平穏な午後
なし崩し的に、虹也は結局昼食も二人と一緒に食べる事になった。
実を言うと、墨時の家に戻って銀穂と二人切りでの食事というのもまだなんとなく気詰まりだったし、かと言って勝手の分からない食堂に一人で入るのもなんとなく冒険のようで……まぁ、それはそれで体験的には面白そうとは思ったが、やはり食事は会話しながらが良いのは確かだったので、実の所、流されてと言うよりは、幾分積極的に了承したのだ。
「ええっと」
虹也は例の国民証でもあるカードを取り出すと、慣れない操作を始めた。
このカードは携帯電話の役割も兼ねている便利な端末なのだが、いかんせん薄過ぎるのが難で、扱い辛いのである。いくらコンパクトでもやはりある程度は厚みが無いと手に持つには不安定なのだ。
「何やってんだ?」
「保護者に食事の事連絡しとこうと思って」
誠志は虹也の手元を覗き込むと、不思議そうに言った。
「なんで装着しないん?」
「装着?」
虹也の疑問を含んだ視線と、誠志の違う意味での疑問を含んだ視線が、それぞれズレた意図の元に絡み合い、程なく火花を散らす睨み合いに移行する。
「ハイハイ、なんでガン付け合ってんの?訳が分かんないよ?」
「いや、普通睨まれたら睨み返すだろ」
誠志の言葉に虹也もまた頷く。
「一般常識だよな」
「また虹也まで訳の分からない事を言って。頭がずれているのはお兄だけでもう飽和状態だからね」
青華は呆れたように二人を見比べた。
「大体お兄、元符の使い方を教えるつもりだったんじゃないの?」
「ガンプ?」
虹也が聞き慣れない言葉に反応すると、誠志はうんうんと頷きながら虹也が手にしているカードを指差した。
「それそれ、そのカードだよ。本当は符じゃないんだがなんとなく慣習的に術式札といえば符って意識があってさ、……とにかくそれ貸してみろ」
誠志は虹也の手から国民証のカードを取り上げると、それをそのまま虹也の手の甲に乗せた。
「え?」
それは手の上で唐突にふっと形を無くし、程なくしてその場所に円状の光が現れる。
「これ、どうなってるんだ?」
「そっちの方が使い易いだろ?札状の物って大概くっつくんだぜ。これ知恵袋な」
「そうなんだ、……ところでこれ、操作はどうするんだ?」
カード状の時には表示されていた操作記号が消え、レース模様を思わせる光の輪が浮かぶ己の手の甲を、虹也は困惑して見詰めた。
痛くも痒くもないが、むしろその感覚の無さが違和感となってしまう。
模様は精緻で綺麗だが、術紋が作用する時特有の、あの、どこか惹き込まれるような力は感じなかった。
「その模様が待機印つって札がありますよって印なんだ。それがないとどこにくっつけたのか分からなくなるんで表示されるだけの単なる徴な。その模様は色々自分で作って表示出来るんだぜ」
(なるほど、カスタマイズ出来る待受画面のような物と考えれば良いのかな?)
