第三章 真っ暗聖女、聖女のお役目
薄暗い聖堂を私は裸足のままでゆっくり歩いていた。歩む先に、明かりが見えている。一歩、また一歩と踏み締める足元はふわふわと定まらず、私は、ああコレは夢だなと思っていた。
なにせ、私の意志とは関係なく、足が勝手に先へ先へと進んでゆくから。
ままならない自分の体にもどかしさを覚えながらも仕方なく歩み続けた。やがて足が止まって、顔が勝手に上向いてゆく。
すると目に入ったのは、普通なら女神像が置かれているはずの場所に誰かが座っている姿。それは悪戯にしても天に罰せられるような行為。
……だけど私は咎める言葉を発する事は出来なかった。
緩やかに波打つ黄金の髪、大地の色の瞳と白磁の肌、朝焼けより鮮やかに赤い唇。神殿で、治療院で、毎朝夕に祈りを捧げる度に見ていた……それこそ育ての親の顔より見たその姿。
「女神……様」
私は咄嗟に膝をついて顔を伏せた。その時にはようやく体は自分の言う事を聞く様になっていた。
顔を上げられない、上げてはいけない。その姿形は人のそれを超えていた。長くその姿を見ていれば気が触れてもおかしくはない、そう思わせるだけの凄みがあった。
『聖女よ』
耳だけでなく、全身が震える様な厳かな声。呼びかけられて、本当に自分が聖女だったのだなと思い知る。
これから神託が下り、私は聖女としての役目を……。
『待ってたわ~!』
全身を襲う衝撃に思わず顔を上げる、至近距離に整いすぎた顔があった。何が起こったのかがわからず、私はすっかり固まってしまう。
そんな私をぎゅうぎゅうと抱きしめて、女神は頬擦りをしてきた。
「く、苦しいです」
一瞬前まで感じていた恐れが吹っ飛んで、私は思わずそう口にする。すると、女神はおずおずと身体を離した。
『ごめんなさいね、前の聖女にも良く怒られてたんだけど、つい』
そう言う女神から感じるのは恐れではなく親しみやすさ。見ることすら恐れるほどの美貌だと感じた事に間違いはなかったけど、表情が、動きがまるで小動物みたいに可愛らしい。
「貴方様が女神シウナクシア様、で間違いありませんか?」
念の為、失礼かなと思ったけれどそう聞いてみる。
『そう、気軽にシアと呼んで欲しいわ』
「そんな訳には……」
いきません、とつづけようとすると、女神は目に見えてしゅんと落ち込んでしまう。
「シア様、とお呼びすればよろしいでしょうか?」
仕方なくそう言うと、女神はぱあっと顔を輝かせた。ついでに本当に光を放っていて目が痛い。
『私もメイって呼んでいい?』
「はい、御心のままに」
眩しいなと思いながら微笑んでそう返すと、女神は私の両手を握り一層嬉しそうに美しい顔を笑みで満たした。
「ところでシア様、私の役目というのは『魔力の巡りを整える』と聞いているのですが、その方法について神託を賜れるのでしょうか?」
『そうね、神託というか、お願いになるかしら。……まず、前提として、ここに居る私は本来の私の分身体。本来の私は、大地となってこの国を支えているわ』
「それは神話の通りなのですね」
『そう。要するに私はずうっと貴方たちの下で眠っている状態なの。で、長く寝ていると何が起こると思う?』
そんな事ではないだろうなと思いつつも、私は、長く寝ついてしまった村の老人の様子を思い出しつつ、例に上げてみる。
「首や肩や腰がガチガチに固まって辛くなったり、歩く力が失われたり、場合によっては床ずれが起きたり、でしょうか?」
『そう、それなの!』
女神は私の言葉に何度も力強く頷く。
『ずうっと寝てばっかりだと、身体中が固まっちゃうのはどうにもならなくて……そうすると魔力の巡りが滞っちゃうの。だから貴方みたいな「光の魔力適性が高い子」に全身を揉みほぐして貰う必要があるのよ』
聴きながら、つい私は天を仰ぐ。
まさかの、魔力の滞り=女神様の肩こり腰痛が原因とは。
確かに、これは歴代聖女も内容を秘匿する。聖女だと持ち上げられて、この国を守る為にと腹を括ったところで下されたご信託が、『揉み治療を所望する』だったわけだから。
これは書き残しにくいし……私も書き残さないかな。
「あの、シア様……確かに私の『揉み治療』は、村のお年寄りに好評でしたけど、もっと上手い方は他にたくさん居ると思いますが」
『貴方の言う通り、手技の巧みさというだけならもっと他にも居るけど、そこは、どうしても相性があるのよ』
「……相性、ですか?」
『光の魔力に対しての、親和性とでもいうのかしら。稀にそれがすっごく高い子がいるの。今代だと貴方がそう。だから、貴方に触れているだけで、私はとても癒されるの』
私の両手を握り、女神はうっとりと私を見る。
