邪神ちゃん 戦闘す 4
仄暗い闇で覆われた修練場の中央。
一層深い闇が粘液のように蟠る。
「早々のお出ましか。ありがたいな」
「やぁやぁ、僕だよ。思ったより苦戦もなにもしなかったね」
「レ・ロゥか。お前が来るとは思っておらなんだわ」
現れたのは真っ黒いローブを被った、私より背の低い少女の影。
名はレ・ロゥ。この世界の魔法神だ。
「もうちょっと善戦できるとおもったんだけどなぁ。その目、卑怯だよねぇ」
「馬鹿をいえ、これでも痛みを超えてようやく手に入れたのだ」
そう、私と魔法神はとにかく相性が悪い。
性格的なものではなく、お互いの立ち位置だ。
私の邪眼は全ての魔法を見抜き、喰らい尽くす。そして奴の瞳は無尽蔵の魔法を蓄え、放つ。
お互い睨み合いだけで何も進まないという間柄。だからこそこやつを邪神役に配すると思っていなかったのだが。
「ま、あとはこれで僕を倒せればいいんだけどね。人間の身になって僕に勝てるかな?」
じわりと魔法神のマナが高まる。瞳には今にも放たれそうな魔法がいくつも浮かび上がっていた。
「さて、それはやってみねばわからぬな。どうせ退かぬのだろう?」
「そりゃあね、僕だって一回ぐらい勝ったり負けたりしてみたいのさ」
周囲の魔力はほぼ全て魔法神に取り込まれてしまった。
私に扱えるのは体内に残存する僅かなマナのみ。
それも邪眼に費やせば、ほとんど行使できる分はないといっていいだろう。
あとはこの衣がどこまで耐久してくれるか。
腕の一本や二本ぐらいは覚悟せねばな、と右手に持った剣に力を込める。
じりじりと距離を測り、狙いを定める。
今の状態で奴に勝つにはただ一つ、隙を狙うしかない。
それですら勝てる見込みは万に一つもないだろう。
狙うはやる気を削いで、退散させることぐらいか。
「じゃあ、はじめようか。砕け散る──」
「そおい!!」
魔法の発動の瞬間、手に握った剣を力いっぱい投げつける。
狙いを違わず飛んだ剣は、すかんと心地よい音を立てて魔法神にぶち当たった。
想定外の事だからか、その剣の勢いに負けてすっ転んだ魔法神の両手を抑え、目を塞ぐ。
魔法神の魔法の発動媒体は飽くまでも"目"なのだ。塞いでしまえば、彼女にできることは実は少ない。
「あー! 卑怯だー! なしなしなしー!」
魔法神が抑え込んだ私の体の下で、じたばたと暴れる。フードがはずれ、その紫色の髪が露わになった。
足の下の体は柔らかく、幼い女性を感じさせる。
側からみれば、さながら幼女を押さえつけた不審者のような感じもしないでもない。
「卑怯ものー! おかされるー! このじゃしーん!」
「いや、邪神役はお前だろう……というかお前、別にどうとでもできるだろう」
「なんとなく。そんな感じかなーって。はい、負けましたー」
降参の言葉とともに、体の下で抵抗が弱まる。やれやれ、一体何の茶番だ。
「元から僕にやる気はないんだよー。ね、抑えてるのはずしてー」
抵抗がないことと、マナが霧散していった事を確認して体をどける。
ぱんぱんとローブについた埃を払って立ち上がると、彼女の髪と同色の瞳が私を見据えた。
「あーびっくりした。前なら睨めっこだったのにね」
「今の身で魔法でお前に勝てるわけなかろう。というかなんなのだ、そのやる気の無さは……」
「えーとね、それについては──」
『ふっふっふ、邪魔法神をたおしたようだね邪神ちゃん』
ここでやつのお出ましか。というか邪魔法神とか言いにくくないか? それに邪魔みたいで少々可哀想な気もするのだが。
「語呂悪いよね、邪魔法神」
悪びれもなく魔法神が私に声をかけながら伸びをする。こうしておればこやつも見た目相当の子供に見えるのだがな。
『しっかーし! 邪魔法神は我々、十邪神の中で最弱! 精進を怠るなよー! 邪神ちゃんの冒険はこれからだーっ!』
「まて、今なんといった? 何か物凄く嫌なセリフが聞こえた気がするのだが」
『冒険はこれからだ?』
「違う、もっと前だ」
『あー、十邪神の中で最弱?』
「そこだそこ! なんだ十邪神とは! 聞いてないぞ!」
もう嫌な予感しかしない。なんで、なんでこの阿呆女神は人への嫌がらせに特化しているのか。
『いやー、邪神ちゃんの姿がこっちで好評で。みんな邪神役やりたーいってなったから皆で順番こすることにしたの。平等でしょ?』
「そんな平等などあったものか……。最初の約束通り邪神を倒しただろ! もどせ!」
『いいのかなーそんな事言って。仲良かったあの子ともあの子ともお母さんともお別れだよー?』
「うっ、ぐぬ……」
そこを突かれると中々痛い。ここで何の言伝もなく世界を去るなどと、できようもない。
いや、それでもただ平穏に人生を全うさせてくれるだけでもよいではないか。
『とにかくー、これは決定事項だからね。頑張ってね邪神ちゃん!』
ぶつりと馬鹿女神とのつながりが切れる。と、同時に私はがっくりと膝を付いた。
「嘘だろう……この流れがまだ……続くのか……?」
「頑張ってー邪神ちゃん。うひっ……」
「お前ぇ……」
「みてたよー、色々と。特に色々されて喘いでるとことか。『あーむ』『ひんっ』うひひひひひひ」
まさか、まさかあの様まで神界にすべて通じていたというのか……!
私の中を絶望が荒れ狂う。もはやどの面を下げて神界に戻ったものか分かりはしない。
「あ、あと審判神から伝言。痛覚とかは戻してあげるけど、感度は面白いからそのままだって。戻ってくるまで楽しみに見てるよ。じゃねー」
それだけ告げると、魔法神レ・ロゥはその場から瞬時に消え去った。
あとに残されたのは苦悶に身を捩る私のみ。
「うそだ……」
闇が晴れ、視界が戻る。周りからは数人が駆け寄ってくるが、私にはそれは最早どうでもよい。
「うそだこんなことおおおおおおお!!!」
満天の下、太陽に焼かれながら私の叫びだけが辺りに木霊した。




