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朝の食卓

「ふあー、やっとまともにものを考える気分になったぜ。んで、なんでこいつ寝てんの?」

 墨時は渇き切って無い髪をばさばさとタオルで拭きながらそう言うと、居間のラグの上ですっかり眠り込んでる虹也を呆れたように眺めた。

 銀穂は苦笑してみせると、デカンタを示し、

「梅酒を一杯飲んだだけなんだけどね」

 そう、説明する。

「そりゃまた弱いな。……いや、先に食わせるべきだったんじゃないか?言ってもしょうがないが」

「どうしようか?」

「転がしとけ、風邪ひくような陽気じゃなし」

 どうやら墨時はあまり保護者向きの男では無かった。

「そだね」

 そして、銀穂には彼の提案に逆らう理由はない。

 そういう事で本人の知らぬ間に、虹也は一晩を床で過ごす事が決定した。

 ちなみに家の主はその横でちゃんと飲み食いした。


 居間で転がっている被保護者を残し、寝室へと引っ込んだ二人は、ゆっくりと体を伸ばしていた。なにしろ墨時は1週間程の出張の後だ、自宅の布団で寝るのを夢に見たぐらいホームシック気味になっている。

「お前の毛並みの手触りを感じると家に帰って来た心地になるよ」

「上手い事言って話を逸らす気でしょ」

 虹也が突付いた事で、銀穂は抱えていた不満を表明する事に決めたらしい。墨時は舌打ちをしたい心地だったが、ここで下手を打つ訳にはいかなかった。

「ああ、うん、いやその」

「なんかそういう返事をする自動人形があったわね」

 といっても、やはり下手を打つのがこの男なのだ。

「いや、ほんと色々ごめん」

 銀穂は噴き出すように笑うと、しょぼくれた想い人の頭を撫でる。

「私達、いつの間にか考えるのを止めていたわね。もう一度真剣に考えてみましょうよ」

「分かった。ほんと悪かった」

 墨時自身にも自覚があっただけに、二人の関係をどっち着かずで放置していた事に関しては謝り倒すしかない。

「あの坊や」

 頃合良しと見たのか、銀穂は話題を切り替えた。

 自分の目を指差し、なんとも言えない表情で笑ってみせる。

「ノーブルカラーだね」

 墨時は頭を掻いた。

「見えたか、まいったな」

「明るい場所だと見え難いのは確かだけど、貴方が仕事を自宅に持ち込むなんて珍しいから注意してたのよ。別に話せとは言わないけど、攫って来た訳でなきゃ良いの」

「あんなでかいの攫って来ても困るだろ?」

 墨時は自重気味に笑った。

「なんでだろうなぁ、とりあえず早くお前に会いたかったのと、坊やが迷子っぽかったからかな」

「氏族の坊ちゃんが迷子ね、人らしくて良いわね」

「お前が氏族嫌いなのは知ってるけどさ」

「別に嫌いなんじゃないわ好きじゃないだけ」

「違うのか?」

「違うわよ」

「そっか」

 墨時はそのまま彼女の背中を抱き締める。

 柔らかで暖かな銀の波に顔ごと埋もれて、くぐもった声で呟いた。

「いつもありがとう」

「なにが?」

「家で待っててくれて」

 銀穂はククッと、喉の奥で笑う。

「こちらこそ、愛想を尽かせずに帰って来てくれてありがとう」



 もふもふのワンコがいる。

 虹也の目前には、なぜか白い大きな犬がいて、白い尾をゆらゆら揺らせていた。

(確か近所にピレネー犬飼ってるとこあったよな)

 記憶が確かなら山岳救助したりする大きな犬だ。

 そのもふもふの犬は、もう少し近付けば手が届きそうな場所にいるのだが、なぜか体が重くて進めない。

(あ~もふもふ)