「でも、それなら王都でなく、私が居た村で行うのはダメだったのですか?」
『王城の辺りは、私の身体の心臓に当たる場所。ここが一番私と貴方が通じあえるの。他の所だと一方的に加護を与えるのが精々ね』
と言うことは、王都は女神様の胸の上にあると言うことなのかな。私の居た辺りは手足の先くらいだろうか。
『時期が近づいたら、まずは精神だけをあちこちに飛ばして、「聖女」になれる子を探し、見つけたらここに連れてきてもらえる様に、目印と光の魔力に愛される加護を与えるのだけど……』
「加護ですか? もしかして私が光を吸い込んで真っ暗になってしまっていたのは……」
私の言葉に、女神の表情がみるみる曇る。
『あのね、前の聖女の時に加護のせいで聖女が光っちゃってすごく怒られたから、今度は光らせないように! って気をつけて加護を与えたのだけど……」
「今回は光るどころか、暗くなったと……」
泣きそうな顔の女神。だけど私は理由がわかってスッキリしていた。
「大丈夫ですよ、気にしないでください」
この姿で、悪いことばかりではなかったし。本当に自分を大事にしてくれる人が誰なのかも良くわかったから。
『ごめんなさい! 魔力の巡りが整えば、役目も終わりその加護も消えるわ。期間としては、大体一年位になると思うのだけど』
「それでは、その役目が終わったら村に帰れますか?」
『帰りたいの? 今までの皆は、聖女の称号と王族との婚姻を喜んでいたのだけど』
女神様はきょとんとした顔でそう言う。
「役目が終わったら、もう私は聖女とは言えないでしょうから。それに私は王城より、今まで通り村で治癒術士として暮らすのが向いています」
加護がなくなり顔が見えるようになったら、きっとルルタはがっかりするだろう。軽口を叩ける相手には『美貌』だなんて嘯いていたけれど、記憶の中の自分の顔は10人並みのこれといって特徴のない顔。
あんな美しく優しく身分も高い人、本来なら相手はよりどりみどりだろうに、私という『聖女』が現れたがばっかりに望んでもいない結婚をする事になってしまった。
彼は私が聖女であればこそ尊重し、大事にしてくれているだけ。それなのに役目が終わってまで優しさに甘え続けるのは、許されない事だと思う。
『白い結婚』が証明できれば、婚姻の解消も簡単に行くだろうし。
『そうなの? その辺りは貴方の希望が通る様に神官達にそれとなく伝えておくわね。元々、王族と聖女の結婚は、私がちょっとしたお礼になればと始めた慣習だから、なんとかできると思うわ』
「ありがとうございます」
女神は礼を言う私を通り越し、その向こうに目をやってから口を開く。
『今日はここまでのようね。また呼ぶわ、私の聖女』
「はい、お待ちしています」
女神の姿が薄れて行く。それを見送りながら私は、目覚めの気配に身じろいで。
「メイ、メイ!」
肩を揺すられて、私はゆっくりと目を開いた。至近距離に琥珀の瞳があって驚く。
「ルル様」
私の声を聞いて、ルルタはほっと息をついた。
「メイナ、良かった……」
「え?」
私は状況がわからず、辺りを見回す。右手にも左手にも本の山。私は聖女の記録を調べながら、机の上に突っ伏して眠っていた様で。
「ラウミが、貴方が声をかけても起きないと、真っ青な顔で僕を呼びに来たんだよ」
ルルタの後方にラウミの姿も見える。白い頬が血の気を失っていて、私は申し訳ない気持ちで一杯になる。
「あの、実は今、女神様からの神託がございまして」
隠す事でもないので私が素直にそう告げると、ルルタは一瞬表情を消し、すぐに微笑みを浮かべた。
私はその一瞬に見たまるで別人のように冷たい顔に何度も目を瞬く。でもそこには優しい笑顔のルルタが居るばかり。
……見間違い、よね。
「それは良かった! すぐに陛下にもお伝えしなくてはね」
「はい! すぐに」
ラウミが扉を開けて外に控えている衛兵に言付けている様子を眺めていると、ルルタが私の手を取り顔を寄せて来た。
「歴代の聖女は皆、神託の内容を秘匿していたけど、メイもやっぱり言えないの?」
「……それは……」
私はそれだけしか言えなくて、顔を伏せる。
『聖女としての在り方を尊重する』そんな風に言ってくれた人に、まさかあの内容を伝えるなんて、とてもできなくて。
「危険なことではないんだよね?」
「はい! それは大丈夫です!」
強く言い切ると、ようやくルルタは納得したように私から離れた。
「それなら、いいんだけど。無理はしないでね」
柔らかな微笑みをたたえてそう言うルルタに、本当のことを言えない自分が申し訳なくて、私はちくりと痛む胸をそっと押さえた。