第十一章 真っ暗聖女、聖女の騎士2
「初めまして、聖女メイナ。私はこの粗野な王太子の妃、エウジェルムです」
「は、初めまして、メイナです。お会いできて光栄です」
私は、ルルタに横抱きにされたままで答える。
下ろしてもらいたかったが、ルルタが笑顔のまま手を離してくれなかった。
……ただただ恥ずかしい。
「光に愛された聖女様にお会いできるなんて、こちらこそ光栄です。そしてルルタ殿下、聖女様を下ろしてくださいな、失礼でしょう」
「嫌だ」
拗ねた子供の様に言うルルタ。まるで、手放せば盗られてしまうとでも思っているみたいに。
「ルル様……というか、あの……、ウル?」
私は思い切ってそう声をかけた。瞬間、ルルタは目を見開き、次にイウリスに射抜くような鋭い視線を投げた。
「兄上、何を話しました?」
ルルタの目の奥で、光がバチバチと弾ける。
「いや、ほら、アレだ……今はこんな所で時間をとっている場合じゃないだろう、な?」
イウリスがちょっと後ろに下がろうとした所で、いつの間にか背後に回り込んでいたエウジェに捕まる。
「あなた、まさか大事な場面をご自分だけでご覧になったのではありませんよね?」
「ちが、違うぞエウジェ。……ルルタも落ち着け!」
イウリスは自分の肩に食い込んでくるエウジェの指に、慌てて声を上げた。
それを横目に、ルルタは私を真っ直ぐに見る。
「ねえメイ、何をどこまで聞いたの?」
「あの、ルル様がウルだって事まで……」
「そこが一番良い所ではございませんか!」
ギリリっという音がして目をやると、一層強く肩を掴まれたイウリスが鈍い呻き声を噛み殺していた。
「エウジェルム様、なんだかよくわかりませんが、お止めになってください! イウリス殿下の顔が赤黒くなってきていらっしゃいます!」
「聖女様がそう言うのでしたら、仕方ありませんね」
エウジェはあっさりと手を離し、ため息をついた。イウリスは痛むのだろう肩を撫でながら、それでもエウジェの横顔を見て嬉しそうにしている。
「ごめんね、びっくりしたでしょ?」
ルルタがそう言って私に微笑みかける。それは初めてルルタと二人きりになった夜にかけてくれた言葉と同じだった。そう思ったら、肩からするっと力が抜けた。
「聞きたい事が沢山あるんです」
ルルタに、ウルに。
「そうだね、僕も全部片付けて、君と話したい事が沢山あるんだ」
私を名残惜しそうに腕の中から解放し地面に立たせると、ルルタは私と向かい合う。
そして、しっかりと私と目を合わせ、
「だからその為に必要な力を君に返すよ。聖女メイナ」
ゆっくりとルルタは私の唇にキスを落とした。
ウルの世界は、いつでも真っ暗だった。
強い痛みに呻きながら苦しむ自分を、ウルはまるで他人事の様に遠く感じていた。
痛くて、苦しくて、目が開けられない。真っ暗な世界。
でも、世界はいつだって真っ暗で辛いから、じゃあ、何にも変わらないじゃないかとウルは思った。
その日、いつものように各地の魔物を斃しながら辺境の村へと向かった所で、ウルは岩蛇の吐く毒を浴びたのだ。
同行していたのは少ない金で依頼を受けている冒険者ばかりで、自分の身体が商売道具の彼らが当然身を挺してまで庇ってくれることはない。
「岩蛇の毒を目に受けてしまったのです、どんな手段を使ってもいい、どうか治療を!」
近くの村の治療院まで担ぎ込んで、そんな風に懸命に訴えてくれる者が居ただけでももう十分だと思った。
それに目が見えなくなれば、きっと身を削って魔物を斃す様な事は望まれなくなる。
「もういい、一人にして」
もう全部どうでもいいとウルは思った。この目が見えなくなる事も、自分という存在が誰にも認められなくなる事も。
