第十四章 女神と魔女2
私は、カルスの言葉の意味が理解できず、そのまま問い返す。
「『真っ暗』に戻る、ですか?」
こんな時に悪い冗談を、とも思ったけどカルスは至って真剣な顔をしている。
それなら説明を聞かせて欲しいと願うと、カルスは少し待つ様にと手でこちらに示してから、何処からか瓶を取り出し中身を辺りに振りまいた。
「これで暫くは、向こうからは見えなくなったはずだ」
何をしているのだろうと思っていたのがお見通しだったのか、カルスはそう言ってから私を真っ直ぐに見た。
「なあ、今『魔女』ってのが、女神様の神域に居座ってるんだろう?」
「『魔女』かどうかはわかりませんが、本当の先代聖女だと言っていました。ケイおばさんと女神様に人生を盗まれた復讐をしてるって。そして私の力と体を奪う、とも」
私の答えにカルスは頷き、言葉を続ける。
「やっぱりな。その『魔女』は、ケイの体から離れた魂だけの存在だ。今はいいが、紐付く体がなければどうあれ長く存在できない上、『魔女』の魔力量はかなり多いようだから、メイナくらい大きな魔力を溜め込める体が欲しいんだ」
私はあの魔女ケイナーンにとって、格好の餌というわけだ。
「だからこそ、メイナの体を奪おうとした所で、二度と出られないように封じ込めたい」
「それが、どうして『真っ暗』に戻る事になるんですか?」
そこまでの流れは、受け入れ難いけれど理解はできた。でもそこからの繋がりがわからない。
「『魔女』をメイナの中に閉じ込める為には、光の魔力を吸い込み続け、外に出せない『真っ暗』だった時の状態に戻ってもらうしか無い。そして、『魔女』が中にいる限り、ずっとそのままという事になる」
息を飲んだ。それでも構いません、と即答すべきだと分かっていたのに言葉が出ない。
戻っていなければ、すんなりと受け入れられたかもしれない。でも、こうやって元の自分を知ってしまってからまた戻れと言われるのは、一度目以上に辛かった。
失うかもしれないものに比べたら、私の姿を、顔を二度と見ることができないくらい何でもない事のはずなのに……。
「院長。……少しだけ、ルルと二人にしてもらえますか?」
「ああ、わかった」
カルスは一刻を争う事態とわかっていて、それでも頷き、その場から離れてくれる。
私は、カルスとの話の間、側で見守ってくれていたルルタの顔を見上げた。
「あのね、私また『真っ暗』に戻っちゃうみたいで」
なんとか笑顔になれたと思ったけれど、想像以上に声が震えた。
「そんな変な姿で、ルルの隣に王子妃として立つの……ルルが良いって言ってくれても、私が辛いかなあ、って」
たとえ聖女と言われても、民に奇異の目で見られる事にはなるだろう。それが、王家の求心力を失うきっかけにでもなったら……。
「それなら僕が王位継承権を放棄し、メイと共に行けばいいだけだよ」
怒った様に声を荒げてルルタが言う。
「大体、僕が王子になる事を承知したのは、聖女が王族と結婚するしきたりがあるとシア様に聞かされたからだ。メイと結婚する為に、会いに行くのも我慢して教育を受けて、臣下に認められる為に魔物と戦う騎士にもなった」
「それならどうして、『君に邪な気持ちをもって触れる事は無い』なんて言ったの? 私の事大事にしてくれているのは今でも疑ってないけど、私と……そういう事をしたいっていう『好き』ではないって事でしょう?」
とうとう、聞いてしまった。ずっとずっと怖くて聞けなかった事を。
約束を守って私を迎えに来た人、私を大事に思ってくれている人。
でも、それ以上を求める気持ちがないんじゃないか、『もっと触れたい』っていう気持ちは無いんじゃないか、そういう対象では無いんだと言われたらどうしようかと。
そうだと答えられたら耐えられない気がして、ずっと聞けなかった。
そんな私の言葉に、ルルタはぴたりと動きを止めた。
「ねえ、メイ。僕がどれだけたくさん我慢してたと思う?」
地を這う様な声だった。私は驚いて一歩下がる。
「毎日、隣で寝ているメイを見て、何度『ちょっとだけなから駄目かな』って思ったか。寝起きなんて見たら絶対に我慢できなくなるから、いつも先に起きてたんだよ!」
ルルタは私が下がった分以上に踏み込んでくる。
「出会った頃からずーっと我慢し続けてた! やっと魔力の巡りを整える役目が終わりそうで、どれだけ嬉しかったと思うの?」
ルルタの両手が、ゆっくりと私を捕らえる。目が、反らせない。
肉食獣にこれから食べられる、そんな錯覚に陥りそうだった。
「強く触れ合えば、加護がメイの方に戻っちゃうんだ。だからずっと我慢してたのに」
加護を戻してもらった時の事を思い出す。触れた唇の熱も。
そうか、あれはそういう事だったんだ……。
「なのに! さらに一生我慢しろって言われた今、そんな事を言うの?」
「え、一生?」
なんでそんな話になったんだろうと、先ほどカルスに言われた事を反芻する。
「『魔女』を捕まえるのに『真っ暗』に戻って、『魔女』がいる間は一生そのまま……」
「そう、だから加護をまた僕に半分戻す為にメイと『強い接触』をしたら、そこから先は二度とできないって事なんだよ。メイが一番辛いんだから、僕だって我慢する。一生だって。……側に居てくれるなら」
そこで、ルルタは一度言葉を切り、何度か逡巡してから口を開いた。
「でも、正直な気持ちを言っていいなら、大陸一つ失ってでも、僕はメイと『そういう事』がしたいと思ってるよ!」




