第十三章 聖女と魔女1
真っ青な顔のルルタを前に、イウリスは自分まで焦燥に駆られてはならないとなるべく落ち着いた様子を保ち、言葉を返す。
「聖女メイナは時折『シウナクシア神から魂のみ神域へ喚ばれている』ようだ、という旨の報告をラウミからもらっていたが、今回もそうではないのか?」
「僕も加護のおかげで神域までは招かれずとも、聖堂でならシウナクシア神の声を聞き、会話する事はできたというのは知っているでしょう? そこで聞いた事があるんです。神域に魂を喚べるのは、シウナクシア神の心臓の位置にある王城だけ、だと」
「今回が異例だという事はないのか?」
少しふらつきながら立ち上がるエウジェを先に立って支えながらそう問うイウリス。だが、ルルタは首を振った。
「場所については、そういう事もあるかもしれません。でもメイが『神域に喚ばれている』時に立ち会った事がありますが、その時とは様子が違います。……メイが息をしていない」
その言葉に、エウジェが近づくとメイの胸元に耳を当てる。……耳から伝わるのは静寂。
「鼓動が……」
エウジェはそれ以上の言葉を発せずに目を閉じる。
イウリスは眉根を寄せた。そして、微かな音に振り返り、誰何の声を投げる。
「誰だ!?」
その声に応える様に茂みが揺れ、姿を現した人物にイウリスは驚く。
「ケイナーン様!」
ケイナーンは前聖女であり、またイウリスにとっても、ルルタにとっても高祖母に当たる人物。当然、イウリスも何度か対面する機会があった。
そんな彼女が杖を頼りに半ば這う様にして現れたのだ、イウリスは何事が起こったのかと慌てて駆け寄る。
膝をつき助け起こすと、ケイナーンは苦しげに息をしながらなんとか口を開いた。
「ごめんなさい、ルルタ。私、メイちゃんを守れなかった……」
その言葉に籠められた深い悔恨の念を感じ、ルルタは自分の考えが誤っていた事を知った。
ルルタは、ケイナーンが隣国と通じていたのではないかと疑っていた。メイナが襲われたのはケイナーンが教えてくれた場所だったし、また、その場所に関する情報はカルス、ラウミにも知らせないようにしていたから。
もしかしたら、渡された杖に居場所を感知する様な魔法道具でも仕込まれていたのかとも思っていたのに。
だからメイナが連れ去られた時、すぐにエウジェと連絡はついたが、揺さぶりをかける意味で『メイナが攫われた』事と『助けに向かう』事だけを伝信の魔法道具で伝えていたのだ。
そしてその後、連絡が取れなくなっていた……。
「何があったのですか?」
メイナを抱いたままでルルタはケイナーンに問う。
「……メイちゃんが攫われたと聞いて居ても立っても居られなくて、馬でここまで来たんだよ。着いてみたら杖が残っていたから、それを使って少しでも魔力の巡りが整えられないかと思った。せめてメイちゃんをルルタが助け出して来てくれるまで持たせられるだけでも良いからって」
「……まさか、命まで使い果たすつもりで……」
加護がない今のケイナーンがそれをやろうとするなら、魔力だけではどうにもならなかっただろう。ルルタの言葉にケイナーンが笑う。
「元々女神様から伸ばしてもらった命だからね、お返しする時だろうと思ったんだよ」
そこまで言って、ケイナーンは顔を曇らせた。
「杖を通じて魔力の流れと繋がる所までは私でも何とかなった。でもね、魔力が尽きて命まで注ぎ込み始めたところで、あの人が現れた」
「あの人、とは誰なのです?」
イウリスの問いに、言いづらそうにケイナーンが答えた。
「私が聖女だったその昔、私の中に女神様が世界を滅ぼそうとした『魔女』を封印したんだよ。その魂がいきなり私の中から飛び出し、魔物のように姿を変えて襲いかかって来た」
ケイナーンの体には、所々打撲や擦過傷が刻まれていたが、命まで奪おうという意志はルルタには感じられなかった。
「私は放っておいても後は死を待つだけだと踏んだんだろう。適当に痛めつけた後にベラベラとこれからの事を喋ってくれた」
そこで痛みに顔を顰めて、ケイナーンは一度言葉を切って何度か呼吸を繰り返し、咳き込む。
「無理に喋らないでください」
「大丈夫だよイウリス。これは私のせいなんだから。……せっかく私を信じて二人を送ってくれた女神様の為にも、きちんと話をさせておくれ」
ケイナーンの笑顔から段々と力がなくなっていた。イウリスが彼女の手を励ます様に握る。
「あの人は教えてくれたよ……封印は私の命と紐づいていたこと。長い時間が経過して封印が緩んできていた事。そして、ここ最近は私の意識の無い時は表に出て来ていた事。隣国に情報を流していたのも、あの人だった」
ルルタの中で、ずっと見つけられなかった最後の点が見えた。
それは見えていなかった裏切り者。
隣国と繋がり、ロウデル伯爵を揺さぶり、今回の件を起こした者。
「あの人は、メイちゃんの魂と力を奪い取って、封印した女神様に復讐すると言っていた。その為に魔力の流れの中に潜み、メイちゃんが魔力の巡りを整える為に繋がってきたら、体と魂を切り離してやる、と」
ルルタは目を閉じたままのメイナの顔を見下ろし、奥歯をぎりりと噛み締める。まだ少し温もりが残るこの身体に、魂が入っていないなんて。
「その様子を見るとあの人は言った通りにメイちゃんの体と魂を切り離したんだろう。だとすると、メイちゃんが危ない。長く魂が体から離されていると戻れなくなってしまうんだよ……だからルルタ、せめて魂があるだろう場所、女神の聖堂へ向かっておくれ。多分あの人もそこにいるはず」
「それなら、これを使うといい」
イウリスは自らの首にかかっていた首飾りを外し、ルルタの首にかけた。
白く輝く大きな宝石が嵌まっているそれは、王城へ帰還する為の転移魔法が籠められた魔法道具であり、王位継承権第一位の者のみが持つ宝物でもある。
「緊急時だ、陛下も文句は言うまい。俺たちは別の村にある転移門から追いかける。まずはお前と聖女だけ先に王城へ向かえ」
「ありがとうございます」
イウリスは黙って頷くと、転移の魔法道具を起動する。
「何度でも取り戻してみせますよ。僕の大事な聖女を」
「ああ、行ってこい」
イウリスが、強くルルタの背中を叩く。
次の瞬間、ルルタとメイナの姿は、ふっと煙の様に揺れて消えた。




