真実の足音
「ふむ」
虹也の話を聞き終えた部長は簡潔な言葉で一区切りを付けると、改めて彼の顔を真直ぐに見た。
「なるほど君の主張は分かった。他の世界ね……」
虹也が当初心配したように馬鹿げた事と笑い飛ばされる事態にはならなかったが、それはそれで不安が残る。
「信じて貰えたんでしょうか?」
「ふむ」と、もう一度応えて、部長は言葉を継いだ。
「確かに君の主張は内容を除けば破綻がなく、客観的かつ冷静に説明されている。突発的な異変に巻き込まれた者としては落ち着き過ぎているぐらいだ。いや」
相手の言葉に、疑われたと考えた虹也が口を開くより早く、部長はそれを制した。
「それを根拠に疑っている訳ではない。ただ、その話には解決しなければ内容が成立しない疑問点が二点ある」
「良かったら教えて貰えますか?」
自分の今の状態に重要な手掛かりになるかもしれない事柄に、虹也は身を乗り出した。
「一つは異界から飛ばされたのではないかという仮定だ」
やはりと頷く。
「信じ難いですよね」
「いや」
その返しに虹也は思わず目を見開いた。
「異界の存在事態は歴史的にも宇宙物理力学的にも証明されている。下界、シャバ、色々な呼び名があるが過去には二つの世界が繋がっていた事は分かっている」
「過去には?」
「そう、過去には、だ。現在は二つの世界は切り離され、決して行き来は出来ない。もしそれが可能になったとしたら世界を揺るがす大事件になる」
「でも、可能性は0ではないんですね」
「そうだが。私個人としてはそうあって欲しくない」
「なぜです?」
「不幸だからだ。特に異界にとってのな」
その言葉に虹也は息を呑んだ。
(あちらにとっての不幸?)
虹也はその言葉に、自分の知る限りの情報を元に二つの世界を比べてみた。
科学技術は同等、もしくはこちらの方が進んでるいるような感じすらある。それにあの異能。
二つの世界が交わって、それが友好的に始まらなかったら?
いや例え国同士が友好的に交わったとしても、僅かな犯罪者が入り込んだだけでもどれだけあちらの世界に被害が出るだろう?あの蛇人間のような男が悪意を持って一人訪れただけでもどれ程の事が起こるか想像も出来ない。
確か異能には魔気とかいう物質が必要らしいから、あちらの世界では発現しない可能性もあるが、仮定だけでは到底安心出来るものでは無いだろう。
そこまで考えて虹也は気付いた。
昔は繋がっていたのなら既に過去に何かがあったはずだ。
「異界と繋がっていたのはいつ頃までなんですか?」
「んーむ、確か数年前に月夜見様の生誕1200年祭があったはずだから1200年経たないぐらいか」
「月夜見様?」
虹也はふと引っ掛かりを感じて言葉をなぞった。その響きに覚えがあったのだ。
『つくよみのひめのご加護のあらん事を』
場面が唐突に眼前で再生される。虹也は込み上げる名指し難い感情に、ふらりと膝を折り掛けた。
「コウ!」
倒れ掛けたのだろう。鋭い声と共に、強い力を持った手が乱暴に肩を掴んだ感触に我に返る。
「あ、」
目前にあるのは捜査部の光景だ。柔らかな天井パネルの明かりの元、捜査官の面々がこちらを心配そうに見ていた。
そう、炎の照り返しに赤く染まった姉の顔ではない。
「オイオイ大丈夫か?」
墨時が彼の顔色を確かめるように覗き込んだ。
虹也は慌てて混乱した思考を立て直す。
これまで他の事にかまける事で無意識に避けて来たが、この突発的に襲ってくる記憶に潜んだ傷は早めになんとかしなければならない問題だ。自分が元々はこちらにいたのではないか?という、認めるのを避けている疑惑をきちんと埋めるには、この心理的忌避感は邪魔になるに違いない。
「これは配慮が足りなかったな。先日倒れたばかりの相手に立ち話をさせるとは。とりあえず先に検査をしておこう。結果次第では安静にすべき所なのかもしれないのだろうし」
部長は虹也に謝意を表するように目礼をすると、正面やや左に先刻から立っていた一見、割烹着の化学教師のような男に頷いてみせた。
「そうですね。術中にあるなら条件付け次第では特定の言葉さえ凶器に成りかねません。迅速な検査が必要でしょう」
彼の言葉に部長は顔をしかめる。
「そういう事は早めに助言してくれると助かる」
「それは失礼。当然分かった上での審問かと思っていましたので」
割烹着の男は平然とそう言って憚らなかった。
(審問って、俺は何時の間にか何かの犯人扱いになってた?)