その時、痛みを堪える為に自分の肩を掴んでいたウルの手に、暖かな何かが触れた。両手をそっと包み込まれる。
それは誰かの手だった。多分、治癒術士だろう。
要らぬ事だと振り払おうとしたけど、触れ合った額越しに暖かさが伝わってきて動きを止めた。
じんわりと優しく染み込んでくる様な、そんな暖かさだった。それはウルの事を本当に心から癒したいと祈り、願う気持ちでもあった。
痛みの中でなんとか目を開くと、ぼんやりとだけれど真剣な眼差しが見える。
そうしてどれだけの時間が経っただろう。絶え間なく注ぎ込まれる治癒の力と優しい祈り。
緩やかに痛みが引いてきて、ウルは徐々に自分の視界が色を取り戻してきていることに気がついた。
ああ、光だ。
ウルはそう思った。真っ暗だった世界が色づいて、輝いて見えた。
そんな鮮やかに輝く世界の中に、その時、ウルだけの女神が居た。
唇が触れ合っていた。
最初は何が何だかわからなかったけど、触れ合う唇が熱くて、自分の身に起きている事が直ぐにわかった。
イウリスもエウジェも居るのにと、私は慌てて体を離そうとするがルルタの手がそれをさせてくれない。
どうしよう、混乱して息の仕方がわからない。
私は苦しくなってルルタの胸を叩く。それでようやく顔を離してくれた。
一生懸命に息を吸って、吐いて。それから真っ赤になっているだろう顔を両手で押さえてから私は気づいた。
「あれ……なんで、見えるはずがないのに唇の位置がわかったんですか?」
私の問いに、ルルタが笑う。
「だって、僕にはずっとメイの顔が見えてたからね」
あっさりそう言われて、私は動きが止まった。
「な、なんで黙ってたんですか!」
「ごめんね、僕だけにしかメイの顔が見えないのが嬉しくて、つい」
今まで見えていないと思っていたあんな顔もこんな顔も全部見られていたんだと思うと、私は頭を抱えて座り込みたくなった。
「でも、僕だけで独り占めも、もう終わりだね」
ルルタは私の手を取った。手の甲の『聖女の証』が今まで以上に強く光っていた。でもそれ以上に大きな変化があった。
「私の手が、見える」
「こちらをどうぞ」
横からスッと、エウジェが美しい細工の手鏡を差し出してきた。私は、恐る恐る鏡面を覗き込む。
私が片手で自分の顔に触れてみると鏡に映る姿も同じ動作をした。
「私、こんな顔をしてたんだ……」
治癒術士として動き回る為に自分で短く切って整えていた髪。ほんのりと頬に赤みの差す白い肌、木の実の様にころんと丸い瞳。何処か他人みたいで、何処か見覚えのある顔。
「急に、どうして?」
ルルタの口付けがきっかけだとは思うけど、何故そうなったのかが分からない。
「メイの中に、加護が完全な形で戻ったから」
「え? 『光に愛される』加護ならずっとありましたよ」
私の言葉に首を振るルルタ。
「女神の加護があれば本来、光の魔力を大地から受けて、それを浄化にも治癒にも使える。しかも普通の治癒術士や神官の何倍も強い力をね」
「でも私の治癒の力は人並みで、まして浄化なんて使えた事がないです」
「そう。メイには、加護が半分しか無かったんだ。で、残りの半分は僕の所にあった」
予想もしていなかったルルタの言葉に、私は驚き目を見開く。
「だから僕はシウナクシア神に願ったんだ」
ルルタは跪き、私の手を掬い上げると、自分の額に押し当てる。
この国では騎士の誓いを示す姿だった。
「どうしても必要になる時が来るまでは、この力は僕が預かるから、メイを守らせてほしいって」
そう言い見上げるルルタの瞳。
そこにはもう光が疾る事は無く、それでも目を離せなくなるような美しい色をしていた。