 触れないとなると益々その感触を味わいたくなるというもので。

「ん~」

 頑張って手を伸ばしてみるも上手くいかない。

 疲れ果て、挫折の果てにぼんやりしていると、楽しげな声が聞こえて来た。

 誰かがもふもふのワンコを撫でているのだ。ワンコも楽しげにじゃれている。

 飼い主だ。……きっと。

 他人のワンコなんだから嫉妬するのは理不尽だとは思っても、やはり悔しい。

「あのさ、無視してないで俺もまぜてよ」

 良いな~気持ち良さそうで。

 虹也は少々憮然としながらも、幸せそうなその一対を羨望のまなざしで見詰めていた。



 プカリと、水底から浮かび上がる感覚に近い唐突さで、虹也は覚睡した。

「う、……う?」

 柔らかい床の感触は、だが布団のそれとは違い表面だけのものだ。

「あっ痛」

 体のあちこち、特に下敷きにしていたらしい右半身が痛む。

 体の上には毛布が引っ掛かっていて、一応の配慮は伺えた。

(いやいや)

 柔らかめの絨毯が敷いてあるとは言えフローリングの床に客を寝せるとは何事だろう?

 ごろ寝なぞ、友人達と「深層心理を探る!限界まで連想ゲーム!」をやった結果として、次々と撃沈して以来だ。それでもその部屋は畳だった。

「いや、マジ痛い。有り得ねぇ」

 ごそごそと毛布をずり落とし、ゆっくりと関節を伸ばす。

 右腕は案の定痺れていて、戻りのあのグッと来る痛さに耐えた。

(そういえば、夢見も悪かったような)

