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MAGIC of ENDLESS

作者: もりやし

諸事情があり、県の文芸コンテストに出せなくなったものを腹いせに放出してみる。

 いま、この時代に魔法を必要とする人間がどれだけいるのだろうか。


 いや、問うまでもない。そんな人間はもはやいないも同然だ。だから私は誰からも必要とされない。悠久の時を生きるこの体で、永遠に孤独の中を彷徨うのだろう。


「ナホ〜! 紙飛行機が届いてるにょ! 実に五年ぶりだにょ!」


「ふーん……そう。机に置いといてよ。後で読むから」


「い、今読まないのかにょ?」


「うるさい。私の自由でしょ」


 デフォルメされた小動物のような謎の生物、ペペがふよふよと空中を飛び回りながら説教をしてくるが、耳にも入れるつもりはない。見た目が可愛らしい以外に、特にこれといったメリットを持たない未確認生物に説教をされても、反省する気など微塵も起きないからだ。


 しかし、紙飛行機か。こんなくだらない子供だましのまじないを信じる人間がまだいるとは。


 空色の便箋に悩みを書いて夜に飛ばすと、魔法少女がその悩みを解決するために来てくれるというなんともチープなまじないだ。


 もっとも、私という魔法少女が存在し、空色の紙飛行機が私の家に届くのでいくらチープとはいえども、このまじないは本物なのだが。


 このまじないのピークは三十年くらい前だっただろうか。かつては私一人ではとても処理できないくらいに紙飛行機が届いていたものだ。その紙飛行機を受けて私は北海道から沖縄まで奔走し、その悩みをできる限り解決することに躍起になっていたものだ。あのころは忙しかったがやりがいを感じられた。


 それから月日が経ち、紙飛行機の数が一日に一つ、一週間に一つ、半年に一つと数を減らしていくのを見るたびに私は必要とされなくなっていくのを感じるようになった。


 実際、私に頼らずとも科学はいろんなことを解決してくれる。科学の大きな力に比べれば私のできることなどちっぽけなことだったし、なによりその科学は私の存在を真っ向から否定するものだった。


 自分が否定される世界に行くことが楽しいはずがない。私のやる気が削がれていくのは当然のことであった。


「だいたい、5年ぶりって言うけども実際は八年ぶりくらいでしょ? なによ、「彼女がほしいです。力を貸してください。もしくは付き合ってください」って! そんな内容、イタズラ以外の何物でもないでしょ?」


「あ、あれだって本気で困ってたかもしれないにょ! それに、今回は悪ふざけじゃないにょ!」


「へー、まぁ、聞くだけは聞く。内容は?」


 くだらない内容ならぺぺもろともゴミ箱にぶち込んでやろう。


「友達がほしい、それだけしか書かれてないにょ。見たところ小さい子の文字だし、悪ふざけではないと思うにょ」


「…………ちょっと貸して」


 便箋をひったくりメッセージを覗く。なるほど、確かに子供っぽい丸い字で「おともだちが、ほしいです」と書いてある。認めたくはないが、そこそこ信頼はできるだろう。


 そうなると、私は魔法少女としての責務を果たさなければならない。


「はぁ……仕方ない。行くよ、ぺぺ」


「ジャージ姿でかにょ? 変身するにょ!」


「あぁ、そうだった……はいはい、五年ぶりの変身っと」


 特に派手な光や音はない。というか、出さないようにしている。だって無駄じゃん。


「全体的に雑な上にデリカシーがないにょ! 目の前で着替えるなら光か何かで隠すにょ!」


「減るもんじゃないし、別にいいでしょ。そもそも、セリフを言いながらピカピカ光って変身するのは恥ずかしいし」


「魔法少女としての自覚はあるのかにょ!? 魔法少女を始めて何年目だにょ!」


「さて、行くよ。紙飛行機よ、道を示しなさい」


「無視するな、だにょ!」


 私の杖が、空色の紙飛行機に命を与える。この紙飛行機が飛んでいく先に依頼人の家があるのだ。


 友達が欲しい、か。どこの誰とも知らないが、私だってほぼ友達がいないのにそんなこと言われても困るんだが。それこそ、ネットで友達の作り方を検索するなりなんなりすればいいのだ。大きなため息を一つすると、透き通るような夜空に向かって飛び立つことにした。


