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石像と忍者

作者: 加藤とぐ郎

誤字脱字がありましたら、どうかそっとしておいてください。

 ある晴れた午後、お殿様の命令でこの国にやって来た一人の忍者が、誰もいない野外劇場で寛いでいた。名前はなく、仮に影二郎とでも呼ぼうと思う。


 一方、ユア・イルノス聖堂前広場に数百年昔からそこに身を置き、何人という司祭を看取ってきた一体の石像があった。一説には、好色な皇帝が自らの生き様を表した獅子の像を彫刻師に彫らせたと言われているが実際の所、定かではない。立派なたてがみを靡かせた獅子が四脚を台座につき、今にも猛々しく天に向かって吠えようとしている。その一瞬の迫力を石に閉じ込められ、何百年と人々の目に曝され続けてきた。


しかし一体誰が何のために造ったのかもわからない像が何故この広場の一角に鎮座しているのか、誰も知らないし知ろうともしない。王が代わり国が変わり、何千億という星星が大空を渡ろうと、一頭の獅子はその四脚で立ち、今日も世界を見守っている。


 影二郎は飢えていた。任務とはいえ、言葉も知らぬ異国まで山も海も越えて参ったことを半ば後悔していた。ただでさえ安月給であばら屋暮らしの影二郎にとって、見知らぬ街並みのなんと肌寒いこと。おまけに元々雀の涙だった銭も通じぬ始末。今は寒空の下、空腹に倒れることしか出来なかった。


そんな時だった。何やら頭上から聞き知った言葉が降って来るではないか。一瞬、幻覚にやられたのかと疑ったがどうやら違うらしい。神や仏の言葉とも何だか違って聞こえて来る。何とも怪しい声にして、影二郎はその場に倒れたまま固まっていると、声は次第に大きくなった。


「何だ?」

「おい、聞こえているのはわかっているぞ!そこのおかしな黒ずくめ!」

「俺に言ってるのか?」

「他に誰もいないだろうが!」

「お前、同じ忍の者だろう。俺に何用だ?」


影二郎はすっかり人が変わったように、周囲を警戒し万全の状態で声に応じていた。死角からでさえ虫けら一匹入り込む隙も無かった。この時影二郎は既に声の主に気付いていた。いたのだが、余りの馬鹿馬鹿しさに自分でも疑うしかなかった。


「お前は妖怪変化の類いか。まさか妖術を使って俺を嵌めたな?」

「何?お前本当に俺がそんな化け物に見えるのか?」

「いやお前は忍でも、ましてや化け物でもない。だからこそ、お前の正体を受け入れられないのだ。頭ではわかっているが、心ではわかりたくないのだ」


影二郎は警戒を解き、一体の石像に相対した。そう、なんと影二郎に声をかけたのは、あの獅子の像だったのだ。


「お前、異国の者だな」

「お前こそ、不自然な奴。この国では石は喋るのか。変な国もあるものだ」

「いいやお前さん、俺は話してはいないよ」

「はっはっは。俺を馬鹿にしたな、獣風情が!話していないと言うのなら、お前は誰に物申しているというのだ!固き石といえど、その首叩き切ってやろうか」

「止めろ。その剣を納めるのだ。話していないというのは、実際に音を出していないという意味。勘違いで首を落とされたとあれば、皇帝の名折れだ」


影二郎は抜きかけた忍刀を納め、獅子の言葉に耳を傾けた。影二郎はもはや空腹のことなど頭から消え去ってしまった。


「皇帝だと?面白そうな響きじゃないか。俺は法王か?」

「馬鹿な!冗談ではないぞ!」

「この!」

「待て!謝る、馬鹿と言ったのは謝る。ふぅ~……。まったく、こっちが動けないからって酷いな君は」

「言葉には気を付けろ。仮にも石像、それも獣を象った物が、人間様に楯突いたらどうなるか。いい加減学べよ」

「わかったわい。チッ、偉そうに……」

「忍の耳を侮ったな!」


影二郎は鞘に納まったまま、鞘ごと殴り、獅子の右前肢を粉々に破壊した。


「うおおおおおお。俺の足がああ、あは、ああ。うううううう」

「ふん!次はない」


獅子は砕かれた前肢のように泣き崩れた。もう存在しない痛覚がこの時だけ蘇った気持ちであったろう。その空間に虚しく風が透き通って行く。


「本当に酷いよぉ。まさか本当にやるとは思わないじゃないよぉ」

「ふん!だから馬鹿なんだよ、畜生」

「まあ過ぎたことはもうよい。今更何を嘆いた所でもう何も還ってこないことは俺が誰より知っていること。もうよいわ。おいお前、話を戻してよいか?」

「偉く懐が広いな」

「伊達に永く生きてないぞ俺は。……俺はな、冗談ではなく、本当に昔は皇帝だったのだ」

「信じるとでも?まあしかし、最後まで聞いてやらないこともない」


獅子は影二郎に語り始めた。


 影二郎が生まれるより遥か昔、影二郎が故郷より遥か遠く、それはそれは苛烈な圧政を敷いた一人の皇帝がいた。名はソラナム。彼の逸話で最も有名なのは、新大陸に遠征し一億人の奴隷を連れて来たというものだ。その際、美人な者は全員城に閉じ込め、死ぬまで玩具のように扱って遊び狂ったという。勿論そんなものは脚色された作り話だが、それを信じる者が今もいるように、後の世に浸透するほどソラナムは極悪非道を極めた暴君だった。


