暗夜の道程
『熱い!苦しいよ!ねえさま、ねえさま、どこ?』
ぢりぢりと全身を炙る熱気。熱い、息が苦しい、痛い、痛い、イタイ!
明かりは無いのに明るい、いや、赤い。
訳の分からない恐怖が体を支配する。
『ねえさま?』
かすれたような声しか出ない。
なぜ?
そうだ、姉を見つけなければ。
姉様がきっと何とかしてくれる。
それは絶対の信頼。もはやそれ以外何も浮かばない程の。
燃える世界が押し寄せてくるその只中で、それのみが支えの道標。
『シロ、シロくん!無事なの?』
姉様だ。
良かった、もう何も心配いらない。
恐ろしかった赤い光が、姉を照らすだけで美しいものに変わる。
姉様、寝間着だし髪の毛が酷い寝癖だ。普段は凄く身だしなみを気にするのに。
きっと気付いたら大騒ぎだな。
笑みさえが零れた。
「あ……」
その放心は、ほんの僅かな物だった。
少なくとも主観ではそうだ。
まるで今ここで起った事のように鮮明ではあったが、あれは記憶であり、回想であり、夢ではない。
いくらなんでもその区別はつく、……はずだ。
なのに、その一瞬から覚めてみればどこか知らない場所だったとか、そんな事が有り得るのだろうか?
「うちの庭……じゃないよな?」
いやいや誰に聞いてんの?と、心の中で一人突っ込みをやりながら、虹也は真剣に困惑した。
彼はほんの今まで自宅の庭にいた。
その証拠に部屋着に庭用のサンダルだ。
寝間着ではないにしても決して外出の格好ではない。
なにより、彼には自分の意識が途絶えたという実感が全く無かった。
惚けていたのと意識が無いのは違う、全く違うはずだ。
「なら、ここはどこだ?」
夜なのは同じ、足元もやっぱり土だ。
だが、周りに見覚えはない。母が丹精込めていた庭の花々の跡形もなかった。
月明かりのみではっきりとは断言出来ないが、僅かに生えているのは雑草だろう。空気は少し湿っぽい。雨の後の空気に似ているが、今日は確か晴れていたはずだ。
見回すと周囲に木が見える。が、山の中という程密集していないようだ。広い公園の一部に見えない事もないか?
少し右手に進んだ先に開けた場所がある。
人の気配、というか、生活の気配があった。
道路……?があるのかな?
?なにか変だ、頭がやたらスッキリしている。
いや、今はその事は放っておこう。
とにかく状況を把握するのが先だ。
『何かとんでもない事にぶち当たった時こそ冷静さが必要だ。情報の収集、切り分け、判断の即時性、全てはクリアな視界の内にある』
父は昔民俗学の教授だったらしいが、それ以上に冒険者であり、探索者であった。
結果の一つとして著作があり、研究があっただけだと言っていた。
その薫陶を受けて育ったおかげで、彼の感覚は常に疑問を探す。
「と言っても今は疑問だらけなんだけどな」
月一つが照らす地面を踏んで、一歩、一歩を進む。
陽の光とは違う晒したよぅな白い光は、黒々とした地面に儚い陰影を刻んでいる。
「満月で良かったな、暗闇でこんなとこ歩けないぜ」
やっと数歩先に街灯らしき明かりが見え、なんとなくほっとして一際黒々とした何かの木の影に足を踏み入れた時。
ぞくりと、背がざわめいた。
なぜか急激に不安が押し寄せる。
(怖い怖い怖い)
全身が凍るような恐怖。
足が酷く重い。
(このままここに座り込んでしまいたい)
(いや、違う)
これは異質な感情だ。彼の中心に馴染まない。はみ出している。
気付くと共にケラケラとわらう”モノ”があった。
足元に何かが絡んでいる。
黒々と黒々と、嗚呼ソレは見えていたよ……。
「おい!君!」
声に、我に返る。
「あ、あれ?」
「君!大丈夫か?」
正面から強い光を受け、虹也は思わず片手で顔をかばった。
声にはどこか命令の響きがあったが、高圧的な物というより気遣いに近く感じる。危険な感じはなかった。
「大丈夫です、ありがとうございます」
「早くこっちへ!暗鬼に捕まるぞ!」
(あんき?)
虹也は首をかしげながらもそれに大人しく従い道路へと出る。
振り向いて見ると、自分の出て来た場所は暗く闇に沈んだ洞のように見えたが、昼間に見れば単なる雑木林に過ぎないのだろう。
それにしても、先程の感覚は何だったのか?
「君、灯明は?御符は持ってるのか?」
「は?とうみょう?ごふ?」
人工的な明かりの下でよくよく見ると、相手の服装は制服のような物だった。
端的に言えばガードマンの物か、彼の知ってる物とは違うが、警官のような印象だ。
(もしかして警官?ここ半年ぐらい世間から離れてたからその間に制服変わったのかも?)
「なんだ、そのいかにも飛び出して来ましたみたいな格好は?深夜に何の防備も無しで灯りのない場所をフラフラするとか、自殺でもするつもりなのか?」
「ええっと……」
何をどう説明して良いか分からずに彼が戸惑っていると、相手は痺れを切らしたか、
「ともかく事情を聞かせてもらうから一緒に来なさい」
と、手を取った。
(あ、やっぱり警察の人か)
ストンと納得して、頷いた。
その時なぜ納得したのか、彼自身にもまだ分かりようもなかったが、ともあれ時は進む。
戸惑いは歩みを止める理由にはならなかった。