  *  *  *


 こうやって夜空を飛ぶのは久しぶりだ。春の夜空の冷たい空気を切って、星々の海を飛ぶというのは何物にも代えがたい楽しさがある。


 紙飛行機が導く先は、大きな家だった。考えるまでもなく家主は金持ちだろう。金持ちの家の子供がこんなオカルトとすら言えない子供だましを信じてしまって大丈夫だろうか。将来、詐欺師に騙されたりしないだろうか。


「案内ご苦労さま」


 目的地に到達したので紙飛行機に声をかけ、魔法を解く。その瞬間、紙飛行機はどこからか流れてきた強風に乗って、遠くへ飛んでいってしまった。役目を果たした紙飛行機はこうやってどこか遠くへ消えてしまうのだ。


 紙飛行機が指し示したのは二階の角にある部屋の窓だ。そこが子供部屋と見て間違いない。そっと窓に近づき、なるべく音を立てないように小さくノックする。


「どうも、呼ばれたので」


「わ、わ、ほんとうに……来てくれた……!」


 窓の向こうで出迎えてくれたのは可愛らしい女の子だった。触れれば消えてしまいそうな儚さの笑顔で招き入れてくれる。


 だいたい、小学校低学年くらいだろうか。


「わ、わたしは松原(まつばら)椿(つばき)です。えっと、えっと、来てくれてありがとうございます!」


 ずいぶんしっかりとした子だ。


「そう、椿ちゃんね。年齢は? どうして友達が欲しいわけ?」


「九歳です。小学四年生です」


 おや、体はこんなにも小さいのに意外だ。だが、その理由はすぐに察しがついた。


 この部屋は子供部屋というよりも病室だったのだ。消毒液の匂いの漂う室内に、神経質なまでに清潔で真っ白いシーツ。何らかの病気で成長が遅れているのだろう。


「そっか。友達が欲しいってことは……学校にもあまり行けない感じ?」


「な、なんでわかったの!?」


 そんなキラキラした瞳で見られても困る。


「なんというか……その……魔法少女だから。色々わかるよ、うん」


「そっか! すごいなぁ!」


 無邪気に尊敬のまなざしでこちらを見てくる椿ちゃんに、私は曖昧な笑顔を浮かべるしかなかった。私はそんなに、尊敬されるべきすごいものではないのだから。


「あ、あの、それで、どうやったら友達は作れますか?」


 少しばかり世間話をしてごまかそうとしたのだが、椿ちゃんは本題を忘れていないようだった。しかし、なんてストレートな質問だ。


 仕方ない、話だけでもしてあげたほうがいいか。


「最後に学校に行ったのはいつ? その頃には友達はいた?」


「さ、さいごに行ったのは……一年生のときで、友達は……いなかった、です……」


 ……友達作りへの道はどうやら遠そうだ。いったいなにがあったのか探る必要があるだろう。


「そっか、三年も学校に行ってないわけ? 何かあった?」


「わたしは病気だから……病気がうつるからさわるなって……」


 そういうことか。それはなんというか……小さくない心の傷だろう。学校に行けなくなるわけだ。


「でも、わたしにも友達がほしい……一人はさみしいから……だから、だから、てつだってほしいです」


「そりゃ、できる限りのことはするつもりだけど私にも友達は一人しかいないからね……どれだけ力になれるか……」


 私は普通の人間とは違う時間を過ごしている。魔法少女になってから五十年近く経った今でも見た目は最初と変わらず中学生くらいだ。


 だから、普通の人と深い仲になることは殆ど無い。私は若いまま、相手だけがどんどん年老いていくことに耐えられないからだ。二十年以上前にできた唯一の友人も、今は大人になって椿ちゃんくらいの子供がいることだろう。


 つまるところ、はっきり言って友達の作り方など知らないのだ。仮にその友人と友達になった話をしても魔法少女というプラスイメージから始まった話は、病気というマイナスイメージを持って始めなければならない椿ちゃんには参考にできないだろう。