虹也はそこが気になった。だが犯人扱いにしては丁寧な感じだし、この割烹着の人の独自の考えかもしれないとも思う。
「いつも言っているが、我々はそちらの方面は専門家ではない。とにかく思った事は忌憚無く進言してくれ。貴官はその為にここにいるのだと思うのだが」
「なるほど、では次回から気を付けます」
「なぜかな、毎回このようなやり取りをしている気がするぞ」
「お疲れなのでは?」
これはツッコミ待ちのコントなのか?と虹也はいぶかしんだが、部長は真剣な顔で溜め息を吐いている。茶化すような雰囲気では無かった。
虹也はさすがにちょっと部長に同情した。
「失礼した。改めて紹介しよう、これはうちの所属の施術師で内藤催事という男だ。少々癖があるが、患者には良い医者だから安心してくれ」
本当に安心して良いのか?という疑問を虹也の内に芽生えさせた先ほどのやり取りがその説明に不安を感じさせるが、とりあえず内藤医師は、他意の無い表情で頭を下げてよろしくと挨拶をしてみせる。
施術師という聞き慣れない言葉は気になるが、医者というのならやはり医者なのだろう。こういう微妙に違う常識についてはなんとかズレを修正して行きたい所だが、今はここでの話の決着を付けるのが先だろうと虹也は思った。
「それじゃあ簡易的なもので悪いがこちらへ来て貰えるかな?」
まだ先程の異界についての話の続きが気になっていた虹也だが、ここで敢えて逆らうのも何か怖いので、そのまま内藤医師に従う。
見ると部屋の奥の方には応接セットのような物が有り、ダブルベットぐらいのサイズはありそうな半円の長椅子がデンと鎮座していた。
内藤医師はそこに彼を招いているようである。そこで診察をするのだろう。
虹也は恐る恐るそれに近付いた。
そのベンチだかカウチだか分からない代物は大きさこそ大きいものの高級感は無い。
木製らしき枠組みに木綿っぽい黒の布張りで、枕のような細長いクッションが背もたれ部分の立ち上がりに沿うように置いてあり、快適さを演出しようとして失敗している感がありありと見えた。
どう見ても腰を下ろす部分は絶対に堅いはずだ。
しかしむしろだからこそ、虹也はいっそ気楽にそれに腰掛けられた。
座った虹也の眼前にあった思い切りミスマッチな金属フレームの楕円のテーブルは、どうやら稼働式だったらしく内藤医師が押し退けると軽く横にスライド移動して、そのままその場所に彼が屈むように体を置いた。
「とりあえずまずはこの術式布を取るから、気が遠くなったりする感覚があったら直ぐに言うんだよ」
その言い方はなんとなく学校の保健室の先生ぽいなと虹也は思った。
残念ながら優しげな女性ではなく飄々とした壮年男性だが、確かに先ほどと違い、彼は診る相手には丁寧に接しているようである。
「あ、はい」
あの意識を無くした時に何が起ったのかは虹也自身にもはっきりしない部分なので、この相手を頼りにするしかない。
手首に巻かれたミサンガのような術式布なる物を手首ごと相手に差し出した。
内藤は、中指になにやら携帯などのデコレーションに使うラインストーンのようなものをちょんと装着すると、その指でもって術式布に軽く触れる。
すると、まるであっけないぐらいにその術式布は解け落ちた。
虹也は前日に、ちぎらないように注意しながらだったがそれを調べていた。しかし、それには継ぎ目一つ見付からず、伸びるものでもないのにどうやって装着したか不思議に思っていたのである。しかし、流石に外す時には普通に切断するものだと思っていた。
