第一章 真っ暗聖女、結婚する1
「はい、これで治療は終わりです」
私は、相手の腰の辺りに翳していた手を下ろしてそう告げた。
「すっかり腰の痛みが消えたよ! ありがとうメイナちゃん。これで明日からまた現場で働ける」
「痛みが引いても、無理は禁物ですよ」
苦笑する私。後方の薬師に患者を引き継ぎながら、一つ大きく伸びをすると、入り口から声がかかる。
「おっ、今日も盛況だなメイナ」
「院長、そう思うんでしたら手伝って行ってくださいよ」
この治療院の院長であるカルスの軽口に、私は苦言を投げ返す。
「手伝いたいのは山々だけど、俺こう見えて仕事中なんだよね」
その言葉に、サボっている様に見える事は自覚しているのかと私の眉根がぎゅっと寄せられる。まあどれだけ顔を顰めても、相手には伝わらないのだけど。
「そんな嫌な顔しなさんな」
「……よくわかりましたね?」
「付き合いも長いから、なんとなく分かる」
胸を張るカルス。私は思わず笑ってしまう。
「まあまあ、機嫌を直してくれよ『真っ暗聖女』様」
「院長に呼ばれると、何故かイラッとしますね」
「『光属性の治癒の力』に愛されすぎて、周りの光を吸い込み続けてしまうなんてなあ。最近じゃはっきり顔を見ることもできなくなっちゃって」
『真っ暗聖女』。ぼんやりとした影にしか見えなくなった私を、村の皆は親しみを込めてそう呼ぶ。
最初は、別の村の子供たちの間で悪い意味で呼ばれていた『真っ暗オバケ』という呼び方に怒ったこの村の人たちが、治癒術士として皆を分け隔てなく癒す私を『真っ暗は真っ暗でもオバケじゃなくて真っ暗「聖女」だ!』と、呼び始めたのが発端。
聖女と呼ばれるのはむず痒いけれど、『真っ暗聖女』という呼ばれ方は、だから嫌いじゃない。
「しっかし、年々顔が見えなくなるよなあ」
「この美貌をお見せできないのは残念ですが、まあ仕方ないですよね、私が『光』に愛されている証ですし」
「見えてないからって適当な事言ってるなあ」
「本当の事ですから」
苦笑するカルスに顔を近づけてやる。至近距離でも、なんか凹凸があるなという感じにしか見えないのは知っているけど。
「ところで、何か用があったんじゃないんですか?」
私の言葉に、カルスはそうそう、と言いながら紙を広げる。
「さっき王都から人探しの依頼が来てな」
「訳ありの貴族でも駆け落ちしてきたんですか?」
私は今日の治療記録をペラペラとめくりながら、片手間に答える。
「違う違う、今年は百年に一度の『聖女』サマが遣わされる年なんだそうで、各地で『聖女の証』を持つ者を探してて……」
「はあ、聖女ですか。私みたいな『なんちゃって聖女』とは違う本物ですよねえ。そんな尊い方がこんな田舎に現れないでしょう」
日々の糧には困らない実り豊かな土地ではあるが、このシウナクシアの国の中でも端っこの、王都から馬車を乗り継いでも一ヶ月はかかるここに『聖女サマ』が現れるなんて。
「うーん、これはひょっとするか」
カルスは広げた紙とこちらを交互に見て、口を開いた。
「ちょっと手、出してみ?」
「手ですか?」
私は言われるままに手を差し出した。相変わらずぼんやりと黒い靄に包まれたような手、そこにほんの小さな星形の光が宿っていた。最近、なんか針の先ほどの光が見えるなあと思って居たらいつの間にこんな形に?
「それ、多分『聖女の証』だな」
「え!?」
嘘でしょう? と続ける私に、カルスは軽く、
「嫌なら見なかったことにしてもいいぞ」
とそう言うが、後からバレたら村ごと処罰対象だろう。そんな事させる訳にはいかない。
私は首を振った。
「まあ、本物かどうかはわからんが、手の甲に光る星型の印がある者は王都に連れて来いってことだ。そこでちゃんと神官が確かめるそうだから」
「移動の費用と滞在費は向こう持ちですよね?」
食い気味にそう聞くと、カルスが頷く。
「それなら、一生行くことないと思ってた王都見物のついでってことで行きます。治療院は……」
「まあ、少しの間くらいなら俺が入って回しておくよ」
カルスは、ちょっとサボり癖はあるが、なんだかんだ治癒術士としての腕は良いのだ。普段から、院内を見ていて、いざという時にはちゃんとフォローしてくれる。
「それなら安心ですね。副院長にお目つけを頼んでおきます」
焦るカルスの前に早速副院長がすっと現れ、彼に治療術士としての制服を手渡している。逃がすつもりはないらしい。
「さて、私は王都まで一ヶ月の旅ですね」
馬車で一ヶ月の旅……私の腰は無事に済むだろうか。準備についても旅慣れて居ないので心配だし。
「ああ、それなら今回は王家からの呼び出しになるから、隣村の転移門を使っていいそうだ」
「転移門ですか!」
私のテンションが一気に上がる。転移門は、魔法士の力が満たされた石で作られて居て、普段は何か緊急で王都への伝令を飛ばすために使われる。
転移門同士を結んで一瞬で着く代わりに、一度使えば魔法士が訪れて魔力を入れ直してもらえるまでは使えなくなってしまうので、平民はなかなか使う機会がない。
「明日、朝から隣村まで馬で送ってやるよ。患者もいないし、今日はもう上がっていいぞ」
「ありがとうございます!」
私が浮かれているのが動きから分かったのか、カルスは笑いながら私の背中を叩いた。
「あんまり期待するなよー? 聖女じゃなかったら帰りは馬車だからな」
言われて気持ちが落ちそうになるが、私はそれを笑い飛ばす。
「何言ってるんですか、見事、聖女として認定されてもう帰ってこないかもしれませんよ~。そしたらこの村の活性化にでも使ってください。『聖女を育てた村』とかなんとか言って」
「それはいいな、この治療院で記念品でも売るか」
「せっかくなら、この村の裏山でたまに採れる黒く光る石をアクセサリーに仕立てて『真っ暗聖女』ご愛用の品として高額で売りつけてください」
私がそう言うと、副院長が呆れた様にため息ひとつ。
「今、あなたが悪い顔してるのは、私にも分かりましたよ」
「え、わかっちゃいました?」
戯ける私。笑う治療院の皆。その時はその場の全員、私が馬に揺られてぐったりした様子で戻ってくるものだと思っていた。