 あぁ、やはり魔法なんて無力だ。椿ちゃんのクラスメイトを洗脳して、友好的にさせるくらいの芸当は魔法でできてしまうのだが、それではおそらく意味がない。彼女の真っ直ぐな気持ちには正当な方法で応える必要があるだろう。


「そっか……えっと、魔法使いさん……」


「私は高井(たかい)菜穂(なほ)。ナホさんでいいよ」


「ナホさんはさみしくないんですか?」


「寂しくなんてない。いくら友達を作ったってみんないなくなってしまうから。


 私はずっとずっと昔から、椿ちゃんのお母さんくらいの人が小さい時からずっと魔法少女をやってきた。でも、私が歳をとることはない。友達だけが歳をとって、そして大人になって、忙しくなって、私のことを忘れていく。それは友達がいないことよりもずっと辛いこと。


 実際、私にできた唯一の友達も今はどこにいるかわからないし、紙飛行機を飛ばして連絡をくれることもなくなった。


 だから、それに比べたら一人でいることは寂しくない」


 改めて感じる、仲間のいない孤独。きっともう一人くらい魔法少女がいたのならば、同じ時間を生きることのできる仲間がいたのならば、こうやって心が荒むこともなかっただろう。


「……きっと、わたしは忘れないです」


 長々とした私の演説に対して、椿ちゃんはハッキリとそう言った。


「ぜったいに忘れません。だから、友達になってくれませんか?」


「……でも、たとえ椿ちゃんが私のことを忘れなくても、椿ちゃんはきっと私より先に死んでしまう。私はそれが嫌。


 だから、椿ちゃんとは友達になれない」


「じゃ、じゃあ、死なない体をわたしにください!」


 そんなことができるのは神様だけだ。いくら私が魔法で色々できると言っても、永遠の命なんて与えられるわけがない。


 首を横に振り、口を開こうとしたその時だった。開きっぱなしの窓からぺぺが飛び込んできた。


「一つだけ方法があるにょ!」


「わっ! な、なに?」


「これは……相棒のぺぺ。まぁ、その、こういうマスコットはお約束じゃない?


 それで、どんな方法?」


 怪生物の乱入によって多少のパニックに陥る椿ちゃんをなだめながらぺぺに話の続きを促す。


「椿も魔法少女になるにょ! 君にも適正があるにょ!」


 魔法少女になる? 確かに、それなら私と同じ時間を過ごす同士が生まれるわけだが……私以外に今まで魔法少女なんて存在しなかったし、新しく魔法少女が誕生できるなんて思っていなかった。