虹也は改めてその模様を見て、悪くないと思った。
言うなれば、それは光で描かれたタトゥーシールのようなものである。自分の体に好きに光の模様を描けるとなれば、なんとなくワクワクするものがあった。
光りもの(貴金属に非ず)好きな虹也は密かにほくそ笑む。
「その輪に沿って、円を描くようになぞれば、そのちょっと上の空間に選択メニューが表示されるから、そっからは普通に操作」
「へえ、これは便利だな」
「だろ?何でか年長者は嫌がるんだよな、便利なのに」
「まあ分からなくもない」
今まで聞いた限りでは、この国はごく最近までほとんど鎖国のような状態だったらしいし、そういう国の大人が保守的なのは当然というか、有りそうな事だった。
一見あまりこだわりのなさそうな墨時でさえ、'外苑部'に対して嫌悪に近い感情を持っている風であったし。
そこまで思って、虹也はふと、墨時の大雑把な説明を思い出した。
調整官を目指しているという誠志ならば、少なくとも彼よりはマシな説明が出来るかもしれない。
とりあえずまずは当初の目的通り、連絡を入れる為に、端末に登録してある銀穂の名に触れた。
この端末は彼の故郷の電話とは違い、呼び出しをしてから接続ではなく、繋がった状態から相手を呼び出すのだという事で、プライバシー的に良いのか?と思った虹也だが、まぁ国が違えば常識は違って当然なので、あまり気にしても仕方がない事ではある。
チリーンという南部鉄の風鈴に似た接続音が響き、呼び出しているという印の青い光が点滅した。あっち側の微かな音が聞こえるが、何かの音楽らしき物が掛かっている事がなんとなく分かる程度の精度だ。
すると、突然、次々と短文のCMやら広報が表示され始めた。どうやら相手待ちのこの時間を無駄にせずに宣伝を入れているのだろうと思われるが、こういう所はあまり公共端末らしくない。まあ、技術協力やらスポンサーやらがこっちの世界にもあるのだろうと虹也は推測して、物珍しげにその画像を眺める。
パタパタという軽い足音が聞こえて、やがて呼び出しマークが消えた。それと同時に空間に銀穂の姿が浮かび上がる。 TV電話のように使えるとは知らなかった虹也はへぇっと声を上げた。
『あ、コウさん、どうしたの?』
(コウさん?)
嬉しいようなむず痒いような呼びかけに戸惑う虹也であったが、おそらくは墨時から呼び名が伝染ったのだろうと推測して、なんとなく二人の仲の良さにほのぼのとした気分になった。
「あ、すいません銀穂さん。お昼ご飯を友達と外で摂ります」
『え?友達?知り合いに出会ったの?記憶が戻った?』
聞いた事への驚きと疑問で、彼女の背後でふさふさの尻尾が立ち上がるのが見える。
虹也はちょっとそれにときめいてしまった。
「いえ、今日知り合ったばかりなんですけど」
『へえ!やるじゃない!それでどんな娘なのっ!?』
虹也はぎょっとした。
突然銀穂のテンションがおかしくなったのである。
これはヤバイ。そう判断した虹也はそっと接続を切った。
キンッ!というハウリングに似た音が小さく響く。
「なんだ?緊急切断?どしたんだ?」
こういう部分は紳士的に他人の通話に聞き耳を立てたりしないらしい誠志が、突然の切断音に驚いて尋ねて来た。
「いや、精神攻撃の気配を感じたんで先んじて戦略的撤退を……うん、気にするな」
頭に疑問符を浮かべんばかりの兄妹をごまかして、虹也は話を打ち切った。
「それはともかくとして、ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「ん?ああ、なんだ」
誠志が胸を叩かんばかりの勢いで応じる。どうやら人に頼られるのが嬉しいタイプらしい。
「外苑…部だっけ、ここって魔気がどうこうで攻撃的な人が多いって聞いたけど、本当に場所だけでそんなに差があるものなのか?」
「あーその事か」
「その辺りの事はお兄には荷が勝ち過ぎるし、長い話にもなりそうだから、まずはお店に入らない?」
二人の様子を笑い含みで見ていた青華がそう提案して、まずは昼食を摂る場所を探す事になった。
「この地区はお役所関係に納入している業者や事業者が多いから結構昼時は混むんだよな。今はまだちょっと早めだけど、そういう話をするならゆっくり出来る処が良いよな」