予想というものは多くが裏切られるものだが、疑問をそのままにしておけないのが虹也の長所であり短所でもある。
「どうやって外したんですか?継ぎ目とかは無かったと思いますけど」
取り敢えず知らないなら聞けば良いとばかりに、直接聞いてみる事にしたのだった。
「古い術式に興味があるのかね?簡単な話さ、"解した"んだ」
「解すというのは?」
内藤は笑った。
「困った患者さんだな、ここで質問するのは私の役割のはずだかね。まぁ知識欲が旺盛な若者は嫌いじゃない。良いだろう。まずは基礎だ」
まさにまるで化学教師の顔付きで、彼は説明を始めた。
案外本当に他人に教える立場の人なのかもしれない。
「はい、よろしくお願いします」
虹也も思わず頭を下げる。
「君達氏族はおよそ象徴を介しての術式を軽く見がちだが、血統魔術と違い、この方法には汎用性がある。個々の能力に劣る大地の民が世界の大多数を抑えて安穏としていられるのはこの汎用性というものが重要な役割を負っているのが事実だ。大地の民の内、強大な力を誇る氏族などほんのひと握り。しかも、その中ですら真の術者は数人にすぎない。種族魔法を全ての民が身に着けた魔法種族などには本来適うべくもないはずだったのだからね」
本当に基礎かららしき講義を始めた内藤医師に、虹也は困惑した。
しかも自分を氏族とやらと確信している上での講義である。
だが、そもそもは、問いを発したのは虹也自身であり、ここで話しを止めるのも何か申し訳ない。
迷った時間はそのまま彼等の間を通り過ぎ、相手の講義は更に続く。
「大地の民は繁殖力が強い。それはすなわち多くの土地を必要とするという事だ。土地を欲するという事は元々の住人のとの争いが起きるという事。それゆえ多くの戦いを経験する事となった我らが生み出したのが、象徴による魔術理論なのだよ」
「という事は本来は戦いの為のものなんですか?」
虹也は父が民族学の教授だった事もあって、この手の民族の遍歴のようなものには自然と興味が向かう。
結局はついつい話に引き込まれる事になった。
「ああいや、これは切っ掛けの話だ。戦いから生まれた象徴魔術ではあったが、その後主に発達したのは日用技術としてだしね。で、本題だが、封印という術式は、魔気の本来の性質を一番上手く利用した物だ。魔気には環状の物に引き寄せられる性質があり、輪を内側に向けて閉じるだけでも封じの効能を帯びるんだ。我々真核細胞生物がリングを利用して魔気を取り込んでいるように、これは世界の根本原理でもある」
リングと言った彼は自身の目を指し示した。
これは虹也にとって全く初めての情報であり、彼の育った場所では有り得ない物でもある。知っておくべき事だった。
「先生、そのリングというのは具体的にどの部分なのですか?」
何時の間にか先生呼びになっている。
「これはまた」
彼は思わずといった風に微笑んだ。
「もちろん、瞳の虹彩を囲むリングの事です。それ以外に無いでしょう?話は戻りますが、リングは個々に特徴があるので身元の調査にも有力な手がかりになる事が多い。ノーブルカラーは希少で目立ちますから君の身元を調べるにも重要な決め手になるはずです」
彼は医療道具を入れているらしいカバンの中から鏡を取り出すと、それを虹也に向けて見せる。
そこに代わり映えのない自分の顔を見出して虹也は頭を捻った。
相手が何を言っているのか分からなかったのだ。
しかし、すぐに虹也も気付く。
自分の目がうっすらと、ガラスに反射した光のような輝きを発している事に。