ソラナムに必ず冠せられる好色とはまさにその通りで、一日に二十人の女と交わり、食事中であろうと睡眠中であろうと絶えず女を侍らせていた。ソラナムの女好きは止まる所を知らなかった。それ故に彼の運命は大きく狂わされてしまったのだ。


 ソラナムが齢三十を越した日の次の夜。城に一人の少女が訪ねて来た。しかし見るからに身分の低い薄汚い少女を城に入れてくれる訳もなく。むしろ勝手に城に近づいた不届き者は、みせしめにされてもおかしくない。よく見れば美しくなくもない少女の相貌に欲情した番の兵士が、少女を捕まえて地下牢に入れようとした時、偶然にも皇帝ソラナムが現場に居合わせたのだ。


「何をしている?」

「はっ。この者が無礼にも門を叩くものですから」

「無礼はお前だ。誰の許可を得て女を牢獄なんぞにぶちこむつもりだ。おい!この者を鎖に繋げ!骨になって死んだら、そうだな、その辺の河にでも捨て置け」


そうして少女を捕まえた兵士を地下牢に入れると、早速少女を部屋に連れ込んだ。服を脱がすと、全身泥に塗れた後のように汚れていたので、すぐさま女中に風呂に入れさせ、戻って来た少女はとても美しく天使のようであった。ソラナムはいつも何十人と女がひしめくその部屋から全員追い出し、少女と二人きりになった。


「さあ、もっとこっちへ来い」

「はい」


少女は全裸でどっかりと座り込んだソラナムの隣に、静かにゆっくりと、その格好の良い艶やかな腰を降ろした。少女は柔らかく清くなめらかな手で彼の全身を愛撫しながら、彼の耳元に呪文のようなものを囁いた。すると数秒もせずにソラナムは深い深い眠りに落ちてしまったのだ。薄れていく意識の中で彼が最後に聞いたのは、彼というもの全てを嘲ったような少女の笑い声だった。


 「気が付くと俺は石になっていて、二日経ってようやく自分が獅子の石像になったのだと理解したよ。それからもう何百年か。俺はずっとここで立ち尽くしているのだ」

「おそらく幻術と獣化の術、そして石化の術だな。なかなか難しい忍術ではあるが、油断し切った相手になら成功できなくもない。さぞ腕の立つくノ一だったのだろうな」

「やはりか!お前の顔を見たとき、もしやお前の国の奴だったのではないかと思ったんだ!」

「ああ、間違いない。何を隠そう俺は、その件でこの国にやって来たのだ」

「ええ!本当に!通りで俺の声が通じるはずだよ。なんたってお前の国の忍術とやらで、こんな姿に変えられちまったんだからな。いやぁ、長年の謎が解けるかと期待して話し掛けたら、見事に解けてしまったわけだ!代償に足は欠けたが、まあ良しとするか!」


ソラナムは夜空に響くように歓喜の声を上げた。だが実際は、広場は静寂に包まれ木の葉の呼吸音さえ聞こえるかもしれないほどだった。


「俺としてもお前を探す手間が省けて良かったよ」

「ん?そうだな、確かお前は事情があってわざわざこの国に来たんだったな」

「任務だ」

「そうか。どういった任務にせよ、お前は若いのに苦労してるんだな」

「忍とは得てしてそういうものだ」

「ふ~ん。で任務とは何かね?」


影二郎は懐から巻物を取り出し、ソラナムにも見えるように広げて見せた。


「お前をその姿に変えたのは、五百年前にお前の臣下が俺の国に依頼したからだ。その時、臣下が報酬として払った金塊が、今今になってほとんど金を含有しない偽物の鉱物だったというのがわかってな。その分も合わせて大量の金銀財宝を盗んで来るというのが、俺の仰せつかった任務なのだ。ここに書いてある通りだな」

「それ見せられても読めないからね、俺には。ていうか、五百年も経ってたんだ」

「書いてあるのを読む限り、そうだな」

「お前の国の君主も無茶を言う奴だな」

「お前ほどじゃないだろう」

「確かに」


影二郎は巻物を懐にしまい、忍刀に手をかけた。


「お前には財宝の在処を聞きたかったんだよ。石化の術は完全に壊されなければ永遠に死なない生き地獄でもあるからな。お前が獅子の姿だとは思わなかったが、無事でいて良かったよ」

「それなんだが、俺に聞いても意味ないと思うぞ」

「何?」

「もう五百年も経ってるんだ、お前の国ではどうか知らんが、ここではもう何度か国が変わってしまった。つまり俺が知るのは五百年前の情報のみ。力になれなくて悪いな」

「そんな、じゃあ俺は石像と無駄話をしていただけだったのか?ああ、そういえば腹が……」

「俺はお前と話せて良かったぜ。足は壊されたけどな」

「くっそ~!!!」


 その後影二郎はなんとか任務を成功させ帰国し、ソラナムは今もユア・イルノス聖堂前広場に佇んでいる。ちなみに、石像の右前肢が破壊されているのを発見した市民たちは、獅子像を撤去するかどうか会議をした後、放置という結論に至ったのだった。

読んでいただき、誠にありがとうございます。

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