どんなに大変でもとりあえずは仕事にいかなければならない
ここのインターフェースは大部分がパネル式だ。
ここに来て、やっと虹也にもその理由が見えて来た。
様々な体型、体格の種族が存在しているせいで、細かい指先の操作が必要な物は役に立たないのだろう。
ドアや水道がレバー式なのもおそらく同様の理由だ。
そんな事をしみじみ考えたのも、あまりにも浮き世離れした光景に精神が逃避を図った結果なのかもしれない。銀穂の予見は正しかったという事だ。
人波に押されて向かう地下の乗り物乗り場へと続く通路は、手前にある台のような所の丸いパネルを押し、カードを翳す事で通過する仕組みになっているらしい。
しかしその通路の入り口には、彼の良く知る駅の改札にあるようなゲート(遮断扉)は無く、全くの素通しである。これでどうやってチェックしているのだろう?と、虹也が頭を捻っている間にも、圧倒的物量の人の波は進み、流されるままにどうやら乗り場に着いた。
ちなみに虹也は当然ながらカードを持っていないのだが、墨時がカードを翳す時になにやら入力したようで、何も問題は起きてない。普通に考えれば家族やグループが利用する場合の集団チェックインのシステムがあるのは当然なので、その辺りは虹也は全く気にしなかった。
ただ、ちょっとだけ素通りしてどうなるか試してみたい欲求に駆られはしたが、面倒を起こすと既に連行モードになっている保護者が、手錠のような拘束具を使って来る予感がするので、さすがにそこは自制したのだった。
(地下鉄?)
彼の住んでいた地方には地下鉄は無かったが、修学旅行で東京へ行った時に一度利用した事がある。
彼等の佇むその場所の雰囲気は、正にあの地下鉄そのものだった。
ほどなくして、キンッ!という金属的な音と共に、一瞬体全体を柔らかく後ろへ押される感覚を覚える。
「?」
いぶかしんで周りを見た彼の目に、線路沿いに滑り込んで来る金属の車体が目に入った。
そのフォルム(形)はなんとなく初期の新幹線に似ている。団子っ鼻の愛称で親しまれたあの形だ。全体がシルバーメタルに鈍く輝き、今、正にその先端部が青い光の線で二重の円を描き出し、その光はたちまち四方に飛んで、銀の車体を青くきらめかせた。
「おお、かっけーな」
美しいというよりデコトラ的な見せ方の派手さが虹也の琴線に触れた。
彼は自作のパソコンに意味もなく青いLEDを取り付けてしまうタイプの、理由の必要ない光らせ好きでもある。
「ほれ、乗るぞ」
墨時の馬鹿力で腕を引っ張られるまで、虹也はそのシルバーの車体とその表面に踊る青い光の線を飽かずに眺めていたのだった。
電車(?)内は本来は広いのだろうが、恐ろしい程の人口密度でぎゅうぎゅう詰めになっている。だが、不思議と息苦しくなかった。
気付けば、墨時の手も虹也から離されている。停止状態ではぐれる心配は無い訳だから当然かもしれないが、なんとなく不自然な感じがする。大体、これだけの人数がいて、熱気が籠って無いというのはどう考えてもおかしかった。
空調がよほど優秀なんだろうか?
そう思い、思っただけで納得しない性格の虹也は、今なら大丈夫だろうと、直接傍らの男に聞いてみる事にした。
「おい、おっさん」
反応が無い。
ムッとした虹也は彼をど突こうとしたが、その手はふわりと実態の無い何かに絡め取られるように静止する。
不思議そうに虹也がその手を見ていると、その有様に気付いたらしい墨時が目を合わせて来た。
その瞬間、どこか遠い感じだった彼との距離が急激に縮まった手応えがある。
「どした?」
その声を聞いて、虹也は既に大まかに事態を把握し掛けていたが、とりあえずきちんと説明して貰う事にした。
「人が狭い空間に大勢いるのに息苦しく無いのは何でだ?」
墨時も理解して頷く。
「ああ、公的施設や乗り物は、密集型隣接空間が個人の私的空間を意図せずに浸食する恐れがある場合、私的空間を保護する設備の設置が義務付けられる。だから気車には空間保護の設備がある訳だ」
「汽車?」
わざわざ説明させたものの、虹也が食い付いたのはそっちだった。
「気車ってのはこの乗り物の事な。どうせなんも分からんのだろ?今なら時間もあるし聞けるだけ聞いとけ」
「気前良いね。んじゃ俺が今おっさんと話してるのは周りに聞こえて無いみたいだけど、おっさんとは会話が出来るのは、その私的空間の解除条件がお互いの同意だから?」
「そうだ、互いが干渉を望めば接続状態になる」
「どこでその判断をしている訳?」
「意識信号の交流じゃないかな?スマン、細かい技術的な部分は流石に分からん」