「わたし……が?」


「そう、君がだにょ。そうすれば君は病気に苦しむ必要はないにょ。誰かに虐められることもないにょ。


 そしてなにより、友達ができるにょ」


 そう言ってぺぺはこちらを見る。やれやれ、勝手に私が友達になることを断定するな。こういう私の意見を聞かずに話を進める態度が嫌いだ。


 こっちも散々ぺぺの意見を無視してるからおあいこなんだけど。


「ほんとう? 魔法少女になったら、友達になってくれる?」


「うーん……それなら、考えておく。それでぺぺ、魔法少女になる方法って?」


「ナホは自分が人間だった頃を覚えているにょ?」


 実のところ、全く記憶にない。五十年近く前の話だ、断片のようにしか思い出せる場面はない。


「ナホさんも人間だったんですか?」


「まぁ、そうだね。色々あって、家出をして気づいたら魔法少女になっていたんだ。どうも行き倒れていたのをぺぺが発見して助けてくれたみたい」


 あまり疑問に思っていなかったが、もしかしてぺぺの能力の本質は魔法少女を生み出すことにあるのだろうか。


「あんまり覚えてなさそうだにょ……まぁ、当然と言えば当然なのかにょ? 強いショックを受けてナホの記憶はかなり消えているはずだからにょ」


「強いショック? 私に何があったわけ?」


「ナホ、落ち着いて聞くにょ。ナホは魔法少女になる直前、トラックに轢かれて死んだんだにょ」




 あまりに淡々とぺぺは衝撃的な事実を告げた。


「そして、ボクはナホの魂を捕まえてボクの作った体の中に入れることで魔法少女としてナホを生き返らせたんだにょ」


 一切ぺぺの表情は変わらない。珍獣だの未確認生物だの言いたい放題言ってきたが、ここまで不気味に感じることはなかった。


「だからナホは歳を取らないにょ。だって歳を取るのは肉体であって魂ではないからだにょ」


「つ、つまり何が言いたいのよ!」


「椿、君がナホと友達になりたいならそれくらいの覚悟がいるということだにょ。一度死ななきゃ魔法少女にはなれない。それでも君はやるのかにょ?」


 時が凍り付く。ここまでの話をまとめるならば「私と友達になりたいのなら死ね」ということになるだろう。自分がすでに死んでいるという事実だけでもすぐには受け止められない話だというのに、さらに重なる事実が私をクラクラさせる。


 ペペが死神のように思えた。そして、私はその手先。装飾過剰ないつもの杖が、命を刈り取る鎌に思える。いくらでも人の命を奪える代物だ。あながち間違いとも言えない。


 そうか、私は罪深いのだ。ならばいっそ……


「そう悪い話ではないと思う。きっと病気で苦しまなくていいし、こうやって今まで通りに他の人と関わることもできる。もちろん、家族にもいつでも会える。


 それに……」


 そこでハッとして口をつぐむ。私が友達を欲しがってどうする。まるでそれじゃ、、私が友達を作ることに未練があるみたいじゃないか。五十年近く、孤独に魔法少女をやってきたんだ。まだそんな感情を捨てられないというのか。


「逃げてもいいんだにょ。そんな体でよく頑張ったにょ」


 さらにペペが畳みかける。天使のような姿かたちをした地獄の使者、そんなイメージが脳裏をよぎる。そして哀れにも、この子は言葉巧みな悪魔に騙されてしまうのだ。




「わたしも……なりたい」


 現実から目を背け、耳を塞げば忍び寄る悪魔に気づくことができない。現実から逃げる代償はあまりにも大きかった。


「わかったにょ。なら、目を閉じるんだにょ。痛くも苦しくもないはずだにょ」


 椿ちゃんが固く目を閉じる。きっと怖いだろう。震える華奢な体は魔法少女という重荷を背負うにはあまりにも小さく感じた。


 瞬間、柔らかな光が椿ちゃんを照らす。光はやがて強さを増し、何も見えなくなって──




「これで、いいにょ」




 ──そして何事もなかったかのように光は消える。復活した視界に写っていたのは青く輝く塊を持ったペペと、倒れたままピクリとも動かない椿ちゃんの体だった。


「本当に殺しちゃったわけ? ず、ずいぶん見た目にそぐわないこともできるのね」


 いつもの口調を装っても、言葉の端々は震えを隠せない。


「殺してはないにょ。体から魂を抜き取っただけにょ。一週間もすれば体の機能が完全に停止するだろうけど、今すぐ死ぬわけじゃないにょ。


 さあ、椿の体をベッドに寝かせて早く帰るにょ。椿の新しい体を作ってあげるにょ」


「そ、そうね。バレる前に退散しなきゃ」


 抱き上げた椿ちゃんの体はまだ温かく、心臓も動いていた。だが、その体はもう空っぽなのだ。できる限り易しくその生ける屍を横たえると、切り付けるような冷たさの夜空へと全速力で飛び立った。


*  *  *


本当にひどいことをしたと思う。だが、それでも空虚だった毎日を誰かで埋められるというのはその後悔すら塗りつぶしてしまうほどの幸福だった。


「ナホさんナホさん! 魔法、教えてください!」


 健康な体を手に入れて、元気いっぱいとなった椿ちゃんは明るく積極的で、笑顔がまぶしかった。つられて、ひねくれていた私の心も明るく照らし出されていくように感じた。


「今日は何がしたい?」


「今日は……空を飛びたいです!」


「そっか、難しいけど……椿ちゃんなら何とかなるかも。よし、やろうか」


 実際、椿ちゃんの才能は驚異的なものだ。ぺぺから魔法少女の体と同時に与えられる自分の背丈ほどもある杖を小さな体で器用に扱い、半日ほどで魔法少女への変身を完成させたのだ。私は数日間必死に杖を振り続けたというのに。ぺぺ曰く、私にも高い才能はあるのだそうだ。だが、椿ちゃんの才能は私のそれを上回るものであった。それだけのことらしい。