 ぼんやりと不快な気分を思い出してイラっとする。

「お、起きたか」

「起きたかじゃねぇよおっさん!」

「お前、更に残念な言葉使いになってるぞ」

「残念にもなるわ!なんで硬い床で寝せてるんだよ!」

「いや、寝たのはお前だから、梅酒一杯で」

「くっ、」

 流石に言葉に詰まった虹也だったが、なんとか気持ちを盛り返した。

「それにしたってどうにか出来たんじゃないのか?起こすとか運ぶとか」

「疲れてるようだったし起こすのも可哀想だという親切心だろ、それにでかい男なんぞ運べるか」

 虹也はうなったが反論ができない。

 ぐうの音も出ないとは正にこの事だろう。

「まぁでも、昨夜より顔色は良くなったんじゃないか?」

 邪気無くそんな風に言われれば尚更文句を言い難くなってしまう。

「別に具合は元から悪く無いし」

「そうか?昨夜は足下も定まらないって感じだったが、元気ならそれに越した事は無いし、とりあえず朝飯食うか?」

「いや、脈略がおかしいから」

「うちのぎんは、ああしてて結構料理上手いんだぜ、ちと肉に偏るきらいはあるが」

 食事と聞いて、体は正直なもので急に空腹を感じた虹也だったが、流石に朝から肉はどうかと思った。

 なにしろ彼は生粋の和食党であり、朝は味噌汁とご飯の口だ。

「おはよう、さ、自分で使った毛布は自分で片付けて、男二人いるんだから机もとっとと出す!」

 急かされて朝食の好みなどグダグダ考える暇も無く指示に従って動く。

 割と重いテーブルを昨日のままに真ん中に設置すると料理が運ばれて来た。

「運ぶの手伝って!」

「へいへい」

「ちょっと、さり気なくどこ触ってんのよ!」

「朝の挨拶だろ、ってぇ!こら何するコウ!」

「手が魂の叫びに従っただけだ」

「それが家主に対する態度か?!」

「甲斐性なし、女の敵、いや、彼女の居ない男の敵め。他人の前でいちゃつくなボケ」

「ああん、てめぇちと世の中の仕組みというものをだな」

「墨時!」

「あ、はいはい運びます」

 とても昨夜転がり込んだとは思えないぐらいのなじみっぷりだったが、この雰囲気は虹也には違和感が薄い。

 彼の、いつまでも心は新婚さんな両親が、二人とも元気な頃は毎朝のようにこんなやり取りを展開していたのだ。


『はいはいさっさと運んでね』

『老人使いが荒いぞ!』

『まぁ、ご都合のよろしい時だけ年寄りらしくなさるのね。あなたおっしゃったではないですか、俺の方が年上なのはお前を守る為に世界がそうしたんだって』

『うぉっほん!』

『まあいけませんわ喉をどうかしまして?』


「おい、これは真ん中で良いんだよな」

「ええ、でも私はオイという名前じゃないです」

「むう、ちょっとぐらい格好を付けてもだな」

「横暴さは格好良さとは何の関係もありません」

 色々な事が分からない場所だが、同じ人としての在り様が安心できた。

「そうそう、横暴な男は格好悪いよね。ところでさ」

 虹也は先程気になった事を聞いてみた。

「さっき俺の事コウって呼んだ?」

「ああ、虹也だからコウ。良いだろ?」

 何か自慢げだ。

「墨時って誰でも略称にしちゃうんだから」

「何を言う、術士とか名前を呼ばれるのを嫌うじゃないか。それを考慮してだな」

「自分から名乗るような名前に危険なんかあるもんですか。覚えるのが面倒なだけでしょ」

(コウか)

 思えば親しい人間は皆、彼をコウと呼んでいた。

 とても遠い場所なのにここには馴染んだ空気がある。

 少しだけ全身に掛かっていた力を抜いて、虹也はあれから何度目かの「渇」を自分の腹に飲み込んだ。

(ここは現実なんだ)

 ふと虹也は自分の席(だと思われる場所)にある器がそれだけ違う事に気付いた。

 少し大きめの木椀。いわゆる丼茶碗のようなそれには、粥のような物がよそわれている。

「体調がどうか分からなかったんで粥にしたんだが、物足りないようなら換えても良いぞ」

 墨時の言葉に虹也は改めて食卓を見た。テーブルの上には大皿に肉と野菜が盛ってあり、肉が生ならどこぞの焼肉店のようだ。

 絵面だけでも来るものがあって、虹也はげんなりと肩を落とした。

 確かにあれを見てしまうとお粥は魅力的だった。

「朝から重い物は無理みたいなんで有り難いです」

「なぜ俺でなくぎんに言う?」

「作ってくれた相手に礼を尽くすのは当たり前だろ?」

「……もしやお前俺が嫌い?」

「なんで?」

 虹也の心から不思議そうな顔に、墨時は薄く笑った。

 彼は捜査官である。こんなあからさまな挑発に気付かない訳がない。

「梅酒一杯ごときで潰れた癖に」

「きっと体調が良く無かったんだよ」

「ほほう?」

「うんうん」

「アハハ」

 銀穂が絶え切れずに上げた笑い声が二人の睨み合いを分けた。

「子供の喧嘩みたい。おっかしいよ二人共」

「あー、お粥の中に肉や野菜が入ってるんですね」

「話の変え方があからさま過ぎるよ、お前」

「お前じゃなくコウだよ」

「ん?」

「そう呼ぶんだろ?」

「ああ、そうかそうか、んじゃ飯にすっか」

 先の事を根に持って、話しを流す事で挑発し返すという大人げなさがいかにも墨時らしく思えて、虹也は応えるように笑う。

(知り合ったばっかりなのにな)

「おk」

「なんだ、外縁部被れか?」

「ガイエンブ?」

「あ~もう、なんでもいいから飯にするぞ」

 気になったが、分からない事が常態化しそうなので、ここで追求するのは止めて、虹也は大人しく席に着いた。

「じゃ、ご飯にしましょうか」

 そういえば、こっちに来てこれが最初の食事なんだと、虹也はしみじみと思う。

 父の研究の関係で彼は民話の類を色々と読んでいたが、多くの地方に、異界では何も口にしてはいけないという伝承が残っている。

 異界のものを口にしたら、もう二度と元の世界には戻れない。そういう世界の決まり事があると。

「でも、よく考えたら昨夜にもうお茶は飲んだし。遅いか、もう。俺って自分で思ってたより暢気者かも」

 口の中でそう呟いて、「いただきます」と食事に手を合わせたのだった。

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