第八章 真っ暗聖女、企みを知る
ひとしきり抱きしめてもらってから、私は顔を上げた。すっかり心は落ち着いている。
「さて、まずは情報を揃えよう」
そう言い、ルルタが立ち上がった。身につけていた宝石飾りを一つ一つ外し、机に並べてゆく。
綺麗な円を形作った所で、ルルタはそこに声をかけた。
「捕まる様な無様なことにはなってないよね?」
声に応える様に、今までただの机だった所がほんのり光って、波打つ。
『そんなヘマ打つわけないだろうが。相変わらず可愛くないなあ、ルルタは。そんな事より、メイナは無事か?』
ルルタの問いかけに声が返る。と共に、机の上で揺れる波が人の顔を浮かび上がらせた。
「院長! 神官長の所に行ったって聞いたから、一緒に捕まったのかと……」
私の声に、カルスが片手を上げて見せる。見える姿は粗いけれど、なんとか怪我もなく無事な様子が見てとれた。
『お互い無事でなにより。俺の方は神殿の前に不審な集団がいたから、中に入らず様子を見てたんだが……どうも雲行きが怪しいんで、一旦、近くの宿に退避してる。うまいことラウミとも合流できた』
『メイナ様、ルルタ殿下、申し訳ございません!』
そこでラウミが、カルスを押し退けて顔出す。覗く顔は色を失い雪のように白い。
「もしかして、君の家……この件に噛んでるの?」
一気に部屋の温度が下がった様な、そんな錯覚を覚えるほど冷たいルルタの声。
『偽聖女は、我が伯爵家が手引きしたようです』
全ての感情を噛み殺し、なんとかといった様子でその言葉を口にしたラウミ。
「なるほど。君の父上は、伯爵家ごと消える覚悟ができたという事か」
『何と申し上げようもなく、せめてこの命をかけてでも事態を収拾いたします』
「そうか」
なんでもない事の様にラウミの言葉を受けるルルタ。
「待って!」
思わず私は、ルルタの前に体をねじ込む。
「命なんてかけないで! 私、ラウミがいなくなったら困ります!」
『メイナ様……』
「院長、ラウミが無茶しない様にちゃんと見ててください!」
私の言葉に、はいはいと軽い返事を返すカルス。
「ルル様も、あんまり意地悪言わないでくださいね」
意地悪というわけではないのはわかっていた。起こした事態を考えれば、ルルタが言うことは大袈裟ではない。
ラウミの父であるロウデル伯爵の手の者が聖女を騙り、聖堂に魔物を呼び込み、女神にさえ何らかの影響を与えた……。しかも結果として王子であるルルタにもこうして事は及んでしまっている。
あまりにしでかした事が大きすぎる。
それでも私は、ラウミ自体はこうならない様に随分動いてくれていたんじゃないかと、そんな気がして……。
「メイがそう言うなら……」
『メイナ様、ありがとうございます』
泣きそうな顔のラウミに、私は笑顔を返した。……残念ながら見えないんだけど。
そこにカルスが再び顔を出し、空気を変える様にぱんぱんと手を叩いた。
『はいはい。そういうのは、解決してからゆっくりやろうな。で、まずは大事なお話し。神殿の諜報部から情報が入った。起きた事を手短に言うぞ。この大地が女神の体でできていると言うのは知っているだろう。王城、そしてその中でも神殿はちょうど女神の心臓の中心辺りにある。そこに闇の魔力で出来た杭が打ち込まれた。そのせいで一気に魔力の巡りが狂っている』
ラウミはその話を事前に聞いていたのか、身内の起こした事態に唇を噛み締めて耐えている。
ここに飛ばされた時、女神は姿を現さなかった。もうその力もなかったんだろう。打ち込まれた『杭』は、女神の魔力を乱すだけの力があるという事。