「OKOK」
(という事は)
虹也はこの仕組みの一般的な利点に気付いた。
(ここでは満員電車の痴漢とか存在しないんだ)
あっちの世界にこういう仕組みがあれば、冤罪で酷い目に会う人もいなくなるのになぁと、以前観たそういう冤罪の映画を思い出して考える。そういった部分には感心しながらも、一方で、このやり方だとある程度の空間を個々に確保しなければならず、詰め込みに限界がすぐに来るから、乗れる限界人数は減るだろう事にも思い至った。
(でも、実際にそこまで詰め込んだら人死に出そうだし問題ないか)
都会の満員電車など経験の無い虹也は、ごく良識的にそう考えた。
見渡すと一面見知らぬ人(と、人かもしれない存在)というぎっちりした空間であったが、それぞれの表情に息苦しさは見えない。そこかしこに朝の気怠さが漂っているぐらいだ。
音も制限されているのか、静寂という程ではないが耳障りになるような騒々しさは無い。
「便利だね」
「そりゃお前、殺し会いの原因第一位が私的空間の侵害なんだから対策もするわな」
「そ、そうなんだ」
「単一種族だけで凝り固まってりゃそうでも無いんだろうけどな」
「なるほど」
こちらの方面も必要だから発展してきたのだろう。
肌の色とか目の色とかいう次元の話ではないのだ、生態そのものすら違うとなれば、共存の苦労は想像もつかなかった。
しかし、息が詰まらない工夫がしてあるといっても、感覚的な余裕が生まれるだけで、実質はぎゅう詰め状態という事に変わりはない。
彼等は当然の結果として、気車から吐き出されると同時に揉みくちゃになった。
何百メートルも全力疾走したような有様になって、フラフラ状態の虹也が、ようやく息を吐けたのは全体的に落ち着いた佇まいの通りに入ってからである。
今通り抜けて来た人に溢れた通りに比べ、明らかに建物が古く、また周囲に緑が多い。
「官庁街?」
なんとなく共通した雰囲気に虹也はそう口にした。
「そそ、ここらへんはお役所ばっかりだ。ン百年単位の建物が多いんだ、これが。お国も結構みみっちいよな?歴史がどうこうとか言ってるけどさ、どうみてもボロい建物だろ?うちはそん中でも更にぶっちぎりでボロいから驚け」
驚かなきゃならないのか。と虹也は唸り、期待に応えた驚き方を検討してみた。
(とりあえず見てみない事にはなぁ)
場の雰囲気というものがあるし。等と考えていた彼は、ふと顔を上げて、自分が顔を上げたという事実にまず驚いた。
「あれ?」
違和感。又はそれに準ずる何かを感じる。
思わず頭を巡らせた虹也の腕を墨時が引いた。
「きょろきょろすんな、ほれ、そこが…」
コマ落としのように時間が動く。
「おっさん!」
左手側、墨時の示す建物と彼等を挟んだ反対側にその相手はいた。
一見普通のサラリーマン風、外見や動きに周囲との違いがあった訳では無い。
ただ、虹也には何かが違って見えた。それだけだ。
虹也の鋭い警告のような声に、墨時がその職業に相応しい素早い意識の切り替えを伴う体勢で振り向く。
だが、その半瞬程早く、先の体勢では死角にあった、一抱えもあるような緑の葉を茂らせた木が根こそぎ持ち上がり、意思があるかのように彼等に向かって横なぎに空中を旋回した。
バグッ!と、日常でついぞ聞いた事も無いような鈍い重い音が響き、生木の白と外皮の茶色が散乱した。
不自然な静寂が寸前の騒ぎを埋めるかのように訪れ、その重さが視界を開かせる。そこでようやく、風景は事の概要を暴き出した。
幹の半ばで折れた、先ほどまで大地に根を張っていた大きな木が、舗装されている地面を少し抉りさえしてそこに横たわっている。
「花ぐらいなら貰った事もあるんだけどな」
「自慢か?それは」
軽口を叩いて見せはしたが、虹也は自分の足が震えているのを自覚していた。
おそらく今歩けと言われても歩けはしないだろう。
「で、贈り主はあんた?」
墨時の視線の先には先程の平凡なサラリーマンがいた。
「おっさん、その人なんか違う、変だ」
虹也は自分の感じている違和感を上手く伝えられない事に苛立った。
しかし、墨時の方は物事を探り、判断するプロである。彼は正しく虹也の言葉の指す所を理解していた。
「まぁ慌てんなって、二重起動すっとたまにジャムるんでな。緊急事態でなきゃ切り替えた方が良いんだ」
言って、"もう一度"左手に触れる。
途端に自分達を囲んでいた何かが消滅したのを虹也は感じた。
「深査させてもらうよ」
墨時の口角がその自信を表すように吊り上がる。
相対する男は無言を貫き、微動だにせずにそこに在った。