第一章 真っ暗聖女、結婚する2
「そなたは、第二王子と結婚してもらう」
え? と口から飛び出そうになるのを必死で堪えた。私は今聞こえた言葉について、どうしてこうなったんだろうと何度も頭の中で反芻し考える。
転移門を潜って王都の何処かに転がり出た私。事前に連絡が行って居たのか待ち構えて居た神官達は私の異様な姿に怯みつつも、印の浮かぶ手を捏ねくり回し、顔を見合わせ無言で頷き合った。
空気が重い。
この感じだとやっぱり違ったんだろう。がっかりさせて申し訳ないけど、早く解放されて王都見学に行きたいななどと思っていた私は、次の瞬間、ガッと肩を掴まれ、もう一度転移門に押し込まれていた。
慌てて首を捻って後方を見ると、閉まりつつある扉の向こうで魔法士が魔力を補充している姿が見える。
え? 王都見学は? 美味しいものは? 人気の洋品店は?
一気に帰れるのは嬉しいけれど、でも楽しみにしていたあれもこれも幻に消えるのかとしょんぼり肩を落とした私は、はぁ、とため息をつきながら転移門の、押し込まれたのとは反対側の扉を開けた。転移門の衛兵さんもびっくりするだろうなと思いつつ、
「やっぱり違ったみたいで……」
そう言いながら足を踏み出して気づく。ふわりと足が沈み込む。
目を落とすと、毛足の長いふっくらとした段通が足を受け止めていた。
「え?」
顔を上げると、見たこともない様な豪華な調度の並ぶ部屋に居た。
「ここは?」
答えはない、そこに扉を開けて女性達が入ってくる。先ほどの神官達と同じく私を見てぎょっとするが、すぐに気を取り直して私を取り囲んだ。
「まず、お着替えを。王がお会いになります」
混乱で言葉が出てこない、え? とか なんで? とか言っている間に、服を剥ぎ取られ、湯で磨かれ、良い香りのする香で焚きしめられ、ドレスを着せられ……顔がわからないのでメイクはされなかったけれど、手探りでなんとか纏め上げられた髪に花を飾られて、あれよあれよと言う間に謁見の間に通されて。
王から言い渡されたのが先ほどの一言。
「結婚、でございますか?」
顔を上げることが許されて居ないため、よく磨かれた床を見ながら恐る恐る問う。
「神官達は揃って、そなたが『聖女』で間違いないと言うのでな、ならば我が王家の一員となってもらうに相応しかろう」
王家の一員?
私が??
全く事態は飲み込めて居ないが、『否』が言えないのだけはよく分かった。
「ありがたく存じます」
なんとかそう答えると目の前にすっと誰かの手が差し出された。その手を取り顔を上げる。
目に飛び込んできたのは優しげな琥珀の瞳、柔らかな赤金の髪。微笑みこちらに向き合う青年の手がそっと私を支えて立ち上がらせてくれる。
先ほどの話から、彼がきっと第二王子だろうと思う。
「さあ、ここにサインを」
王に促されるまま、隣の青年がサインをした後にペンを受け取り、名を記す。
たったそれだけのことで、どうも私は結婚をしたという事になるらしい。
そんな馬鹿なと思う間も無く、今度は輿に乗せられ、回廊を抜け、二人になった。
「ごめんね、びっくりしたでしょ?」
そう言い微笑みかけてくれた青年の琥珀の瞳からは、こちらの気持ちを和らげようという気遣いが感じられる。でも、赤金の髪が彩りを添える整った顔が近くにあるのは逆効果で、混乱と合わさり更に私の鼓動は速くなるばかり。ちなみに、お名前はルルタ・シウナクシア。先ほどのサインで判明した。
「急なお話ではありましたが、大変名誉な事だと思っております、ルルタ殿下」
他に返し様も無い、こちらに否が言えるわけもないのだから。その言葉の外の意図を汲んでくれたのか苦笑して、ルルタは口を開く。
「そう言ってくれると嬉しいよ聖女メイナ。できればこれからは、殿下はやめてぜひルルと」
「はい、ルル……様。では私のこともメイとお呼びください」
言われるままぎこちなく名を呼んでみる。ちょっと舌が絡れそうだ。
「楽にして……というのは難しいよね」
そう言ってルルタは天を仰ぐ。つられて私も同じ様に上を向いた。そこには、国の名前の由来でもある、守護神たる美しい女神シウナクシアが描かれていた。
これは一体どんな天の采配でしょうか女神様、そう私は心の中で嘆く。
つい先ほど初めてルルタと対面し、言葉を交わす間も無く王に急かされながら結婚宣誓書にサインをし、呆気に取られている間に新婚の王族が暮らす為の別棟へ輿に乗せて運ばれて……今やっとまともに二人で話ができたのだ。
正直に言えば、私はまだ混乱の真っ只中だったし、なんなら色とりどりの花弁が上品に散りばめられた広い寝台に二人して腰掛けていても、夢なんじゃないかと思っている。ぎゅっと手の甲を抓ってみたら痛かったけど。
この流れだと、まさか、この後は初夜ということではないだろうか。
私の混乱している様子に気づいたのか、ルルタが少し距離を取る。
「怖がらなくていいよ、王命には逆らえないから結婚は受け入れてもらうしかない。でも、僕は君の在り方を変えたいとは思っていないんだ」
「在り方、ですか?」
首を傾げる私にルルタは頷く。
「そう。僕は聖女である君の在り方を尊重し、君に邪な気持ちをもって触れる事は無いと誓うよ。安心して欲しい」
自分の胸に拳を当てて真剣な顔で告げるルルタに、私は驚いた。
女神シウナクシアを祖先に持つ特別な一族……それが王族であり、女神が百年に一度、自分の目として下界に遣わすとされる聖女の血を王家に取り込むことで、王位の正統性を広く民に知らしめるというのが今回の結婚の思惑だろうなと思っていたから。
まだ生まれても居ない私たちの子が、第一王子の子の婚約者として内定して居てもおかしくないのに。
なのに『白い結婚』を誓う、と。
でも私はその言葉に、なるほど、とあっさり納得した。
だってその誓いは、私を傷つけない様に言葉を選んでくれた結果だと思ったから。
『顔も見えないような女に欲を抱くのは無理』なんて言葉をぶつけられるより、余程に優しい。
「ルル様の誓い、有り難くお受けいたします」
女神に感謝を捧げるのと同じ様に手を組み合わせそう言うと、ルルタは満足そうに頷いた。
「これから、よろしくねメイ」
「はい、ルル様」
二人微笑む、和やかな空気が部屋に満ちた。