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起 私刑と救済

「アルバーン侯爵令嬢、ミラベル・マクベイン! 本日をもって、お前との婚約を破棄する。俺の婚約者として大きな顔ができるのも、今日までだと思え!」


 このグロウランド王国の王侯貴族の子女たちが通う学舎(まなびや)、リースデン寄宿学校。その卒業を祝うパーティーの場で、この国の王太子殿下は突然そうおっしゃいました。


「ジョシュア殿下、またそんな御言葉遣いをなさって……! それに婚約破棄とは? このことを国王陛下はご存じなのですか!?」


「フン、言葉遣い、か。また下賎で下等な平民とつるんでばかりいると、この俺をなじるのか?」


「そ、そんなことは申しておりません! ただもう少し、ご学友は見極められるようにと申し上げただけで……」


「見極める、ね。とんだ上から目線だな。貴族だからと古くさい価値観に固執して、いつまで自分が特別な存在だと思ってる。この新しい時代の王となる俺が、そんな差別的な思想を持つ女を妃とするわけにはいかないんだよ。今はもう貴族も平民もない、全人民が平等な時代なんだから。そうだろう? みんな!」


 芝居がかった仕草で、王太子殿下が手を振り上げた瞬間。わあっという大きな歓声と拍手が、ダンスホール全体に響き渡りました。


「さすがジョシュア様、進歩的なお考えです!」

「自分たちの利権を守ることしか頭にない他の浅ましい貴族たちとは大違い。王太子様は真に国の未来を考えていらっしゃるわ!」


 殿下は満足そうに辺りを見回すと、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、言いました。


「そして我が新しい婚約者として、エリス・ボルトン嬢を迎える! 彼女は平民出身初の王妃となり、我が国は新しい時代を迎えるだろう!!」


 声を上げる殿下の隣に、美しい脚を見せつけるかのようなミニドレスを身に纏ったご令嬢が、すっと寄り添いました。満ち足りたように微笑む彼女は、ボルトン家……この国でも五本の指に入ると言われる大富豪の、ご令嬢ではありませんか。


 私は全身から血の気が引いてゆくのを感じつつ、それでも貴族の矜持(プライド)をもって、なんとか崩れ落ちることだけは我慢しておりました。ですが殿下はそんな私に近付くと、耳元に顔を近付けて……小声で、おっしゃいました。


「昨晩の話だが……お前の父が投資する新鉱山で、落盤事故が起こったそうだな。その損失ははかりしれないものとなるだろう。お前は用済みなんだよ、ミラベル」


 その瞬間──

 なんとか保っていた最後の糸が、ぷつりと音を立てて切れました。


 頭上に響く殿下の高笑いを聞きながら……私はもう、立つことすらできなくなってしまいました。ここには、私の味方は誰もいないようです。早く逃げ出してしまいたいのに、どうして私の脚は言うことを聞いてくれないのでしょうか。


 ──そのときです。

 群衆をかきわけるようにして、一人の男子生徒が殿下の前に進み出ました。


「おやめ下さい! このような私刑にも似た酷い仕打ち、王太子たるお方のなさるべき事ではありません!」


「なんだ、誰かと思ったらガリ勉アイザック君じゃないか。どうした、いつも周りに無関心を貫いてるお前らしくもない。周りを全員バカだと思ってる者同士、仲間意識でも芽生えたのか?」


 殿下の前に立ちはだかったのは、隣のクラスのアイザック・シェリンガム君です。伯爵家の出でありとても真面目な性格の彼が、このように王族に楯突くようなことをするなんて。呆然としたまま彼を見上げると、その表情は静かな怒りに燃えていて……私はさらに驚かされることになりました。