 しかし、別に妬ましいだとか悔しいだとかそういう感情は抱かない。むしろどんどん吸収して成長していく姿は、教える側として非常にやりがいを感じられる。あと十年もすればきっと追い抜かれるだろう。私はその瞬間がとても楽しみだ。


「いい? 一口に空を飛ぶと言っても、そこにはいろいろな方法がある。重力をなくしたり、翼を生やしたり、他の空を飛ぶものを利用したり。だから、まずはどうやって飛びたいのか、一番やりたい方法を──」


「イメージする、ですね」


 その通り。魔法少女が魔法を使ううえで、最も大切なのはイメージだ。魔法にしたいものを強くイメージし、それを杖を通じて脳の外に出力する。その結果、魔法が発生するという流れをたどるので、想像できることは基本的に何でもできる。


 逆に、永遠の命なんてものを実現させることができないのは、あまりにも抽象的過ぎて明確なイメージができないからだ。


「ナホさんはどういうイメージで飛んでいるんですか?」


「私? 私は体を空中に浮かすだけの魔法を使ってる。そして、浮きながら杖を動かす魔法を使って、杖に引っ張ってもらうという感じかな。昔は不器用だったから、難しい魔法を使えなくて。簡単な魔法を二つ組み合わせてたんだ」


 ある程度なんでも自由自在になった今では非効率そのものなのだが。


「二つも……すごいなぁ……」


「そんなにすごいものではないから。普通に魔法一つで飛べるほうがいいに決まってる」


 時々思うのだが、椿ちゃんは私を過大評価しているのではないだろうか。私はそんな立派なものではない。ともすれば崇拝にも近いような尊敬は身に余りすぎる。


「ほら、とりあえずイメージしてみよう。何事も挑戦だから」


「わかりました!」


 椿ちゃんにとって唯一の存在。先輩であり、ただ一人の友人。だからこそだろうか。本当にそれでいいのだろうか。どこまでも従順に、どこまでも幸せそうに。こんなことが椿ちゃんの幸せでいいのだろうか。こんな私が、渇きを満たすためだけに椿ちゃんを取り込んだ愚か者が彼女の幸せであることが許されるのだろうか。


 だからこそ私はどうすればいいのかわからない。彼女の好意を純粋に受け止めることができない。


 でも、私だって幸せを選ぶ権利はあると思うのだ。見知らぬ人間すべてのために犠牲となって自由を奪われる義務はない。私としてもそんなつもりはない。だから、当然の権利を行使しただけなのだ。


 私の中でせめぎあうのは「人間としての良心」と「人間らしい欲望」だ。わずかに残る私の人間らしさのひとかけらが喧嘩を始めるというのはなんとも言えない皮肉に感じる。


「はぁ……人間やめるのなら、心もなくしてくれたらよかったのに」


 この虚脱感もまた、人間らしいといえば人間らしいか。もういい、今更こんなちっぽけな良心で、何が償えるというのだ。この迷いを振り払わなければ進めないのだ。


 決めた、私は「私」を生きるんだ。


 私は杖を手に取る。かけるのは……そうだ、不都合なことを思い出せなくなる魔法にしよう。魔法に守られた安全な世界に逃げるのだ。……おそらく永遠に。


*  *  *


「ナホさん、ナホさん! 見ててください!」


 あの日から数日、私はとても幸せだ。かわいらしい後輩ができて、退屈はきれいさっぱり消えた。何も憂うことはない。何か重大なことがあったように思うこともたまにあるが、いくら考えても思い出せないのだから、気のせいなのだろう。今が幸せすぎて不安になっているだけかもしれない。


