20 底辺に残った僅かな光
「俺の島で何勝手している?」
キングと呼ばれた青年は、さらにマールへ詰め寄った。
その距離は、お互いの呼吸音が分かるくらいに近い。
キングは細身でありながらも筋肉質な体つきであり、視線は鋭いが顔立ちも中性的で整っている。
これだけお互いが近いと、普通の女性ならば異性をときめかせられるだけの魅力はあった。
「えっ、その……」
しかしマールは、魅力さよりもキングの高圧的な態度に恐怖を感じてしまい、目線を逸らしてしまった。
「おい、マールから離れろ」
当然、アルベルドは黙っていない。
ゆっくりとキングへ近寄り、彼の肩を手でぐっと強く握りしめた。
「なんだお前? 兄弟か? それとも恋人か?」
キングは振り返り、アルベルドの姿を見つつそう言い放った。
「マールは将来の嫁だ」
そしてアルベルドは何の迷いも無くそうはっきりと告げたが……。
「それは違うと思うけども……」
マールは少し固い笑顔を見せながら小声で否定した。
「……どちらでもいいがな」
そのやり取りを見たキングは呆れた様子で二人から離れた。
「俺が気に入らないのは、俺の島で俺に許可もとらず、挨拶もなしに好き勝手やっている事だ。ここは俺の島だ。石ころ一つだろうとも、虫一匹だろうとも、全て俺のものだ」
そして両手を広げながら、貧民街中に響くくらいの高い声で宣言したのだ。
「ここの人達は苦しんでいました。食べるものも十分じゃない、病気になっても治す事が出来ない」
「だからどうした? 俺は飢えないし、苦しくない」
「私は、そんな困っている人々を救いたかったんです」
マールは、キングの不遜のふるまいに物おじせず、胸に手を当てながらも答えた。
「だいたい、お前はここの王なのだろう? 何故民を放っておくのだ?」
「そうだ! そうだ!」
その直後にアルベルドは腕を組みながらそう問いかけ、アルバは片手を握りしめて空の方を向けながらアルベルドの反応に乗じた。
「妖精……? 直接見るのは久しぶりだ。まあ、今はどうでもいいか。おいお前、放っておくと言ったな?」
「そうだ」
「たかが冒険者風情が、王を理解するのは難しいとは思うが、お前らに教えてやる」
アルベルドは冒険者風の格好をしている。
当然、彼が妖精王だなんて、この貧民街の王が知る由もない。
「ルビーロザリアの貧民街は、一部の例外もなく敗北者だからだ」
キングがそう告げた途端、周囲に居た住民達の雰囲気が明らかに変わった。
病気や飢えから解放された時の健やかで活気ある表情は消え、たちまちマールが来た当初の退廃的な憂いの色が濃くなっていく。
「ここに居るのは、商売で失敗し多額の負債を抱えた者、この国の法を犯して指名手配されている者、戦争で親兄弟を失った者、理不尽な理由で働けない者……。俺だってそうだ、元々はルビーロザリア王族の血筋だったが、権力闘争に敗れて自分の体以外の全てを失った」
「何故力を合わせない? 他の地へ落ち延び、そこで新たな国を興してもよいだろう」
「まるで分かってないな」
「なんだと……」
「ここには希望はないのだ。人生という旅の中で負け続け、落ちるところまで落ちた者の行きつく先、末路、それがこの貧民街だからだ」
そしてキングが住民達に社会の落伍者の烙印を押すと、周囲の雰囲気は完全にマールが来た時のような暗さに戻ってしまった。
「皆は疲れきっている、戦うことや争う事、勝とうとする事、そして敗北する事に。そうなれば、待つのは緩やかな死の安らぎのみ。俺はその手伝いをしたい」
その様子を見ながら主張を終えたキングは、住民とは逆に満足げで、そして笑顔だった。
人に限らず、生物の世界の根底は弱肉強食。
人ならざる妖精王であっても、その理を知らないわけはない。
極論ではあるが、あながち間違いではないキングの言葉に、アルベルドは一つため息をついた。
周囲が再びネガティブな雰囲気になってしまった。
折角の命の灯も消えてしまった。
「……キングさん、私はそうじゃないと思います」
だがマールは違っていた。
マールは胸に当てた手をぎゅっと強く握り、一歩前へとキングへ近寄ると……。
「みんな本当は生きたいんです。本当に生きたくないって思ってたら治療受けませんし、気持ちが滅入っていれば治る病気だって治らない。でも、ここの人達は病気を克服しようとしているし、前を向いて歩こうとしています」
顔を少し赤くさせながら、キングの主張に対して必死になって返したのだ。
「…………」
キングは再び周りを見た。
今でこそ暗い表情はしているが、肌の色艶は以前とは比べものにならないくらい良く、今まで道端に数え切れない程倒れていた者も居ない。
「ふむ、確かに住民の顔つきが変わった」
そしてキングは察したのだ。
彼らは変わったのだと、死にたいのではなく生きたいという考えに。
マールが行ってきた治療がこの死の街を変えたのだと。
「…………」
キングは腕を組み、目を閉じて考えた、
その場に居た全ての人々は、彼の様子をじっと見たまま何も言わず、周囲は風が吹き抜ける音しか鳴らなかった。
「おい、マールといったな」
「はい」
「お前を連れていく」
それから少しの沈黙の後、キングは目を開くとマールへそう告げた。
「マール!」
「お、おい! なんでだよ! マールはいい事をしたんだぞ!」
「そうだ。だから俺の妾にしてやる。もうこんな掃き溜めに居る必要はない」
「えぇっ!」
「ここの住人を変えたその精神。人を治すその腕前、俺のものにしたくなった」
「きゃあっ!」
「じゃあな」
それからの展開はまさに風のように速かった。
玉座を抱えていた男らはマールを慣れた手つきで担いでしまうと、キングは再び玉座へ登り、一同は誰の意も介さずマールを強引に連れてその場から去って行ったのだ。
「おい! 何をする!」
アルベルドは腰に下げていた剣を抜き、奪われるマールを取り戻そうとした。
「なんだお前ら! 離さぬか!」
だが、貧民街の住人はまるで操られたかのようにアルベルドにまとわりつき、彼の邪魔をしたのだ。
アルベルドはどうにか住人達を振り払ったが、その頃にはもうキングは居なかった。
「な、なあアルベルド……」
「取り返しに行くぞ。アルバ、力を貸せ」
「おう!」
アルベルドは剣を握りしめ、静かだが怒りに満ちた声でそう告げた。




