邪神ちゃん 龍と戯れる 5
「人間よ、感謝するぞ。危うく友を海の藻屑にするところであった」
私とリナウナブの上に羽ばたき留まるグラゼフが礼を告げてくる。
「本当にもう! 失礼するわ!」
海面ではリナウナブがまだ怒っている。その気持ちはわからなくもない。私も魔法の補助なしにあの高さで放りだされたらと思うとかなり恐怖を覚えるだろう。
それにしても、本当に間に合ってよかった。世界に3体しかいない龍の内一体が、あんな間抜けな形で消え去っていたら何とも言えないものがある。
「あんた目だけじゃなくて、耳も悪いじゃないの!」
「うむうむ、拙者も歳故な」
ボロクソに怒鳴られているが、グラゼフに堪えた様子はない。どことなく、リナウナブに比べて年老いているような雰囲気を感じさせる。
「なんだ、暴龍と噂の割にはおとなしいではないか」
まず私が抱いた違和感はそれだ。伝承に残っている荒れ具合からは想像できぬほどゆったりとしている。
口調もどこか厳しいものはあるが、敵意は感じられない。言うなれば、ちょっとボケ始めた厳し目の老人といったところだろうか。
「拙者が暴龍とな? はて、暴れた記憶はないのだが」
「村落を襲ったり、飛空船を撃沈したと言われておるぞ?」
「むむ、たまに獲物を捕らえたと思いきいや、崩れ去るものがあったが……」
ごりごりと前足で顎を擦りながら、何かを思い出そうとする素振りをするグラゼフ。
よくよく彼を見てみれば、爬虫類を思わせる鱗に覆われながらも、顔には深い皺が刻まれ、目もうっすら濁っているようだ。
「そもそもお主以外の人間なぞ、目にしたのも一体どれくらい前だったやら……」
伝説の龍たるものが、よもやボケているとは思いたくはないのだが。
その歴史の長さを考えたら、あり得なくもないか。
「いい、アンタ。このバカはね、とっくの昔にもうボケがはじまってんの」
「はっはっは、お主と出会うた時もこんな感じであったな」
妙な口調の鮫に、ボケが始まった空飛ぶ蜥蜴。この調子では大地の龍も変な存在なのではないかと不安が過ぎる。
どうしてこうも、私のいく先は珍妙な存在ばかりなのだろうか。運命神が色々弄っている可能性すら疑いたくなるな。
「それより人間よ、名を何という」
「あ、そうよ。あんた名前教えなさいよ!」
「私か? アルカ・セイフォンという。リナウナブには既に言ったが、元邪神よ」
答えてやると、グラゼフは不思議そうな顔をする。
「神、神とな……はて、神とは一体何者だ? 拙者には人にしか見えぬが」
なかなか哲学的なことを問うてくる。神の存在をどう定義するかなどと言われても、私も中々答えようがない。
いつから存在しているかも改めて考えてみれば定かではないし、一体いつから創造神らと共にいくつの世界を見てきただろうか。
グラゼフのようにボケているわけではない。だが、記憶を遡っていくとどうにもモヤがかかったかのように思い出せない部分があるのだ。
「すまんな、私にもどう答えていいのかわからぬ。何というか、こう世界という生命を育てている存在というか……」
「世界、世界とは一体どこまで指す? 空を超えると、拙者ら居るところは球であるのが見えるが、その球のことか?」
ううむ、私にはそれに答えるだけの知識を持ち合わせておらん。創造神に問えば、何か返ってくるかもしれぬ。
だが、あやつが真面目に対応してくれるとも思えぬ。
「そんなことよりグラゼフ、あんたもお礼ぐらいしなさいよ!」
私が答えに窮していると、リナウナブが彼に大きく海水を掛けた。グラゼフは顔についた水滴を嫌そうに払うと、大きく羽ばたいた。
「おお、そうだな。人間、アルカ・セイフォンよ。礼を言おう」
「何、私とて知り合った者が目の前で落下死するのは夢見が悪いのでな」
「すまんなぁ。拙者が竜であったならば何がしか宝を持ち合わせておっただろうが、光物に興味がない故にな。礼になるような物を持ち合わせておらぬ」
彼がいう竜とは、彼とはまた別の種のことだ。彼が四足二翼なのにたいして、竜は二足二翼の存在。知性はあるようだが、彼ほどではない。
ただ金銀財宝といった光るものを集める習性がある。上手く巣を見つければ一儲けできることで、冒険者垂涎の生き物だ。
まぁ、私もそのような財宝には特段興味がない。それよりかは──
「私もお主に用があってな。お主のその立派な角を幾分かもらうことはできぬか?」
「んん? なんだ? この様なもので良いのか?」
予想外の反応。それと共にグラゼフは前足を頭上へと伸ばすと、その双角をへし折った。
何ともいえないあっさりとした対応。リナウナブのようにゴネられると思っていただけに、どこか肩透かしされたような気分だ。
「伸びると翼に引っ掛かって邪魔になる程度の物なのだが」
「伝説の素材が粗雑な扱いだな……」
まるで人間の爪のような扱いではないか。受け取ったそれは、リナウナブの牙と同様に濃密なマナを含んでいるのが感じられる。
恐らく一削りでもそれなりの能力を持ち得るのだろう。私もちょこっと先端部分が手に入れば良いものだと思っていた。
それがまるまる2本だ。少々運が良かったとでも思っておこう。
「この程度でいいとは謙虚なものだ」
「人類にとっては有用なのだ。リナウナブの牙とお主の角、そして大地の龍の鱗で大層な武具になるそうだぞ」
「そうであったか。ということは、この後はヤンの所にいくのだな?」
使い道を伝えると、グラゼフから意外な事が口にされた。
「知っているのか?」
「あ、あんた聞くと──」
「おお、知っているぞ。むかーしむかし、拙者がまだこう大空でグイグイ言わせておった頃にだな」
しまった。どうやらグラゼフはどうにも人間の老人じみた癖があるらしい。私の言葉の直後にリナウナブが忠告をしてくれたが、時既に遅し。
ゆっくりと、どこか遠くに思いを馳せるような表情で大昔の事を語り出してしまった。