『神殿に沸いた魔物は聖女を名乗った女が消して見せたそうだが、杭についてはメイナがやった事で、対処方法がないと言っているらしい。その上、今後は女神に何かあってはいけないからと聖堂を封鎖してしまった。……結果、魔力の巡りは狂い、各所で一斉に魔物が湧き始めている。今は神官、騎士が対応に向かってなんとか抑えられているようだが』
「いずれは、人の住む街や村にまで溢れてくるということ、かな」
ルルタの言葉に、思わず皆が言葉を失う。
「そんな……」
この村にだって魔物が現れることは稀にあった、でもそれは人が対処できる程度のはぐれ魔物くらい。それと、『魔物溢れ』とは訳が違う。どれだけの被害が出るか想像もつかない。
『さて、正直手詰まりなんだよな~。王は偽聖女の『祈りを捧げ、国中の魔物を封じて見せます』って言葉を全面的に信じちゃってるっぽいし。その上、ルルタが誘拐されたって言って、捜索に王国騎士総動員してるし』
そこまでの言葉を聞いて、まさかとルルタは呟き、カルスに問う。
「待て、カルス。……その話から行くと、今、城の護りは?」
『王国騎士は王子様捜索で不在、聖騎士は魔物溢れに備えて各地に出てる。今厳重に守られているのは、聖堂だけだな』
「ほぼ、城は空じゃないか……陛下は馬鹿なのか」
王子でもさすがにそれは不敬なのではと、私は、ハラハラしながら二人のやりとりを聞いていた。
「ラウミ、ロウデル伯爵と隣国に繋がりは?」
『……ございます』
口にするのも嫌だ、という顔でラウミがそう答えた。
『姉が隣国の商人に嫁いだことから繋がりができただけだったのです。そこからどうも怪しい誘いがあったようで、叛意ありと見なされかねないので、誤解される様な事はやめる様にと言っていたのですが……』
「なるほどね、少し見えてきたよ」
ルルタが目を細めて呟くと、思考の海に沈んでしまう。
『とにかく、なんとかしてあの杭を抜いてやらにゃいかん。でも、聖堂に準備なく入り込む事はかなり難しい。魔物を呼び出したのがあの偽聖女なら、のこのこ出向いていけば、簡単に魔物の餌だ。……手が思いつかん』
「手はあるよ」
声に振り返る。そこには、ケイナーンが一本の白い杖を掲げて立っていた。
「しっかり掴まってて!」
「はい!」
私は、揺れる馬上でぎゅっとルルタの背中に密着し、腰に手を回していた。
なるべく大きな声で返すが、うっかりすると舌を噛みそうで怖い。
あれから、ケイナーンに授けられた『手』に従って、私たちは動き出した。
私とルルタは必死に馬を走らせている。
カルスとラウミの王都潜伏組は、なんとかまだ動いている神殿の諜報部から入ってくる情報をこちらに知らせ、またこちらからの動きの報告を聞きながら全体を見るという役割。
私は、馬の揺れに必死に耐えながらも、ケイナーンが話してくれた『手』の事を思い出していた。
「魔力の流れを正す方法は、一つだけじゃないの。女神様の神域で分身体に施術するのが一番効率がいいけれど、他にもできる事はあるのよ」
そう言って微笑んだケイナーンは、部屋の奥から地図を引っ張り出した。そこに描かれている大地は、私がいつも神域で会っていた、治療を受けるためにゆったりと身を横たえる女神の姿そのもの。
その地図にはいくつかの印があった。印が集中しているのは確かに人で言う心臓の辺り。でもそれ以外にも印がある。
「私たちの今いる村はこの辺り」
ケイナーンが指で示したのは女神の親指の先辺りだった。そこから指を滑らせて、親指の付け根から少し内側に当たる場所をトントンと叩く。そこには、心臓の場所の次に大きな印が書かれていた。
「そしてここが、巡りを整える為の大事な場所。何度か教えたでしょう?」
私はそう言われて思い出す。もともと、治癒の力では対処できない時の方法として揉み治療を始め、色んな治療を教えてくれたのはケイナーンだった。そしてその中に、魔力で作った髪の毛の様に細い『針』を刺して体の調子を整える方法があった。
