第五章 真っ暗聖女、初めてのデート?1
「ルル様が、『血塗れ王子』ですか?」
『そう呼ばれているらしいわ……って、メイちゃん、痛い、痛い!』
「痛いのは効いている証拠です、ちょっと我慢してくださいね」
そう言いながら私は女神の腰に両手を重ね、体重をかける様に押し込みながらふうっと息を吐いた。
「シア様、どこもガチガチに固まってますから、しばらくは痛いと思いますよ」
『もうちょっと優しくして~』
「はいはい」
軽くそう返して、さらにギュッと背中の骨に沿って手のひらで押していく。
聖堂に祈りを捧げに来る回数が重なり、すっかり私は女神とのやり取りに遠慮が無くなっていた。
それが女神の希望でもあったから。
「それで、ルル様のその呼ばれ方なんですけど」
『んー、想像通り悪意の感じられる呼び方ね。一つは聖騎士団の団長として、各地を転々としながら魔物に対抗し、その血を浴びている怖ーい王子って意味。もう一つは「側室」である母親譲りの髪の色を揶揄する意味』
私は顔を顰めて、一層強く女神の背中を押す。
『もう~、私が言ってるんじゃないんだから』
「わかってます。でも、どうにも怒りのぶつけどころがなくて」
『ぶつけるなら、肩の方にして~』
女神は私の八つ当たりを軽く流してくれる。
「生まれの事もそうですけど、国の皆んなを守ってくれている人に失礼じゃないですか! 魔物の浄化は最終的に神官がしますけど、暴走状態の魔物に対してはまず騎士様方に鎮めてもらうしかないんですから」
私は、『誰も失わない』と言ったルルタの真剣な顔を思い出した。
なんだかやるせなくて、腹立たしくてならない。
「いつか、ルル様のことを理解してくれるご令嬢が現れて、支えてくれるといいんですけど」
ご希望の肩周りをほぐしながらそう言う私に、女神は不思議そうな顔をする。
『それ、メイちゃんじゃダメなの?』
「私では、ルル様を立場的に支えられる力にはなれないですよ」
今は聖女として扱ってもらえているとはいえ、元はただの治癒術士なんだから。
高位貴族のご令嬢みたいに、家やそれに付随する派閥の後ろ盾がまったく無いのでは、王子であるルルタを支えるには力が足りない。
『う~ん、人の子の事は良くわからないけど、あの子はそんな事望んでいないように見えるんだけどな』
時々は精神体だけを漂わせて、色んな所を見ているらしい女神。その言葉を一瞬信じたいと思ってしまって、慌てて首を振って考えを打ち消す。
「私は、お役目を終えて、ルル様をこの結婚から解放するんですから!」
宣言とともに、一層力強く女神の首の付け根をぎゅぎゅっと押すと、聞いてはいけない様な苦悶とも悲鳴ともつかない声が上がった。
「先日のレイリの不手際、誠に申し訳ございませんでした」
ルルタの執務室。
メイナが聖堂にいる間にとやってきたラウミの謝罪を手で遮り、ルルタは書類から目を離さないままで答える。
「その事なら、気にしなくていい。メイにもレイリを怒らないでくれと念を押されたからね、それにあの姿を見てもメイは僕が怖くないと言ってくれたから」
その言葉に、ラウミは、ほう、と息を吐く。
「それは……さすが聖女様でございますね」
「聖女でなくても、ずっとメイは優しいよ」
「そうでございますか」
ラウミは感情が全く乗っていない、平坦な返事をして目を細めた。
「それで、いつまで『白い結婚』を通すおつもりですか、殿下?」
ルルタのペンを握る手が、ぴたりと止まる。
「やっぱり君にはお見通しだったか」
「それは、まあ。メイナ様は正直な方でいらっしゃいますから、表情は分からなくてもお声に動揺が出ておりましたよ。……他の者は気づいていないと思いますが」
「臣下達に気づかれていないなら良いんだ。……メイがきちんと役目を終えるまでは、もうちょっと僕も我慢しないといけないから」
「毎日同じ寝台で、よく我慢できておりますね」
追い討ちをかけるようなラウミの言葉に、ルルタはようやく顔を上げる。
「聖女様のおかげで、殿下との婚約話が立ち消えになりました事を大変感謝しておりますので、私、お二人を応援しているのですが」
「ああ、君は結婚せず、働いていたいというのが希望なんだっけ」
「それもありますが、会うたびに初恋のお相手の話を延々する様な殿方との結婚など、御免被ります」
しれっとそう言うラウミに、ルルタは苦笑する。身に覚えがありすぎて。
「でもいいの? 君の父上、ロウデル伯爵はメイを排除して君を僕の婚約者にしたいと目論んでるんだろう?」
「そこまですっかりバレているのに、その目論みに乗るような馬鹿に見えますか、私? メイナ様に手を出したら伯爵家ごと消えて無くなるとわかっているのに」
ルルタはラウミのその言葉を否定しない。否定しないということは、そう言う事だ。
「我が伯爵家の末長い繁栄と安寧の為にも、メイナ様を逃したりなさらないでくださいね」
「誰に物を言っているの?」
まあ、逃すわけはないだろうとラウミも思ってはいた。ルルタと初めて会った時から、内容を覚えてしまうほどにメイナの話を聞かされてきたのだから。
「でも、確かに、そろそろ我慢も限界ではあるね。……本格的な邪魔が入る前に、少しは距離を詰めてもいいかな」
「……メイナ様には、そのように悪い顔を見せない様になさってくださいね」
「わかっている。ここまできて逃げられては元も子もないからね」
ルルタの微笑みに、ラウミは背中が寒くなる。メイナのこれからに、同情の念を禁じ得ないラウミだった。