誠志は思い巡らせるように虚空を見詰めて唸ると、あ、と声を上げた。
「おい、アオッパナ。お前色んな学生リンクを……ってえ!」
目をやると、薄く笑みを浮かべた青華が兄の腕の内側を抓り上げている。
「いってぇ!」
痛い、あれは痛いだろうと、虹也は自分の腕をつい摩った。
「今度その呼び方したら、男として生きられないようにしてやるからね」
それはどういう事なのか?という疑問を解き明かす事さえ恐ろしく、虹也は自分が言われた訳でもないのに急激に体温が下がるのを感じた。
(そうか、これが肝が冷えるって事なんだ)と、言葉の実感を友人の危機で味わってしまい、虹也はすっかり血の気が引いて青くなってしまう。
「馬鹿なお兄は放っておくとして、そうね、食事処のリンク情報を開いてみるわね。って、……虹也さんはなんでそんな影鬼でも見るような目で私を見てる訳?」
「い、いえ、なんでもありません」
そんな虹也の態度に、青華は頬を膨らませると、自分の手首の内側に触れた。そこには小さな丸い光の塊があったが、彼女が触れると同時に、ふわりと光が溢れるようなエフェクトと同時に、リンドウの花をモチーフにしたと思しき光細画が浮かんだ。
(へえ、綺麗なもんだな)
単純なパターン模様の虹也のそれと違って、青華の待機画像は光で描かれた絵画のように精密で美しい。
「う~ん、ちょっと先に座敷の料理店で美味しい所があるみたい。昼休みに入るには料理に時間が掛かるんで、昼間は穴場みたいね」
「それって高いお店じゃないの?」
座敷と聞くと高級と思ってしまう悲しい庶民の虹也である。
「大丈夫、家庭料理のお店みたいよ」
いわゆる居酒屋みたいな店なのかな?と虹也は推測した。
それなら確かに昼休みに混むような店ではないだろう。
そうして辿り着いた店は、虹也の想像とは違い、一見民家のような造りだった。
例によって角を削られた曲面を基本に外観が作られているものの、白塗りの壁は漆喰で、屋根には瓦が拭かれていて、ほとんど異国であるという違和感が無い。そのまま日本の少ししゃれた民家でも通じるだろう。
中が僅かに窺える模様硝子が嵌め込まれた扉を開いて中に入ると、気付いた店員らしき人が襷掛けをした作務衣のような出で立ちで現れた。
その種族は虹也達と同じ仲間族……だと思われる。
「ようこそ、お三人様ですか?」
「ああ、三人だ」
「三人様お通り!」
(うん、凄く居酒屋っぽい)
昼間っからそれはどうか?というテンションの元、通されたのは本当に座敷だった。
10畳、いやもっと広いだろうか?その座敷の二ヶ所ぐらいには既に机があり、間仕切りの衝立が置かれている。
元の世界では多くの店で、最初から仕切りで囲われた席にグループ毎に分かれて座るのが普通だったが、図書処にしろここにしろ、広い場所を後から仕切るのがこちらでは一般的なのかもしれない。
そんな事を考えながら座っていると、
「何にする?」
と誠志が聞いた。
ここは壁に品書きが掛かっている訳ではないようだったので、虹也がメニューを探して視線を彷徨わせていると、誠志が彼ら用に配置された机の上を示した。
「品書きだろ?これこれ、ちょっと古臭いけど料理の種類は分かるぜ」
示されたそこにあったのは、虹也が呼び鈴だろうと思っていた物だ。
それは小さいドーム型の、やや濁った白い、硝子かアクリルのような物で、その登頂にはボタンのようなポッチがある。ファミレスとかのチェーン店でよく見掛ける呼び鈴に酷似していたので、虹也はそう思い込んでしまっていたのだ。
よく考えれば世界が違うのだから全く同じという方が珍しいのが当然なのだが、虹也は意識のどこかで、まだ他県に来ている程度の感覚でいる部分があって、ついそちらの常識を当て嵌めてしまうのだろう。
青華が逸早くそのボタンを押した。
「あっ、てめ、このっ!」
慌てたように伸ばされた誠志の手が間一髪及ばず、空しく空を切る。
「子供の争いか」
思わず噴き出した虹也はそう言って二人の間を分けた。
青華にボタンを押されたドーム状の何かの周りには、まるでハガキホルダーを思わせる、ずらりと連なったカード列が展開した。
これもお得意のホログラムなのだろう。
またしても見えざる争いを制した青華が最初に手を伸ばし、宙に描かれたカードに手を触れた。
