない。
虹也は先を促した。
「俺らが院生時代は丁度術紋機が爆発的に進化した頃でもあるんだ。術紋が一部の天才的技術者のみの技術じゃなくなって、量産出来る体制に入ってさ、一般に普及したんだが、その一方で軍用とか研究用に使われる複雑で大掛かりな術紋機も発展した。んで、より複雑で精緻な術紋機を作ろうとする過程で、簡単に性能を上げる方法が発見されたんだ」
そこまで聞けば流石に虹也にも予想が付く。
「なるほど、それが生体部品って訳だ」
「ああ、能力者を術紋機の生きた部品として組み込んで、本人の意思を奪い、ただ機械的に術を動作させる為に使う方法だ」
「うわあ」
少し想像しただけでゾッとした。
機械に繋がれてただの部品として生かされ続ける。それはどんな地獄だろう。
本当に本人の意識が無いならまだ良いかもしれない。
だが、もし、術を発生させる為に本人の意思がある程度残されているとしたら?
そう考えて、虹也にも先程誠志が身震いをした理由が分かった。
彼自身の体にも、本人の意思とは別に震えが走ったからである。
虹也は、新たな知識が詰まった頭で、中空に投げ出されたまま固まってしまった手紙のように見える保護者である墨時からのメール文を、困惑したように眺めたのであった。