「僕は、彼女がこれまで間違ったことを言っていたとは、思えません。彼女こそが真に殿下に忠義を尽くしている者であると、なぜ気付かないのです!」


「ハッ、忠義ね。なんだお前、そんなこと言って、こいつのことが好きなんじゃないのか?」


「そっ、それは……」


 急に顔を赤らめて言いよどむシェリンガム君に、殿下は嘲るように言いました。


「なんだなんだ、適当言ったのに図星かよ! そんなにこの女のことが好きなら、くれてやるぞ。俺が捨てたおかげで拾うことができたんだからな、感謝しろよ!」


「……わかりました。殿下の元ご婚約者様は、ありがたく頂戴致します」


「ははっ、これはいい余興だ! 傷心の姫にナイトが現れたぞ!? みんな、祝福してやれよ!」


 どっと笑い声が沸き起こる中で――彼は私に手を差し出して、言いました。


「行こう。これ以上茶番に付き合ってやる必要なんてない」



 *****



 二人きりになったところでようやく足を止めた彼に、私は言いました。


「なんて無茶なことを! 王家も法律に縛られる時代だから良かったものの、一昔前なら首が飛んでいたかもしれないのよ!?」


「そんなこと、僕も分かっていたさ。でも動いてしまったものは仕方ないだろう」


「そんな、なぜ……」


 私はまだつながれたままの手に、目を落としました。すぐにほどかれるだろうと思っていたそれは……しかし、しっかりと握られたままなのです。


「何故って……先程ジョシュア殿下の御前で申し上げた通りだ。僕はこれまでの君の忠言が間違っていたとは思わないし、殿下なんかより何倍も、君の良いところを知っている」


 ぎゅっとより強く握りしめられた手から、彼の気持ちが伝わってくるようで……私は早鐘を打ち始める胸をなんとか落ち着かせようと、頭を強く振りました。


「でも……わたくしが殿下にご友人は選んでお付き合いするよう常々進言していたということも……事実だわ。それにずっと級友だと思っていた方々だって、遠巻きに笑って見ているだけだった。みな私が殿下の婚約者だからと良い顔をしてくれていただけで、心の中では……私のことをずっと疎んじていたのよ」


「君が気に病む必要なんて何もないさ。もうこの学校には、かつての名門リースデン校の面影なんて残っちゃいない。貴族を追い落とすことしか考えていない成金と、貴族の矜持を忘れて金に群がる亡者たちしかいないんだからな」


「そんな言い方、よくないわ!」


「だが君も、そう感じていただろう?」


「そ、それは……」


 彼の言葉に、私はしっかりと反論することができませんでした。表面的にいくら綺麗事を言おうとも、私も心のどこかでそう思ってしまっていたことは……事実なのです。


「やっぱり、殿下のおっしゃっていたことは……本当だったのだわ。私はずっと、周りに古くさい価値観を押し付けていたのね」


 自らの傲慢さにようやく気付いて、私はうなだれました。幼い頃からずっとそう教育されてきた私は、時代の変化に付いていくことができていなかったのでしょうか。


「マクベイン嬢……君は悪くない。君が悪いというのなら……僕だって同罪だ」


「シェリンガム君……」


「さあ、君の屋敷まで送ろう。最初はパーティーなんて出るつもりはなかったから、早めに迎えを呼んでいたんだ。顔出しくらいしておくかと思い直しておいて良かったよ」


 そう言ってシェリンガム君は軽く安堵の溜め息をつくと、つながれたままだった手はようやく離れてゆきました。それを寂しく思う気持ちを打ち消すように、私は声を上げました。


「そ、そうだわ! お礼が遅くなってしまってごめんなさい。助けてくれてありがとう。もしあの場に貴方がいてくれなかったら、今頃どうなっていたことか……本当に、ありがとう」


 私が頭を下げると、彼は少しだけ困ったような顔をして、頭を掻きながら言いました。


「いや、別に……友達だし」


「そ、そうよね、友達だし……」


 そう反復しつつも、私はさっきからどうしても気になっていることがありました。あれはその場しのぎの言葉だろうということは、私にも分かっています。それでも、確認せずにはいられなかったのです。


「ええと、それで……頂戴するとかなんとか、という話のことなのだけど……」


「あ……その件については……すまない!」


 彼は突然頭を下げると、苦しげに絞り出すような声で言いました。


「君の方から断ったことにしてくれないか? 僕では……君を幸せにすることができないんだ」


「なぜ謝るの? やっぱり、貴方はただ……正義感から同情して助けてくれただけで……」


 このくらい予想はできていたことなのに……深く頭を下げる彼を見て、なぜか私の胸は悲しみで締め付けられるようでした。先ほど婚約破棄を言い渡されたときはただただ強いショックを受けただけだったのに、なぜでしょう。


 俯く私に、彼は慌てたように続けました。


「違う! 君の家と違って、僕の家はもう……貴族を名乗れるような状況じゃないから……」


 拒絶したのはシェリンガム君の方であるはずなのに、なぜか彼の方が傷ついたような顔をしています。


 彼がぽつぽつと語ってくれた理由は、今やこの国の多くの貴族が直面している問題と同じものでした。貴族制度が形骸化し、政治は議会、経済は資本家に席を譲ったこの時代──多くの貴族は、経済的な苦境に立たされていたのです。


 そんなさなかに若くしてお父様を亡くされた彼には、悲しむ暇もなく莫大な相続税が課されることとなりました。


 彼がこのリースデン校の在学中に、周囲からガリ勉と揶揄されるほどわき目もふらずに勉強していたのは……学生のうちにより多くを学び、人々の思い出が残る伯爵城を自分の代で手放さずに済むようになりたい……そんな想いがあったからなのでした。