すると、彼女の前に新たなホロ画像が浮かぶ。例によって虹也の側からは覗けなかった。
「やっばり旧式でもこっちの方が趣があるよね。端末連動型はなんか味気無くってだめね」
青華のどこか玄人じみた発言に、誠志が口を挟む。
「はっ!動くオモチャが好きなお子様って事だろ、ガーキ」
「お子様はどっちよ青ナスが食べれないくせに!」
「……お前なんか蜂蜜を壺ごと抱え込んで食って、おふくろに蜂蜜禁止令を出されて三日三晩泣き暮らしただろうが!」
「いったい何歳の時の話よ、それ!」
二人の賑やかな争いをBGMに、虹也は青華を真似てぐるりと連なったカード状のホロ映像に触れてみた。
触れたという感触があり、やや驚いた虹也の目前に、小さい料理の立体画像が幾つか浮かび上がる。
『次へ』という赤文字がある事からページ送りもあるようだった。
「でもこの画像だけじゃ、良く分からないよな」
虹也はその中の一つ、茶碗蒸しっぽい料理の画像に触れてみた。と、それが(おそらく)実物大に大きくなり、その下に内容説明と値段が浮かび上がる。
「なるほど、これは面白いな」
「でしょでしょ」
「まぁ、面白いよな」
揃って頷いてみせる兄妹を、(今喧嘩してなかったっけ?)と思って眺めながらも、返事を返す。
「これ、注文はどうするんだ?」
「それはね……」
青華が何かを教えようと言いかけたのを遮って、
「その料理の画像の説明文の下に『供』って文字がピカピカしてるだろ?それを押せば良いのさ。間違って押しても10秒以内ならもう一度押せば取り消せるからな」
誠志が素早く横から説明した。
青華の口元がピクピクしている。
(あ、喧嘩続いていたんだな)
仲の良い二人を羨ましく思いながら、虹也は料理の画像に視線を戻した。その時、ふと、また姉の記憶が浮かび上がる。
『しろちゃんはもっとイタズラしなきゃ』
『イタズラ?』
『そうよ、なんでも大人しく言う事聞いてるような子は大物になれないわよ、大人を困らせるぐらいじゃないと』
『え~、姉様を困らせるのは嫌だな』
『ふふっ、師匠におべっかを使って懐柔しようなんて百年早いわ』
『カイジュウってなんだよ、海のおばけ?』
『しろちゃんは変な事ばっかり知ってるわよね、それって、もしかして見たの?』
『海?海は見たよ、あ!でもちゃんと姉様の術紋を……』
「虹也さん、どしたの?ぼーっとして」
はっと気付くと、二人が心配そうに自分を覗き込んでいた。
頭痛は起きてない。その事に少しほっとしながら、二人に笑顔を向けた。
「あ~いや、俺、ここの料理あんまりよく知らないんだけど、二人のオススメはどれ?」
少しずつはっきりとしてくる過去を自分の中に収めながら、虹也は胸の奥の深い所で幼い自分の怒りを感じる。
あの時、あの火が人為的な物である事を虹也は知っていたと思う。
その理由についてはまだ記憶が戻らないが、怒りだけは消えない熱を持って身の内を炙り続けているようだった。
あちらの世界で育った虹也にとって無かったはずの過去に、今更心を揺さぶられる。
育った世界を守りたい想いと、幼い自分にとって全てだった姉を奪った何者かに対する怒り。その二つは相容れない二つの人格のように彼の中に存在している。
「なんだか色々あって、難しいや」
「そうだな、こっちの料理に馴染みが無いんなら選び難いよな、よし、俺が!」
「あたしに任せて!お兄は好き嫌いが子供みたいなんだから!」
「お前なんか好みがお子様だろうが!」
「何よ!」
「文句あっか!」
「はいはい、喧嘩しない。あっちで店員さんが心配そうに見てるじゃないか」
虹也に示された方を見て、気まずそうに大人しくメニューに目をやる二人を微笑ましく思う。
そして同時にこの兄妹を見て感じる思いが姉の記憶を呼び起こしたのだろうとも悟っていた。
虹也は、そっと目を閉じた。
記憶の中の姉は優しげに微笑んで、そして何より生気に満ちていた。
おそらく、今の虹也と同じぐらいの年令の姉。
彼女は虹也の導師でもあった。
そこまで考えて、虹也は気付く。
(そうだ、姉様は俺の導師だった。でも、導師ってなんだ?俺はいったい誰だったんだろう?)
虹也はふっと力を抜くと、とりあえず今はそれについて考えるのを止めたのだった。




