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サンソンくん fire horse 編  作者: ハクノチチ
6/15

白い三日月が水色の空で薄目を保つ午前六時


 その日の朝、白い三日月が水色の空で薄目を保つ午前六時、四十五分後に行うという緊急朝礼が呼びかけられた。暖房の温かすぎる食堂で、すでに冷め始めている餌のような朝食を取っていた、施設で働く四十二人の「鬼」と一人の「人」は箸を止めた。厨房で働く四人の鬼も手を休めた。一般職員よりも遥かにせっかちな厨房の鬼が一斉に突っ立つのはとても珍しいことだった。

 一般職員は餌のような食事を慌ただしく掻きこみ、厨房の連中はそれまでしていた仕事の区切りをつけず、明らかに放棄する態度で思いおもいの表情をすると互いを見合った。食器の下げ口にトレーを運ぶ者が誰もいないなか、少年は一人だけ下げた。洗い場のシンクにはきれいな水がはられていて、疲れたスポンジが浮かんでいた。

 食堂のスピーカーから予期せぬ召集を掛けられた少年は耳を赤くした。火でも点きそうな沁み出る汗も背中にかいた。みなが半笑いするなめくさった視線を、牧歌的なメロディーの口笛に変えながら食堂を出ると洗面所へいきあらためて顔を洗った。水滴を垂らしたまま睨み付ける鏡の中の目は冷静さと覚悟を促し、勝手に赤くなる耳から訴えているような、おろおろする心の直訴を嘲る。裏切った奴が誰かを見極め、その場で殺す決意のもと堂々とした態度で10分前に入室した。誰も彼もが半笑いを止めることなく時間通りに母屋の会議室に集まった。


 「皆承知の通り本日午前七時、当施設を破壊すべく行動を起こし「薪(馬のことをマキと呼んでいた)」を「街」へ放つ。各自その旨再度承知しとくよう願う。またわずかな時間だが猶予がある故「街」に暮らす家族にこれら伝える者は、当朝礼後に伝えてくれてかまわない」

 白い髪も薄くなり汚れた染みだらけの頭から角の生える所長の言葉に腰を抜かした。その場にへたり込んだ少年に年寄の角は皆の前で頷いた。他の角もこれまで一度も見たことがない、清々しい笑顔で少年を揶揄し、立ち上がれない少年に手を差し伸べる振りをして、実際は手伝わずに騙す者が立て続けに現われると会議室は笑い声に溢れた。床に尻をついたままの少年も一緒になって笑った。

 「私が責任を持って君と薪の計画を遂行するから、せめて職員の家族にだけは、いや街の連中にも先に連絡を入れさせてもらうことにしたよ。君には事後承諾となってしまって悪いけれどね」

 誰かが後ろから少年を立ち上がらせてくれた。少年は所長へ頷き、後ろの誰かに「ありがとうございます」と言った。後ろの先輩は恥ずかしそうな顔をして無視すると、少年はうれしくて少し泣きそうだった。

 「頭の角を折って電気のない世界で再会しよう」所長は最後に語り全員をその場で解雇した。


 少年は午前七時に第一、第二の「火釜」を同時に解放した。五十二頭の火の馬は誰に尻を突かれたり、背中を叩かれたりをされることなくゆっくり出てきた。

 今朝の解放と自身の運命が対になっていることを承知していたがため、いきり立ってはいななき、前脚を蹴り上げたり周りの馬に身体をぶつけては道を開けさせ、乱暴に首を振って駆けだすとそのまま湖に飛び込むような、そんな若い馬も少なくなかった。火を背負った馬たちは湖畔の水際に並んで各々氷よりも冷たい水を飲んだ。そして多くの馬が、日頃は決してすることのない沐浴をした。いきり立つ若者以外は皆静かな入水だった。だからそれは冷たさを楽しんでいるわけではなさそうだった。覚悟を決めていた彼らは、命と並び立つアイデンティティの炎を清めたのだ。静かな湖畔には水の蒸発する派手な音が響き、雨雲の一つでも生みかねないほどの水蒸気は立ち昇った。少年は五十二本の柱のような水蒸気に彼らの覚悟を、景色として目で確かめられたので本当に胸が詰まった。