どこを整えるかによって、刺す場所は変わってくる。その場所の中でも、胸の支えを取るのに最適な場所が、親指付け根の少し内側。
「もしかして、あの『針』と同じことを?」
「そう、その為にこの杖を使うといいわ。私が聖女時代に使っていたものだから、光の魔力を通しやすいのよ」
手渡された杖は随分古いものの筈なのに、丁寧に磨き上げられ美しく輝いていた。ぎゅっと握ると手に馴染み、まるでずっと自分の物だった様に錯覚する。
「ただし、その場には魔物が湧いていると考えた方がいいわね。大きな魔力の流れが纏まる場所でもあるから」
「そこは、僕がなんとかします」
ルルタはそう言いながら、小さなブローチをケイナーンに渡した。
「状況はこの魔法道具でお知らせします。設置した伝信の窓は開けたままにしておきますから、ケイナーン様はカルスにこちらの状況を伝えてもらえますか? カルスも聞こえていたな?」
『了解! メイナを頼む!』
「言われなくても!」
カルスの言葉にそう返すルルタ。その声が私の竦みそうな足を動かしてくれる。
「メイナ、治療院で使う馬の場所はわかるわね? その馬で行きなさい」
「はい!」
ケイナーンが私の頭を撫でて、にこり、笑みを見せる。
「行こう、メイ」
私は頷いて、差し出されたルルタの手を取った。
そうしてそれからずっと馬の上で揺られている。
どのくらい時間が経ったかわからない。段々と腕が痺れてくる。今はなんとか治癒の力で持ち堪えているけどいつまでもつか。でも弱音を吐くわけにはいかない。
まったく馬の速度を落とさず走り続けているルルタの疲労は私の比ではないはず。
掴まっている手を通して治癒の力を少しずつ流しているけど、疲労が軽減できているかもわからない。
本当に聖女だというのなら、このくらいの疲労や痛み、いっぺんに消せるくらいの力が欲しかった。正直、聖女として女神と相対する中でも、村で治癒術士をしていた頃と力は変わらないままだったから。
でも今は嘆いても何の役にも立たない。できる事をやるしかないんだと自分に言い聞かせ、私は馬にも本日何度目かの治癒の力を流し込んだ。
「もうすぐ着く、ここで馬を降りよう」
ルルタの言葉と共に、馬が駆け足から、ゆるやかな歩みに変わる。
そうしてやっと馬が足を止めると、ルルタが先に降りて近くの木に馬を繋ぎ、両手をこちらに向けてくれた。
私が戸惑っていると、ルルタは疲労の色なんて顔に出さずに微笑む。
「ずっと掴まっていたから、降りる力も無いでしょ?」
その言葉通り、ずっとルルタに捕まっていた手には力が入らず、上手に鎧に足をかけて降りるなんて事ができる気はしなかった。
そっと手を伸ばすと、ルルタが私を捕まえて抱き上げ、地に下ろしてくれる。
「ありがとうございます、ルル様」
「メイにはこの後で沢山がんばってもらわないといけないからね。それまでは、ちょっとだけ下がって待っててくれる?」
そう言いながら、ルルタは白い手袋を片方ずつ装着する。そうして一度目を閉じて、深く息をついた。呼吸が整った所で両手を打ち鳴らすと手の間で光が弾ける。それは神官が使う浄化の力にそっくりだった。
「武器を持ってこれなかったから、ちょっと時間がかかるかもしれないけど、ごめんね」
言葉と共にルルタがそっと目を開く。琥珀の瞳の奥でも、キラキラと光が弾けていた。
私はそれを見た瞬間に、雷に撃たれた様な衝撃を覚える。
だって、私は、その光を知っている。
下がって待っていてと言われていなかったら、きっと私はその背を追いかけていた。
「ルル様、ご無事で……」
私はせめてもと、両手を組み合わせて祈る。
今は、ただ、ルルタの戻りを待つことしかできなかった。




