捜査官は恨まれる
深査と、そう言って墨時が左手を差し延べると、対する相手の姿が一瞬のブレを生む。外野からの視点からすればただそれだけの事だった。しかし、
「おいおい、誇り高き蛇鱗一族が変装ごっこかい?」
それだけで墨時には相手の何かが、おそらく正体が知れたらしい。
嘲るような彼の言葉は、明らかな挑発の響きを帯びて聞こえた。
「シャッ!」
その挑発にあっさりと乗って、サラリーマン風に見えた男は、一声まるで動物の威嚇のような叫びを発すると、全身を激しく震わせる。
虹也の視線の先で、その男の周りに何かがボロボロと零れ落ち、同時にその姿が変貌した。
虹也にとっては唯一の人間種族特有の、手足を備えたデコボコとしたシルエットが、滑らかで出っ張りの無い別の形へと変化する。
「あ、蛇?」
古くからその姿に多くの者が恐れと憧れを抱いた証を示すように、沢山の時代、沢山の場所で幾つもの意匠の元として描かれて来た形。だからこそ、それは誰にも馴染み深い姿だった。
だが、あまりにも大きすぎた。
蛇に特に強い愛情など抱かない者からすれば、人間大、いや人間よりやや大きいぐらいのサイズの蛇など、悪夢の産物でしかない。
その蛇のような者は衣服らしき物は纏っていなかったが、その代わりとでも言うように、鱗にはとりどりの色彩が踊っていた。刺青のような感覚なのか、その鱗一枚一枚になにやら宝石のような物がデザイン的規則性を持って埋め込まれている。
「誇りは憎しみの前には陽の前の霞のような物!貴様に兄の無念を思い知らすまでは、もはや我にこだわるべきものなどない!」
(俺じゃなかったんだ)
その言葉に相手の狙いが自分で無いと知り、元よりこちらに因縁など無いのだから心配など必要ないはずの虹也は、それでもやはり強張っていた体から少しだけ力が抜けるのを感じた。
相手の姿の異様さにはさすがに何も思わない訳ではないが、幸いにも彼は蛇を見てパニックに陥るタイプの人間ではない。好きな訳でも無かったが、少なくとも見ただけで金縛りになったり、悲鳴を上げて逃げ出すような苦手さは無かった。
その人間サイズの大蛇は、やや耳障りな擦過音混ざりでありながらも、はっきりと言語を発している。
(って事はあれも異なる種族ってだけの人類種なんだよな、きっと。どんだけ幅広いんだ、この世界の人類種は、多様性とかいう問題じゃないだろ?)
魔術のような物が当たり前にある世界だからだろうか?魔気とやらが関係しているのかもしれない。と、虹也が考察を続けている間にも、当然ながら事態は動いていた。
「兄だ?もしかして巡樹の弟か?」
「そうだ」
蛇体を小刻みに揺らめかせ、襲撃相手は肯定する。
「はっ、なら俺を恨むのはお門違いだな、お前の兄貴の自業自得だ」
「貴様!」
蛇体の男は声高く叫び、それに伴って息漏れのような擦過音も甲高く響いた。
「兄は10年の禁固刑に決まったのだ!我ら冬眠する種族にとってあれがどれ程残酷な刑か知らぬ訳ではあるまい。貴様が!貴様が執念深く兄を付け回したせいで、兄は!」
「お前の兄が殺した何人もの母子は、もはやあいつに文句さえ言えないだろうがな」
吐き捨てるように告げる墨時の声には苛立ちがある。
「あれはタダの餌だ、それを狩って咎められる理由などないわ!」
重ねられた言葉に、墨時の顔から表情が消え失せた。それと共に右の口角が急激に吊り上がる。
「なるほど、人ではなく理性のない化け物として扱って欲しかったって訳か、そりゃあ済まなかったな」
「貴様……」
折れ転がった、しかしまだ十分な質量を持っている木の幹が、メキリ、というなんとも不吉な音と共に宙に浮き上った。
「うはぁ、超能力戦かよ」
魔術よりは若干ながら馴染みのある言葉を口に乗せ、ほとんど傍観気分だった虹也だが、ふと、相手の意識が自分に向いたのを感じて嫌な予感を覚える。
「う?」
「その猿はどこぞの氏族だな。察するに護衛の任務という所か」
虹也には蛇の表情は読めないが、今、相手がニヤリと笑ったと断言出来る程には状況を理解出来た。
(ボケかっ!正々堂々と本人とやれや!)
「貴様に僅かでも悔しさを味あわせてやるわ!」
太い木の幹が又も横に回転を始める。
「おいおいおいおい!」
虹也は引き吊った顔でそれを眺めた。
モノが大きすぎて避けようもないのだ。
カバー出来るはずもないが、本能的に両腕で頭を庇う。
重さを推し量れるような瞬間的な風圧が一挙に押し寄せ、虹也は思わず目を閉じた。
ドン!というズシリとした衝撃。思った程に痛みが無いのは、いわゆる許容量を越えた痛みは感じないというやつだろうか?