 とうとう卒業を迎えたいま、彼は実家の事業を盛り立てていかなければなりません。しかしそれは、険しい道が予想されるものだということでした。


「弱っているところにつけこんで、田舎で苦労させると分かっている男に嫁がせるわけにはいかない。だからどうか、どうか断ってくれないか……」


 苦しそうな表情を浮かべる彼に、私は皮肉げに笑って言いました。


「それを言うのなら……どうやら私の家も、苦しい状況にあるみたいなの。充分な持参金も用意できない女なんて、お役に立てないかしら」


「そんなことはない!」


 いつもは涼やかな彼の深い青色の瞳は、熱っぽく光を帯びていて――そこに本当の気持ちを汲み取った私は、彼にどこまでもついて行くことを決めました。


「ならばどうか、私を一緒に連れて行って! たとえ売り言葉に買い言葉だったとしても、貴方が手を引いてくれたとき、私は嬉しかったの。殿下の婚約者に内定したときよりも、何倍も、嬉しかったのよ」


「マクベイン嬢……いや、ミラベル」


 彼は決意を込めた表情で、古の騎士のように片膝をつくと。

 私に利き手を差し出しました。


「必ず幸せにする。どうか僕と一緒に来てほしい」


「はい!」



 *****



 ──ある日の放課後。

 今日も私は、立ち並ぶ書架の間を足早に通り抜けていました。古くから王侯貴族の子女たちが通う伝統ある学舎、リースデン寄宿学校。その広い図書室には、貴重な本や歴史ある資料が数多く収められています。ですがその室内に、人影は今やひとつもありません。


 その奥にある自習スペースへ向かうと、今日も一人だけ、こつこつと勉強している彼の姿がありました。私は迷わず彼の向かいの椅子を引くと、荷物を置きながら言いました。


『ごきげんよう、シェリンガム君。また学年一位は貴方だったわね。次こそは負けないんだから!』


『どうかな? 僕が負けることはない。だが、この学校に君というライバルがいて良かったよ。他の生徒はみな、今どき真面目に勉強するなんて馬鹿のやることだくらいに思っているからな。まったく、君がいなければ張り合いのないところだった』


『それは光栄だわ。貴方を落胆させないよう、もっと頑張らなくては』


 準備を終えて椅子に座った私がそう言って微笑むと、彼はテーブルの向かいから訝しげな目線をこちらに向けました。


『君はなぜ、いつもそんなに頑張っているんだ? あの、殿下のために?』


『ええ、そうよ。これからジョシュア殿下は、きっと今まで以上に難しいお立場に身を置かれることとなるでしょう? そのとき、私が彼をお支えするの。そのためにも、学生であるうちに色々なことをしっかりと学んでおかなくては』


 そう堂々と言った私からわずかに視線をそらすと、彼はぶっきらぼうに言いました。


『……勉強とは、自分のためにするものだ。誰かのためにやるんじゃない』


『貴方にとっては、そうかもしれないわ。でも私は、それが自分のためでもあるのよ』


『そんなものかな』


『そういうものよ。そうとなったら、次のテストに備えなくては!』


『まだまだ先の話なのに、気合入りすぎだろ』


 そう言って軽くため息をついてから、彼は微かに笑って呟きました。


『……楽しみにしてるよ』



 *****



「放課後のわずかなひとときだけ、図書室で君と過ごす時間が大切だった。ずっと、ひたむきに努力する君が好きだった。『殿下は私がお支えするの』と、はにかむ君を見て……嫉妬で狂いそうだった。でも、諦めていた。君はこの国の王太子殿下の、婚約者なのだと。でも、まさか向こうから手離してくれるとはね……深く傷付いただろう君には悪いけど、僕は今、最高に幸せなんだ」


 耳元で響く心地よい中低音(バリトン)を聞きながら、私はそっと、自分を抱きしめる彼の背中に腕を回しました。


「幼い頃の殿下は泣き虫の甘えん坊で……私がこの子を守ってあげなきゃと、ずっと思っていたの。そこに親愛の情があったのは確かだけれど、でも、それは恋じゃなかった。本当は私も、あの図書室で過ごす時間が一番楽しかったの。勉強のためと言い訳をしながら、通うのをやめられなかったのよ」


 私はなんて、薄情な女なのでしょうか。つい数時間前まで、殿下の婚約者としての使命に燃えていたというのに。でももう、自分の気持ちに……嘘はつけなかったのです。


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