始まりの夜
普通の異世界召喚ものを書こうと思って考えたらこうなりました。よくある古代や中世みたいな世界が舞台のお話ではありません。おかしい、そういうのが書きたかったのに。……何かが間違った!
でも、ちょっと趣の違うケモノ耳とかの異種族は出る…よ?
世界がゆっくりと冷えてゆく。
まるで全く別の何かに変わって行くかのように、無機質で冷たい感触に変化しゆく母の手を握りしめ、虹也はそんな風に感じていた。
虹也はため息を吐くと、縁側へと続く廊下からガラスの引き戸を開けて、暗い夜空を照らす月を見上げた。
白く輝く満月は、いっそ非現実的なほどに美しい。
「父さん、母さん、早すぎるよ。後もうちょっとぐらい待てなかったのかよ」
囁くような文句は、ほの白い月の光に溶け出すように消えた。
『あら、コウくんたらぶつぶつ独り言?ふ、変な所がお父さんに似ちゃったわね』
『なにを言う、独り言の多いのはお前だろうが』
脳裏にふわりと浮かんだ声に、虹也は、我知らず微笑んだ。
父はともかく母は突然逝った訳でもないのに、葬儀も納骨も済んでも、未だにそこに二人がいるように思ってしまう。
台所でオリジナルの工夫(思いつきとも言う)をした菓子を試作して甘い香りを漂わせている母。
部屋で自慢の将棋盤に駒を置いて、分かりもしない自分に意見を聞こうとする父。
訳あって年の離れた親子だったが、そんな事を気にしようも無い程に自然に皆がそこにいた。
虹也は止めどもない想いを振り切るように、軽く自分の頭を殴る。
「皆にもすっかり心配掛けたし、早めに連絡入れておかないとな」
ふと思い立って、友人達に電話かメールをと考えたが、携帯は部屋に置いて来ていたし、家の電話は玄関だ。
今は無理だと分かって落ち着いて考えてみれば、連絡は明日に延ばした方が良いだろうと気付く。
こんな時間に突然思い付いたからといって、久方ぶりに連絡するのはいくらなんでも唐突すぎると思われた。
皆ずっと気を使ってくれていたのだ、ゆっくりと話せる時の方が良いに決まっている。
「満月か」
虹也はこの月が見たくて縁側を降りたのだ。
母がよく自分の事をかぐや姫に例えていた事を思い出す。
『俺は男だもん』
『そうねぇ、だからきっと月へ帰ったりしないわよね』
母はきっと不安だったのだろう。
息子が実子ではない事が。
そう、虹也は両親と血は繋がっていなかった。
尤も、大概の人間は、何も知らなくとも彼等親子になんらかの事情がある事にすぐ気付いただろう。
両親と彼の間の年齢の差はそれぐらい大きかった。
なにしろ虹也が物心ついた頃には、両親は既に70歳を越えていたのだから。
そういう制度があるらしく、戸籍を調べたとしても彼は養子ではなく実子となってはいたが、両親は彼にその事を最初から隠さなかった。
『満月でね、二人で裏の竹林でお月見をしてたの。そしたら月の周りに虹が掛かってて、綺麗ねぇって』
『……』
『これだから年寄りは、話しが脱線してるぞ』
『まぁ、年寄りはあなたの方でしょうに、お口の悪い事ときたら』
『男は年を経る毎に渋味を増していくんだよ。だけどな、女は年を取ると……っく!待て!酒を人質にするとは卑怯だぞ!』
『ほほほ、何をおっしゃいますやら』
『えっとね、父さんも母さんもいちゃつくのか俺の拾われた状況を説明するのか、はっきりとね。いちゃつくなら俺は寝るから』
『あらあらコウちゃんが拗ねちゃった』
虹也は溜め息を吐いた。
思い出はあまりにも当たり前にそこにあって、意識しなくても顔を出す。
それはまだ、浸るにはあまりにも近く、そして、求めるにはあまりにも遠かった。
要するに両親によれば、虹也は月に虹が掛かる夜に竹林で発見された子供だったらしい。
彼等の語る話は、無駄にロマンチックな出来事にされていた。
だが、両親の語らなかった事実もある。
全身に火傷があり、服もぼろぼろで、しかも見掛けから5、6才と思われるにも関わらず、一切の記憶が無かった子供。
いや、記憶だけではない、一切の知識、言葉すら持っていなかったのである。
警察の見解で、虐待の末の殺人未遂、その果ての遺棄ではないか?とまで大事になり、当時の新聞やTVでもかなり騒がれたらしいが、結局身元が判明せず立件されなかったらしい。
らしいばかりで嫌になるが、その頃の記憶はあまりにも混沌としていて、彼自身が一番もどかしいのだ。
両親は警察騒ぎになった事は全く告げなかったのだが、気になって自分で当時の新聞を調べたのである。
この時はさすがに酷い精神状態になって、両親に心配を掛けてしまった。
「焼き殺すつもりだったのかなぁ」
考えると腹が立つが、一方でそれで両親に出会えたのだから人生は結構上手い事出来てるのかもしれないとも思うのだ。
そんないかにも訳ありな子供を自分の実子として引き取るとは、本当に物好きな両親だなと思う。
……心から、思う。
「まぁ、本当の親に会いたいとは思わんのだからどうでも良いか」
漆黒のはずなのに満月がほの碧く周囲を染め、星の潜んだ、ただ月だけが照らす遠い天上。
その深く遠い夜空には不思議と心が満たされる。
彼は子供時代からよく体調を崩したのだが、こうやって月を見上げると、いつも不思議と体が軽くなった。
拾われた時の事を思えばトラウマになっていてもおかしくないようなものだが、彼は満月が好きである。
古来から月には不思議な力があると言われているが、きっとそうなのだろうと彼にも思えた。
「よし、元気充填完了っと」
もはや、自分が彼等の子供として恥ずかしくない生き方をする事でしか恩返しが出来ないなら、嫌でも前向きに進むしかないのだ。
元気が出るのは良い事なのだろう。
めそめそするのは自分のキャラじゃないし、第一両親からどやされそうだ。
「月の虹か」
残念ながら彼は未だそれを見た事がない。
自身の名前の由来でもあるのだから一度は見てみたいなと、そんな事をのんびりと考えながら屋内へ戻る前の一瞥を、真円のその姿へと向ける。と、
「あ……」
丸い月の周りを囲むように、モノトーンの世界を鮮やかに塗り替えて、そこに虹が在った。
『行くのよ、そして、どうか僅かな時であっても安らぎを、つくよみのひめのご加護のあらん事を』
自サイトの方で週1の連載をやっているので、こっちは少し進行が遅いかもしれません。ぼちぼち楽しんでいただけたら幸いです。