 所長と少年以外の職員は、荷物とたとえば自分の部屋のドアノブにかけていた表札や、発電所で死んだ馬の骨を削って作った小物やらを土産に、施設のマイクロ(電動)バス二台に分乗し馬たちよりも早く「街」へ上っていった。

 発電所を破壊して「薪」を開放するから解雇になった。「薪」は「街」を襲うつもりだ。俺が戻るまでに「街」から逃げる準備をしておけ、との連絡を受けた彼らの家族は、夫や息子が何かヘマを働いてクビになり、つまらない冗談で強がっているに違いない、と思うしかなかった・・・・・・


 所長は重い煙の煙草と口当たりの軽いセゾンビールをひと瓶手にして禁煙のコントロール室に籠った。わたしの大先輩であり、従順と屈辱とで生きなければならない一本道を切り拓いた初代所長が言うべきだった言葉を、今わたしが口にしてやる、と誓っていた。

 不審な煙を感知する火災報知器のスイッチを切ってから、火の馬の糞を火炎燃料にするビンテージの純銀製ライターで「ゼロトニック」に火を点けた。愛煙家だった若い頃はタール18mgの「ゼロトニック」は適した煙の重さだったはずだが、三十年も煙を受け入れていない肺は拒絶し、失禁しそうなほど咳き込んだ。頭もクラクラした。子供のころに友達と初めて煙草を吸ったときと同じだな、と思った。

 あの鉄の棒と火の馬の放射熱とで僅かな角度だが曲がったままの人差指と中指に煙草を挟んだまま緊急通報専用の直通電話を取り「街」の頂点にいる上司兼「長」へ取り次ぐよう、ワンコールで出た優秀な特別上級公務員を怒鳴りつけた。

 「発電所を破壊するから、今後電気が欲しけりゃ貴様の札束か、貴様の睾丸を燃やして勝手に作れっ!!」

 実にこの十年もの間寝たきりの老人に一吠えし、そのまま直通電話のカールコードをぶっちぎってやった。

 所長の手は興奮して震えていた。指の間の煙草も床へ叩きつけた。震える手で施設中に放送するマイクのスイッチを入れると建物の中も外も、そこらじゅうのスピーカーが派手にハウリングした。

 「おい、薪どもよく聞け、今からタービンを止めるぞ!! 全くうらやましいクソ共はとっとと釜に戻れ!! お前らの愛の交尾でガンガン火力を上げやがれ!! いいか? 鬼以下の俺たちと、無様な焚火になったお前たちとの無駄な電気の歴史を水蒸気爆発で吹っ飛ばしてやれっ!! 柵の電源を切るのはそれからだ!! プラントを破壊するまでヤリ続けろ、神話の薪どもめ!!」

 所長はコントールパネルのスイッチの一つを左へ完全に捻ったのだったが、興奮していた手は老人らしからぬ力が漲っていて、スイッチの丸い頭はもげてしまった。ベントを閉じ、蒸気を冷やす冷却水の循環も止めた。

 「お前らが俺の言葉を理解していることは承知しているぞ。おっぱじめる前にもう少しだけ聞け。十歳未満の仔馬が三頭いるな? そいつらは「街」に連れて行くな。それと六十以上のババアと三十未満の牝を一頭ずつ残せ。そいつらとうちらのツノナシで、新しい共存の歴史を作らせろ。 白いお前っ、聞こえたな? お前が群れのリーダーだろ? いいな、俺の言ったことを必ず守れよ。薪の分際で命令に背くんじゃないぞ・・・・・・おいっ、ツノナシ、お前も聞こえてるな? 死ぬほど不便な世界でマシな大人になってやれ。いいな?」

 

 三十頭以上の馬が水から上がると対になり「火釜」の中に消えていった。


 ものの十五分もしないうちにコントロール室のパネルにある一号機、二号機の火力メーターと圧力メーターの針は赤い危険領域に侵入し、敷地内の空気をなんとなく揺すり始めた。ボイラーの中の馬たちは各々相手を変え果敢に二度目へ突入していた。白い炎の馬と黒い炎の馬は相手を変えるつもりは毛頭なかった。