「もしかして……ついにできた?」


「とにかく見てください! いきます!」


 興奮した口ぶりで、頬もリンゴみたいに真っ赤になっている。


 くるり、華奢な体が一回転する。瞬きするほどの間だ。その一瞬で、椿ちゃんの背中からは純白の翼が大きく広がっていた。


「どうですか?」


「その……ずいぶん大きいね」


 むしろどっちが本体なのかわからないレベルだ。魔法少女というよりは天使のような雰囲気になっている。


「最初はもっと小さかったんですけど、飛べなくて。なので、飛べるようになるまで大きくしました」


 魔法なのに脳筋の香りがする。ただ、それもかわいらしい。


「それじゃ、その翼が見掛け倒しじゃないことを証明してね?」


 そう言って私は飛び上がる。五十メートル程だろうか。これくらいできれば上出来だが、はたして……?


「それじゃ、いきますよ」


 白い翼が軽やかに羽ばたきを始めた。


「おお、すごい……けど……」


 確かに飛べていた。飛べてはいたのだが、それに伴う暴風はまさに凄まじいの一言。気流のせいで小回りもきかず、放っておけばふらふらと物を壊して回るに違いない。


「ど、どうですか……?」


 何とかそばまで飛び上がってきた椿ちゃんの声がやけに遠く聞こえる。まるで台風か何かだ。


「空を飛ぶことについては合格点。だけど、魔法少女としては不合格かな」


 荒れ狂っていた気流を止め、椿ちゃんの足元に足場を作る。私の返答に椿ちゃんは不満な様子だった。


「むー……どこがダメでしたか?」


「バレちゃうじゃん。紙飛行機をくれた人以外に見つかったら面倒でしょ?」


 免許もライセンスもないので、魔法少女という身分証明はできない。それどころか魔法少女なんて存在しているはずのないものだ。見つかればどれだけ面倒か。その経験は両手の指では数えられない程度には覚えがある。


「あ、そうですね……がんばります!」


「素直でよろしい」


 そう言って椿ちゃんは翼を動かす。しまった、また強風が……


「……ん?」


 その風の中に空色の何かが光った。風の中、真っ直ぐにこちらに飛んでくるそれは、どうやら紙飛行機らしい。強風の中を、その軽い機体はびくともせずに矢のようにこちらに飛び込んでくる。普段飛んでくるようなゆったりしたものではない。私を貫かんとばかりに、胸に飛び込んできた。


『娘を助けて!』


 紙を開いた瞬間に現れた悲痛な叫び。緊急事態であることは疑いようもないだろう。それも、警察や消防にはどうしようもないことの。


「椿ちゃん、ストップ! ぺぺ! ぺぺ!」


「な、なにかあったんですか?」


「ナホ、どうしたにょ?」


 急いで私のもとにやってきた二人に手紙を突きつける。


「私、行かないと!」


「これ、わたしのと同じ便箋だ……」


「それがどうかしたにょ?」


「それ、お母さんからもらったものなの。お母さんがわたしと同じくらいの年齢だったころのものなんだって。だから、その……わかんないけど……」


 残念ながら議論の時間はない。


「私はもう行く! ペペ、椿ちゃんを見てて!」


 道を示せと紙飛行機を杖で叩けば、空色の弾丸が曇り空を打ち抜いた。遅れてなるものか、全速力で紙飛行機を追従する。あまりの速度に酸素が吸えない。それでも、働かない頭で何が起きているのか考える。わかるはずもないのに。


 やがて目的地が見えた。いつか見たような大きな家。その二階の角の部屋の窓が大きく開け放してある。そこに入ればいいようだ。紙飛行機は使命を全うしたらしい。一陣の風に乗り、あっという間に見えなくなってしまった。


「どうしましたか!」


 窓から飛び込むや否や、依頼者らしき女性が抱きつき、泣きながらすがってきた。


「ありがとう! こんな私のために……ありがとう……ありがとう……!」


「お礼は後でいいので! それより、ともかく要件を!」


「そ、そうね! 椿が、その……そこのベッドで眠っている私の娘が……もう現代医学では助からないって……確かに余命は五年前後とは言われていたけど、急に容体が……自分勝手だけれど、もうあなたに頼るしかなくて……」


 椿……?


