転 保守と変化
フォースター領区に到着した私たちは、日をおかず城下の教会で式を挙げました。
「その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも。これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け……その命ある限り真心を尽くすことを、誓いますか?」
司祭様のお詞に、私はひとかけらの迷いもなく答えました。
「誓います」
私が一番辛いときを支えてくれた彼を、今度は私が支える番なのです。
式は僅かな親族のみが集まる簡素なものでしたが、教会の大扉を出て、私は驚きました。そこには大勢の人々が詰めかけて、口々に祝福の声を上げていたのです。
たくさんの花びらが降り注ぐ中を歩き終えようやくオープンタイプの馬車に乗ると、まだ驚いている私にアイザックは言いました。
「彼らは昔から当家で働いてくれている人たちだよ。僕はあの城と、彼らの暮らしを守りたい」
彼の目線の先には、かつて貴族が栄華を誇った時代そのままの姿を残した壮麗な古城が、丘の上に静かにそびえています。ようやく実感のわいた私は、決意を込めてうなずきました。
「微力だけれど、私もお手伝いするわ」
*****
「本来は公共事業で行うべきインフラの修繕を、なかなか予算が降りないからと、いくつか私財で行ったこと。当家が所有する葡萄畑に病気が発生して、古木の半数が植え替えとなったこと。そして祖父と父が立て続けに亡くなって、間をおかず二代ぶんの相続税を支払ったこと。大きくその三つの対応で、領地を売却したときの蓄えは底を突いている状況だ」
結婚式が終わって、間もなくのことです。新生活の準備が一段落した私は、アイザックに頼んでこの家の財政状況が分かる資料を見せてもらっておりました。
領地改革の過渡期には多くの土地で公共事業が滞り、住民が不便を強いられる場面が多発していました。そんな中でシェリンガム家の先々代、つまりアイザックのおじい様は、元領民たちのために私財を投じて橋や農業用水路の修繕を行っていたのです。
領主でなくなった今でも、シェリンガム家がフォースター領区の住民たちから慕われている理由──その一端が、私にも分かったような気がしました。
「だが、今後も毎年の固定資産税を支払い、この伯爵城を維持していくためには……一個人の財力では到底支払えないような、莫大な金額が必要となってくる。まずは銀行の融資を受けるためにも、彼らの目にかなう事業計画を提出しなければならない」
「なるほど……フォースターには、何か特産のようなものはないの?」
「それが、この国の気候では珍しく可能なワイン造りだったんだけどね。半数が植え替えたばかりな上に、この頃どんどん流通が発達してきているだろう? ワイン造りにもっと適した気候の国で造られた安価で美味いワインの輸入量が年々上がり続けて、厳しい状況になっている」
彼は難しい顔をしたまま資料をめくると、あるページを指さしました。
「城の維持には、固定資産税の他に、修繕費、そして人件費など、様々な費用がかかる。しかしお金をかけて手を入れ続けなければ、古い城は簡単に廃墟となってしまうだろう。さらにこの城が好きだと言ってくれる使用人の皆の雇用をずっと守ってゆくためには、目先の融資だけじゃなく継続的な収入源が不可欠なんだ」
大きな支出を補うために、大きな収入が必要な状況……でも、そんなに大きな収入を得る方法など、そう一朝一夕に見つかるものではありません。ならばまず考えるべきは支出を抑えることなのですが、コストカットの基本は人件費の削減です。しかしそれでは、彼の「雇用を守りたい」という目的を、果たすことができないのです。
では他に定期的に発生する大きな支出といえば……そこで私はある話を思い出して、提案してみることにしました。
「エランジアのとある元貴族が、税金対策に始めたそうなのだけど……お城にはたくさんの客間があるでしょう? それをホテルの客室にしてしまうの。そうすれば固定資産税、修繕費、人件費などの維持費は一部、ホテル経営の経費として計上できるという仕組みよ。ただ……貴方やお義母様が、この城に見知らぬ他人を泊めることに抵抗がなければ、だけど……」
一部だけでも実現すれば、大きな節税効果が期待できるはずです。とはいえ、やはり自宅に他人を受け入れることには、抵抗を感じられるかもしれません。
「そうか、なぜ気付かなかったんだ。個人の所有物として手に余るものならば、法人化してしまえばよかったんだ! 母には後できちんと確認したいけど、僕の方は大賛成だ」
ぱっと表情を明るくする彼に、私は嬉しくなって自分の胸に手を当てて言いました。