 古い一号機の屋根が吹っ飛び地面は揺れた。新しい二号機は踏ん張っていた。馬の乱交パーティーごときで吹っ飛んでなるものか!! そんな声が聞こえるかのようにプラント自体が揺れていた。

 母家のコントロール室でセゾンビールを飲んでいた所長は煙草の煙に咳き込まなくなっていた。

いたずらではなく、本格的に煙草を吸うようになると星を見上げる時間が増えたことを思い出したのだが、それは煙によったのではなく、社会に出て嫌な思いをする機会が増えたからだったのかもしれない、と今更思い当たった。

 一号機が吹っ飛んだとき、施設内のガラスは方々で割れたようだった。歓喜してセゾンの瓶をコントールパネルへ叩きつけそうになったが、そこは堪えた。生涯最後の瓶ビールを残したまま捨てるなんて許されない。一号機が吹っ飛んだことで逆に冷静さを持てたような気がした。

 一号機で一仕事終えた馬たちは瓦礫を乗り越えながら二号機へ向かった。移動の途中で見上げた空は本当に素晴らしいものだった・・・・・・無理くり全員が中へ入るとあっという間に二号機も吹っ飛んでしまった。見上げたばかりの本当に素晴らしい空が片目を閉じるほど大気が揺れ、湖面には最大級の波紋も生れた。

 所長は最後に脱走防止電流柵の電源を切ったのだったが、考えてみれば電源が全消失状態になったのだから、スイッチを切る、切らない、など関係はなかったのだ・・・・・・

 

 「街」へ向かっていた二台のバスは未舗装の道に土埃を上げて停車した。先を争うように全員が降りてきて、常に忘れることのなかった人生の屈辱と折り合いをつけながら死ぬまで寝起きするものと思っていた、南の外れの一角に立ち昇る派手な水蒸気を見つめた。指笛を吹き、輪になってはしゃぐ者たちがいれば、少しの寂しさを持って感慨深く見つめる者もいた。永遠に戻ることのない場所が物理的に破壊されたんだ、とその鬼は思った。

 少年は、すでに親の小言よりもずっと聞き慣れていた、各プラントから響く低音が消えると違和感さえ持って施設内の中庭を横切り、意地悪な先輩たちを殴れるようになってからは睡眠の質が向上した宿舎棟の陰に避難した。アスファルトの地面を見つめずっと耳を塞いでいたので心臓の音がとても大きく聞こえ続けた。二度、重たい空気によって地面も身体も揺れた。二度目の揺れの時の方が頭上から降ってくるガラスの量は断然に多かった。地面に散らばる透明なガラスの表面に、朝の光と水色の今朝の空の写しが漏れなく分割されていた。

 ルビコン川を渡る覚悟で予備電源を断っていた施設の電源が落ちるとコントール室は魂の暗闇に似た暗がりとなった。所長は馬の糞で火を点けるビンテージライターを灯した。誰もいない室内で後ろを振り返ったわけは、終生ともにいた己の影を最後に見つめたかったからだ。所長は己の影に感謝すると、目じりから煙ではなく水が落ちた・・・・・・火の馬の糞を灯した、午前三時のような闇でセゾンビールを飲み干し最後にもう一本だけフィルターのすぐ手前まで「ゼロトニクック」を吸った。そして弱った馬を屠殺するときに用いる屠殺用エアーガンの銃口をむき出しの額に押し付けたのだった。その行為は無意識だったはずだがふと頭を撫でると立派な角は簡単に折れた・・・・・・うまくいけば鬼としてではなくヒトとして裁いてもらえるかもしれないぞ・・・・・・所長は一人微笑んだ。


 合意に至らず湖畔で不貞腐れていた残りの牡と牝は爆発音がすると一斉に驚いたのだが、頭の上から降ってくる多くの瓦礫は実に自身の火力で弾き返すのだった。彼らは死を受け入れている場合を除けば、よほどの物理的衝突がなければ、少なくとも致命的なケガを負わない身体だった。そのことは馬たち以外誰も知らないことだった。



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