第十九話 ラスト
あれからどうなったのか、どうやって家までたどり着いたのか、自分でもよく憶えていない。
必死の思いで小屋までたどり着き、内海さんに事情を説明してからの記憶がぷっつりと途絶えてしまっている。
茶髪がものすごい剣幕で怒鳴り散らし、大騒ぎになった光景が頭の中でフラッシュバックする。
しかしその映像に音はなく、まるで遠い過去の記憶を思い浮かべているような奇妙な感じだ。
あの一夜の出来事は、本当に起こったことなのだろうか。
そんな疑念すら頭をよぎる。
ただ自分の右手にある四つ折りにされた封筒の感触がたびたび私を現実へと押し戻し、あの出来事を受け入れるよう何者かから強く強制されているような気がして気分が滅入った。
私は今、電車に乗っている。
八木さんは死んでしまったのか、西さんはあのクラゲから逃げ遂せたのか、何も知らされていない。
当然バイト代は貰えていないし、もう一度あそこに電話する勇気もない。
むしろ何も知りたくないし、知ろうとも思わない。
ただこうしてぼーっと外を眺めながら電車の発車を待っている間、ついついあの強烈な最後の場面、西さんの驚くような行動が否応なく頭に浮かび、色々と思いをはせてしまう。
西さんは「レベルE」だと言った。
間違いなくそう言った。
彼は元『処理側』の人間であり、クラゲに対するレベルの意味を知っていた。
ようするに彼はあのクラゲの正体や深夜のバイトのこと、そしてその背景に渦巻く様々な事情をよく知っている人間だったのだ。
そしてそれは……、うまく言えないが、社会的に許されない、法律すれすれの薄汚れたものだったに違いない。
こうして私にこの封筒をたくすことで、それらのことを公にして欲しいと彼は願ったのだ。
手元にある四つ折りにされた固めの紙でできた封筒。
恐らく内海さんのかばんの中に入っていたものだ。
西さんがスキを見てかっぱらったのだろう。
わき腹をしきりに触っていたのは、これを腹の中に隠していたからだ。
封筒の中にはいくつかの書類があり、その中にとある企業の会社概要と各支店の住所が書いてあった。
誰しも聞いたことのある一部上場の薬品メーカーだ。
山を登ったときに見た、様々な奇妙な虫たち。
見たこともないような、地面を這うように進む大きなクラゲ。
私はあの山がおかしな状況になった原因がこの会社にあると推測している。
西さんの言っていた『保険福祉センター』とは、たぶん保健所のことだろう。
ネットで調べてみたが、保健所は地域住民の健康保険に関することのほか、公害や環境汚染の調査も行うような機関らしい。
この会社は過去に公害被害で近隣住民からいくつかの訴訟を起こされている。
きっとあの山もこの薬品メーカーによって汚染物質が垂れ流しにされているに違いない。
そう、あの得体の知れない異様な形をした虫たちは、環境汚染がもたらした化け物なのだ。
人知れずその虫たちを『処理』し『清掃』する。
そのために八木のような無法者や自分のような底辺の人間を雇い、汚染の実態を闇に葬り去る。
これが現実社会というものなのだ。
この先自分の命のある限り、この恐ろしい社会と接点を持ち続けなければならない。
果たしてそんなことが自分にできるのか。
今となっては少々自信がなくなってきている。
やはり自分には底辺の生活を続けることしか将来の生きる道はないのではないだろうか。
私は今、電車に乗っている。
しかし保健所に行く目的でそうしているのではない。
あの出来事はいずれ事件として大きくメディアに報道され、騒ぎがひどくなるだろう。
ここからはある程度離れた場所の方がいい。
この会社の支店が隣の県にある。
そこに向かうために私はこうして電車に乗っているのだ。
支店の付近まで行けば、きっと清掃作業のバイトの募集が見つかるだろう。
そう、生きていくためにはお金が必要なのだ。
読んでいただいてありがとうございました。