「なら、どうか切り盛りは私にやらせて! 旅館の女主人って、実は前からやってみたかったのよ」
「切り盛り、だって? 君が!?」
「もちろん! 経理や従業員の管理などの裏方仕事はこれまで学んできたことが使えるし、お客様の接待だって、なかなかのものだと思うわ。だてに妃教育を受けていたわけではないのよ」
「王妃が行う要人の接待と、旅館の女主人では大違いだろう……。本来なら王妃となっていたはずの君だというのに、本当にそれでもいいのか?」
「ジョシュア殿下は、あれでも正しいことをおっしゃっていたわ。貴族だからといって、自分を特別に思う時代は終ったのよ」
明るく笑う私に、しかしアイザックは心配そうな目を向けました。
「……殿下の婚約者だったときみたいに、また無理をしようとしてないか?」
「そんなことないわ。だって今、心からワクワクしているんだもの!」
ジョシュア殿下に、私は心の中で謝りました。自由に憧れる気持ちは、私の中にも確かに存在していたのです。
アイザックによく似た顔立ちを持つ美しいお母様は、元々たおやかで線の細い方だということですが……特に最愛の夫を亡くしてからは、床に伏せがちでいらっしゃるとのことでした。
そんな繊細なお方にとって、自宅同然の居城に他人を入れるなどお辛いのではないかと危惧していたのですが……。「夫との思い出の眠るこの城を、守ることができるなら」と、意外にも二つ返事で了承して頂けたのです。
義母の許可を取り付けて、私たちはさっそくアイデアを練りはじめました。
初めは今いる使用人たちで料理やベッドメイクに十分対応できる範囲として、一日数組限定から始めることに決めた私たちは、次にホテルの特色づくりを考え始めました。このフォースターの地は主に農産業で成り立っていて、黙っていても観光客を呼べるような特色はないのです。
私は義母の許可をもらって城に残る古い蔵や物置部屋などを徹底的に調べてゆきました。すると無銘ながら古い絵画や置物、アンティークな家具だけでなく、錆びついた甲冑や古い武具など、次々と面白そうなものが見つかったのです。
特に私の興味を引いたのは、まだ名実共に上級貴族の暮らしをしていた先々代の奥様がコレクションしていたのだという、数多くのアンティークデザインのドレスたちでした。どれも上質なもの、かつ丁寧に保管されていたおかげで、古くともまだまだ十分着られるものばかりです。
「そうだ、この城にご宿泊のお客様には、伯爵が客人をご招待したという体でご滞在いただくというのはどうかしら。到着したら好きなお衣装を選んでいただいて、昔の貴族のように休暇を過ごして頂くのよ」
「そんな貴族が昔を懐かしむようなもの、果たして受けるかな? 確か君の想定する主なターゲットは、資本家のご婦人方なんだろう?」
「リースデンに通っていた資本家のご令嬢たちの多くは、表向きは貴族のことをお金もないのに体面ばかり気にしているとバカにしていらしたけれど……それは貴族文化への憧れの裏返しに感じることも多かったの。旧い貴族の文化を仮想で体験できる場所をつくれば、きっと楽しんでもらえるわ」
胸元で手を打ち合わせて笑う私に、彼は申し訳なさそうな顔をして言いました。
「生まれたときから家族と、そして使用人たちと過ごしたこの城には……本当に皆の大事な思い出がいっぱいに詰まってる。それを僕の代で手放して……多くの打ち捨てられた城のように、寂しい廃墟にはしたくないんだ」
「アイザック……」
「僕の我儘に君を付き合わせてしまってすまない。城や土地を手放して首都に小さな屋敷でも買えば、今よりもずっと楽な暮らしをさせてあげられるのに」
「でも、貴方はこのお城にずっと住んでいたいんでしょう?」
彼はどこか泣きそうな顔をすると、黙ったまま小さくうなずきました。私はちょっとだけ背伸びをして彼の灰茶色の頭を撫でると、満面の笑みを浮かべて言いました。
「大丈夫。きっと上手くいくわ!」
*****
それから私たちは、お客様を呼ぶために様々な企画を用意しました。
中世の格好をした楽士たちによる室内楽の提供に、ドレスのまま馬車で城下の旧市街を巡ることができるツアー。さらに結婚式の披露宴にパーティールームを貸し出すなど、小規模から始めた経営は、口コミで徐々に広がっていきました。
メインターゲットの女性客だけでなく、お連れ様である男性客にも楽しんでもらうため、磨き直した中世の武器防具の展示や、甲冑を試着するサービスも始めました。さらに祖母が王女であったという義母を女王陛下に見立て、宿泊客に中世さながらの騎士叙勲の儀式を行うというイベントは、男性客の人気をも博することとなったのです。