「……っ! どういうこと?」


 おかしい。椿ちゃんは私の家……現実世界から隔離された魔法少女のための世界で、魔法の勉強を一生懸命しているはずだ。でも、こっちのベッドで力なく横たわっているのも間違いなく椿ちゃん。何があったの? 思い出そうにも全く思い出せない。とにかくできることを!


 幸い、元気な椿ちゃんのイメージは簡単だ。一週間、ずっと元気なその姿を見てきたのだから。


「どうして……っ! どうしてっ!」


 ありったけの力を振り絞って、脳が焼き切れるほどにイメージをして、それでも何も起きない。目がチカチカする。心臓が壊れそうなほどに鼓動を刻む。私が何とかしないと。私が誰かを助けられないのなら、私に存在意義はないじゃないか。


 心のどこかでは無駄だとわかっている。その理由はやっぱり思い出せないけど、それでもきっと無駄だろう。それでも奇跡を信じたくて……


 最終的には、もはや祈りだった。両手を組み、膝をついて見えない何かにすがる。でも、知っているのだ。奇跡は……


「椿、大正解だったにょ!」


 瞬間、目も開けられないほどの暴風が開け放しの窓からなだれ込む。そこに、私は天使の姿を幻視した。幼いけど、立派な翼をもつ純粋無垢な天使……




 そこで私の意識はぷつりと途絶えた。


*  *  *


「ありがとう……ありがとう……」


 目覚めたとき、最初にかけられた言葉はそれだった。私は何もしていないのに。


「奇跡……起きたの?」


 にわかには信じがたかった。私に力がなかったことは誰よりも理解しているし、祈ったら神様が慈悲をくれるほど清らかなわけでもない。


「起きたわ。ナホちゃん、あなたが起こしてくれたの」


「なぜ名前を?」


「あれ、忘れちゃった? だよ。最後に会ったのは……そうね、二十年前。友達だったでしょ?」


「あっ……!」


 脳内にかかっていた霧が一気に消えていった。きっと、力をすべて使い果たしてしまったのだろう。自分にかけていた「不都合なことを思い出せなくなる魔法」の効果が切れたらしい。


 そうだ、彼女がわたしの心に引っ掛かり続けていた。生きる時間の違いから、私は戸惑うことになった。そして、一つの悲劇を生んだ。


「私があの子に教えたの。きっと力になってくれるって」


「……ごめんね美代ちゃん。全部私のワガママだったんだ」


 ベッドの上では椿ちゃんが安らかに寝息を立てている。もう命の心配はないだろう。一週間、ぺぺの提示したリミットにはぎりぎり間に合ったらしい。


「いいのよ。だって私のワガママを聞いてくれたんだから。これでおあいこ、貸し借りはナシでしょ?」


 散々忘れられることを恐れていて、本当に忘れそうになっていたのは私らしい。そうだ、こんなにもいい友達が私にはいるのに。


「そうだね……うん、うん!」


「あらら、涙なんて流しちゃって。当然じゃない」


 友達だ。何年経ったって間違いなく友達だ。


「そうだね、当然。だから、何かあったら呼んでね。美代ちゃんも椿ちゃんも全力で助けるから」


 まだ彼女が小さかった頃のように、私が私を見失う前のように、指切りをして約束する。きっと忘れないだろう。忘れてやるものか。


「さようなら、また来るよ」


「いつでも来てね。椿も私も待ってるから。それと、そう長くないうちに椿はそっちに行くと思うの。だから、その時は……」


「わかってる。きっと私よりも立派な魔法少女になって、たくさんの友達を作ると思う」


「そう……きっとそうね。ありがとう」


 椿ちゃんを起こさないように静かに飛び立つ。鉛色の空はいつの間にか満天の星空に変わっていた。


*  *  *


「あ、あの、ナホさん? いますか?」


 ドアをノックする音、少しだけ大人びた友人の声。


「いるよ。おかえりなさい、ずいぶん大きくなったね」


「十五歳までは頑張れました!」


「そっか、偉い偉い。美代ちゃんは何か言ってた?」


「お母さんはいっぱい人を助けて、いっぱい友達を作りなさいって」


 魔法はまだまだ終わらない。

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