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主な小説

Honda RA272

作者: 中川 篤

似ていますが、モデルはいません



 デビューしてから二十九年が経つ。漫画を描き始めたのはもっと早い。漫画家の島田明は、逗子海岸沿いに建つ白いマンションの二階から、表で地元の青年団がお神輿をかついでいる風景を眺めていた。傍には編集者の(まり)さん。それからカタンと音を立て中の半分入ったティーセットをテーブルに置いた。きょうは生まれて初めて契約を結んだスマートフォンの取り扱い方を、毬さんからあらためて聞かされているところだった――してはいけないことも含めて。

 もともと手描きだった彼女の作画環境は何年か前にデジタルになり、そして今年の春に再びアナログに戻った。というわけで明も機械の扱い方はそれなりに知っているつもりだったが、そのタブレット時代でさえ契約はアシスタント名義だったし、使用するときにはだいたい誰かの助けを借りていた。

 編集者の毬さんは「とりあえずエゴサだけはしないでください」と、明に言った。

 エゴサ。明だってそれくらいは知っている。というより、それが一番やりたかったことなのだから。


 自分の名前や評判にはそれほど興味がなかった。それより自作やキャラクターがどう受け入れられているかが気になっていた。それはすでに承知のことだったが、ネットいう場において、彼らがどういう受け取られ方をするのかは明にも未知のことだった。


 外からは囃子の声が聞こえてくる。湘南という場所は特殊な地域だ。ここで生まれ育った人間は、祭りに命を懸け、ときに(実際に)祭りに生命を張る。それはよその地域の人間や多少知識をかじっている人間、そしてネットの有象無象などには理解されないことが多かったが、彼らはそれを矜持(きょうじ)にしているのだ。ということがここに移り住んで十年目の、最近になってやっとわかった。

 御年五十三歳になる――そして茶目っ気とロマンを失わない――明先生が、毬さんが帰ってすぐどういう行動に出たのかは大体見当がつく。毬さんもそれがわかっていたので「お願いしますよー」とは言ったが、深くくぎを刺すようなことは言わなかった。


 明は自分の評判が「なかなか」いいことは知っていた。それくらいは彼女も聞かされていたし、毬さんが毎日持ってくる――明が調子に乗らない程度に――情報だったから。それに漫画のいくつかは映画化もされ、収益が入って来た時には目を丸くしたものだ。親戚の子供と会うと、自身の話でとてもうるさい。けれど、一応ネット上で自分の名前を検索してみた時にはそれよりもさらに目を丸くした。びっくりした。しかし自分の評判でいい気になるよりも、自分の漫画やキャラクターの方を先に調べるべきだったのだろう、と後日、明は思った。


 名前を調べて、事前に聞かされていたあらゆる情報を加えると、作品のキャラクターのことを知るのは怖い気がした。なんというか……アレな子が多いからだ。そうしたことを知っておくことも必要な儀式なのだ、という気持ちと、そんな考えは嘘だ、という気持ちが半々になって、明の頭でまじりあっていた。どうしようか――結局、明は置いてあった模型を作ることにした。昔付き合っていた――十年以上前の――恋人が置いていった模型だ。皮肉にも、机の上には模型作りに必要なものは大体揃っていた。Honda RA272、1965年メキシコGP優勝車。接着剤に含まれるシンナーの匂いを嗅ぎながら、この時間もそれほど有意義でなくはないなと思った。


2024・5・2


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