そんな風に、ここに来て尚少々呑気なぐらいに考えていた彼は、聞こえて来た声に耳を傾けた。
「あのなぁ、内奥の捜査官をあんま舐めんな!」
「悪足掻きを!」
「悪足掻きはどっちだ?そもそもここをどこだと思ってんだ手前は?」
(墨時のおっさんが動揺してないって事は……)
ソロリと、虹也が目を開けて顔を上げると、目前に静止した状態で宙に止どまっている、彼の身長よりデカイ折れた木がある。
「おお、シュールな光景だ」
ルネ・マグリットの世界のようだと心の中で呟いた。
ふとその視界を影が横切る。
「治安本部とやらの前だな、だが貴様のお仲間は恐れて近付かないようだが?」
それはあからさまな嘲笑。
力持つ者が示す、自信ゆえの優位がそこにある。
「んな訳ねーだろ」
墨時の言葉に呼応するかのように、何かが蛇体の男に絡み付いた。
「う?あ?ぎ!」
まるで光で編まれた投網のようなそれは、男の通常よりしなやかな体の自由を、更には口を開く自由すら奪って行く。
「良い度胸だな、治安を預かる我等が玄関先で暴力沙汰かい?よっぽどお仕置されたかったんだろうね」
クスリと、舌なめずりでもしそうな表情で笑うのは、おそらく細身の女性だ。
なぜ恐らくかと言うと、その体付きがあまりにもスレンダーだったからである。そのせいで性別を断言出来る程の自信が持てなかったのだ。
彼女 (たぶん)は、くっきりとした存在感でその場をたちまち支配してしまっている。
その顔は美人と言い切るには少し躊うような個性的な容貌で、しかし一方でそこに間違いなく他人を引き寄せる美の力を秘めていた。
小振りの顔の中に並んだパーツは全てが大ぶりで濃ゆい。確実に日本人とは違う、どちらかというと中東的な容貌だ。
少しでも配置がずれていたらむしろ醜いと評されていただろうその顔が、獲物を嬲る肉食の獣のような笑みを浮かべて、足下でもがく蛇男を眺めていた。
「いいね~久々に本物の愚か者を見たよ。こうやって馬鹿が足掻く様は最高だね」
網に絡まれたその姿がいっそう激しく動いたのはその言葉が聞こえたからだろう。
だが、その動きは急速に衰えた。
「ははっ!そいつは暴れれば暴れる程締め付けるように出来てるんだよ。どうだい?苦しいだろ?」
恐ろしく耳に心地良いアルトの声がなぶるような言葉を発し、毒を垂れ流す。
「さて」
その視線が移動する。
黒っぽい口紅の塗られた唇を赤い舌がなぞった。
その視線に晒された当の墨時はやや及び腰に目を逸らす。
「お前は言い訳はあるかい?とりあえず聞く気は無いけどね」
(無いんだ)
虹也は胸中で呟き、哀れな男の為にちょっとだけ祈った。
「まぁその話は足下のその男を収監してからで良いだろ?通行の皆さんも気になってるようだし」
見れば確かに周囲には遠巻きに人が集まり出している。
話の流れからいくと、この場所は彼の世界の警察本部に当たるようだし、確かに色々と不味いんだろう。そう、きっと言い訳じゃなく。
虹也はそう好意的に解釈する事にした。
「ふ~ん」
女性(虹也の中では確定した)も本人なりの思惑でとりあえずの保留に同意した様子だった。
墨時は恐る恐るという感じに、その女性の足下にいる、もはや痙攣のような動きしかなくなった塊りに近付き、掴み上げた。(ちなみに恐れていたのは当然この蛇男ではないだろう)
「則のある世界に生きている以上それを犯せば報いがあるのは当然だ。しかもお前の兄はまた生きて戻れるんだぞ、どんな状態であろうともな。その一方で、惨く殺された母子は永遠に家族の元に帰れないんだ。文句を言いたいのは手前じゃねぇだろうよ」
吐き捨てるように言って、そのまま片手で引き摺りながら歩き出す。
(どんな力だよ)
軽々としたその動作に虹也は呆れた。
「ほら、コウ!来ねえと置いてくぞ!」
「え!あ、おっさん、俺の保護者じゃねえのかよ」
虹也が動くと同時に、浮いていた倒木が落ちる。
地響きに、虹也と、そして物見高い見物人が同時にびくりと体を引いた。
目を丸くしている所を見ると、どうやら見物している一般の人々にとっても、その光景は普通に目にするものでは無かったようである。
虹也が行き先に再び顔向けて見ると、返事として投げた声に振り向いていたのは、当の墨時ではなく、件のおっかない女性だった。
あの見ていて落ち着かない顔でニィッと笑ってくる。
当然ながら虹也は慄いた。
「なにか、な?」
無言では怖いままなのでとりあえず聞いてみる。
「随分なついてるじゃない?坊や」
もうすぐ成人の男に向かって坊やとか失礼な人達だとは思うが、だからといってこの相手に墨時に返したようにおばさんと返す程、虹也は自分の矜持に命を捧げてはいなかった。
「他に頼る相手もいないし、心細かったから、つい」
相手が自分を良家の子息みたいに思っているのならそれらしくすれば摩擦も起らないだろう。
虹也はそう思い、まるで下々の事を知らない天上人のように心細気に目を伏せてみせた。
相手のニヤニヤ笑いは一層深くなったが、何も言っては来ない。
(怖い)
ホラー映画や小説で感じるより何倍もの冷え冷えとした恐怖を味わいながら、虹也は大人しく彼等の後に続いて歴史のあるらしい治安本部の建物に入ったのだった。