荘厳な衣装を身に纏った義母の姿はどこまでも美しく、そして気高いもので……もうあの病がちだった姿は想像もできないほどでした。
新しい生きがいができたという義母と、母の元気な姿を久しぶりに見ることができたという夫。二人の新しい家族が喜ぶ姿を見て、私は心からこの地に嫁いで良かったと思えたのでした。
*****
私がここフォースターの地に来てから、初めての秋のことです。
「明日は当家の農園がある村でワイン用葡萄の収穫祭があるから、君も見に行ってみないか? ……このぶんだと、今年が最後になるかもしれないから」
「まあ、行ってみたいわ! でも、最後ってどういうこと?」
「それは……先日、国外から安いワインがどんどん輸入されるようになっているという話をしただろう? 単位面積あたりの生産量も少ないし、赤字の葡萄畑を維持していくのは……もう難しい状況なんだ。幼いころ葡萄の木の間を走り回って遊んだのは良い思い出だけど、そろそろ決断しなければ」
ですがそういう彼の表情はどこか寂しそうで……私はなんとか存続できないかと、考えをめぐらせました。
「ああ、これは伯爵様に奥方様! ようこそお出でくださいました!」
翌日。農園のある村へ向かうと、多くの村人が私たちを歓迎してくれました。見覚えのある顔が多いのは、結婚式の日に教会前で見た顔でしょうか。
ホテルのお客様の対応を終えてから向かったお祭りは、すでに佳境を迎えているようでした。楽器の演奏に合わせて踊る村人たちの中心には、大きな桶がいくつも置かれ、その中で民族衣装を着た女性たちがスカートをつかんでリズミカルに足踏みをしています。
「あれって……もしかして、葡萄踏み?」
お祭りを案内してくれている村長のおかみさんに聞くと、彼女は上機嫌で答えてくれました。
「ええ。近ごろワイン用の葡萄は機械で破砕しているんですが、このお祭りでは神に捧げるためのワインを昔ながらの足踏みで潰した葡萄で造るんですよ。奥方様もご参加なさいませんか?」
「でも私、既婚よ。確か葡萄踏みって、乙女じゃないとダメなんじゃ……」
「ああ、そういう地域もあるみたいですけど、ここでは女性なら誰でも参加していいんです」
おかみさんにニコニコと笑顔で言われ、私は思わず傍らの夫を見上げました。
「ミラベルの好きにするといいよ」
「そうね……じゃあ、参加してみようかしら」
実際にお祭りを体験してみたら、何か良いアイデアがわいてくるかもしれません。
足を清めてからたくさんの葡萄が敷き詰められた大きな桶に踏み入ると、すぐにぷつぷつと葡萄の粒が足の裏で弾けてゆく感触がします。あふれ出す果汁の冷たさが心地よく、私は流れる音楽に合わせて夢中で足踏みを続けました。
つい楽しくて最後まで葡萄踏みに参加した私は井戸端で足を流して……ぎょっとしました。
「うそ、全然色が取れないわ!」
「奥方様、この辺りではそれを『ロゼの靴下』って言うんですよ」
「あはっ、靴下って! あはははは、やだもう!」
私は村の女性たちとひとしきり笑いあったあと、ほんのり薄紅色に染まった足のまま、帰城の途につきました。
「うふふ、今日はすごく楽しかったわ!」
「ああ、そういや君があんな風に口を開けて笑うのは初めて見たよ」
「見ていたの!? ……はしたなくて、幻滅した?」
「いや。あの学校での君はいつも落ち着いた笑みを浮かべていたけれど、どこかぎこちない感じだったから……なんだか安心したよ」
そう言って笑うアイザックに、私は今日葡萄を踏みながら考えたアイデアを伝えることにしました。
「せっかくワイン造りのノウハウと設備を持っているのに、葡萄園を他の作物に転作してしまうのはもったいないわ。ワイナリーを見学可能にしたり、一般客向けのお祭りを開催したり、観光用に特化させてゆくのはどうかしら?」
「観光用に?」
「葡萄踏み、とっても楽しかったわ。参加者には伝統の民族衣装を貸し出して、中世ワインまつりを楽しんでもらうのよ。ワイナリーめぐりをしながら飲み比べができる、新酒まつりなんかもいいんじゃない?」
「なるほど……仲買に買い叩かれるくらいなら、お土産などの直販メインでやっていけばいいわけか。同じ値段で売ってもより多くの利益を生産者の手元に残すことができるな」
「ええ。それに名前を知って愛着を持ってもらえたら、貴重な国産ワインとして少々高くとも今後の需要を確保できるかもしれない。それに、こんなに楽しいお祭りを無くしてしまうなんて……残念だもの」
「そうだな、来年の収穫期に向けて本気で準備を進めよう。……ありがとうミラベル、本当に」
そうどこか震える声で言う夫に、きつく抱き締められながら。この人の幸せを守りたいと、私は改めて決意したのでした。
 




