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清掃作業  作者: 春江口
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第十八話 レベルE

そのクラゲはゆっくりと移動し始め、私たちのいる場所から三十メートルほど離れた所でぴたっと止まった。

二本の長い触角だけが前後左右に動き回っている。

何をするつもりなのだろうか。

まるで我々を観察しているかのようにじっとしている。

近づきもしないし遠ざかりもしない。


「まさか、俺たちの後をつけてきたのか?」


と、八木さんの声。

後をつけてきた?

私が下山途中で目撃した個体が、こちらを襲うでもなくただただ我々の後を追い、ここまで来たということだろうか。

だがなんのために?

もし我々を襲う気なら、あのときすでにやられていてもおかしくない。

私が発見するまで誰もその存在に気づいていなかったのだから。


「おい西さんよ、こいつは俺たちを食うつもりか?」

「さぁ、わからんね。ただ少なくとも……、わしらに興味は持ってるようだね」


その言葉に思わず西さんの方を振り向く。

心の中にふつふつと沸き起こる強烈な違和感はなんなのだろう。

やつは虫だ。

虫が捕食以外の何かに興味を持つことなどあるのだろうか。


「襲ってこないんだったら、いっちょこっちからやってやるか?」


八木さんはそう言うと手に持っていた棒をかまえ、ゆっくりと西さんの横に移動した。

しかし西さんの表情は非常に険しい。


「気になる点があってね。もしやつがわしらを襲うつもりなら、この野っぱらがうってつけなんだよ。あれだけでかい図体してんだ。山の中だと動きづらいだろうしね」


心なしか西さんの体に力が入っているように見える。

いつ襲われてもおかしくないということだろうか。


「俺たちを襲うタイミングを狙っていたということか? ほぉ、えらくかしこいじゃないか」


私は背筋が凍るのを感じた。

さっきから感じる強烈な違和感はこれだったのだ。

我々を観察したり後をつけたりするという行為。

ほとんど反射でしか意思決定をしない虫ごときにできる行動ではない。

やつは虫にしては知能が高すぎるだ。


そのとき前にいたクラゲが突然動き出し、我々の方に向かってものすごいスピードで近寄ってきた。


「やばい、逃げろ!」


八木さんの叫び声とともに走り出す三人。

しかしクラゲはあっという間にすぐ近くまで接近し、なおもその動きをやめない。

もう追いつかれる、そう思った私は思わず横に飛んでクラゲをかわす。

八木さんと西さんは手に持ったシャベルや棒でかろうじてクラゲの動きを止めていた。

西さんが両手に持ったシャベルを振りかぶり、クラゲに向かって一振りする。

しかしほとんどダメージを与えているような感じではなかった。


「おまえも武器になるようなものを探して来い!」


八木さんがこちらに向かって大声で叫ぶ。

しかしそのときの私はすでに戦意を喪失しており、尻が濡れるのもかまうことなく水溜りの上にへたりこんでいた。

二人が持っている物も武器というにはあまりにもお粗末なもの。

このままではみんなあのクラゲにやられてしまうだろう。


そのとき西さんは驚くべき行動に出た。

八木さんの背中を蹴っ飛ばし、クラゲに向かって突き飛ばしたのだ。


「わっ、何をするんだ! やめろ!」


悲痛な叫び声とともに、お椀状の黒い外骨格の下に引きずりこまれる八木さん。

おびただしい数の触手のような毛のようなものがあっと言う間に八木さんの体を覆い、クラゲの中へと飲み込まれてしまった。


「助けてくれ! 助けてくれ!」


大きく黒い物体の中からくぐもった声が聞こえる。

八木さんが暴れるせいか、クラゲの体が上下に大きく揺れている。


「ざまぁみやがれ!」


西さんが笑みを浮かべながらそう叫ぶ。


「聞こえるか、八木さん! こいつはゴキブリだよ。触覚の動きでようやくわかった」


西さんはそう言いながら、シャベルでクラゲに攻撃を与える。

クラゲは捕食中のせいなのか、すぐ近くにいる西さんを襲おうとしない。


「でもゴキブリだとしたら、体の表面にウィルスや病原菌が付着してるかもしれないよなぁ? 接触するだけでもきわめて危険なんだよ。あんた知ってたんだろ? このバイトは危険な作業なんだって。だからあんたはいつも現場に出て来なかった。自分では直接手を汚さず、わしらみたいなしみったれた奴らに危険なことをやらせて影で笑ってたんだ」


西さんはぜいぜいと肩で息を切らせながら、その場にへたりこんだ。

そしてぽつりとつぶやいた。


「……レベルEだ。ここはもう手遅れなんだよ」


肩を上下に動かしながらしばらくじっとしていた西さんは、何かを思い出したかのように急にまわりをきょろきょろと見回し始め、私を見つけると這うようにしてこちらに近づいてきた。


「今すぐ小屋に帰れ。そしてスーツの男に事情を説明してくんろ」


はぁはぁと苦しそうにしながら、西さんは自分のシャツをめくり、そこから四つ折りになった封筒を取り出し、私に差し出した。


「助けにこようなんて思うな。小屋にいる連中が束になってもかないっこないんだから。一刻も早く処理班にまかせることが最善の策なんだ。わしがここで時間を稼ぐから、その間に逃げてくれ」


西さんはみんなのために犠牲になろうと言うのだろうか。

壮絶な出来事の連続に頭がついていかない。


「そのかわりと言ってはなんだが、あんたに頼みがある。この封筒を保険福祉センターの誰かに渡して欲しい。渡せばきっとわかってくれる。一生のお願いだ。もうこんなことは終わりにしなきゃなんねえんだ」


西さんはそう言うと、仰向けになってその場に寝転がった。

息苦しさのせいか、顔がくしゃくしゃになっている。

私は呆然とその顔を見つめ続け、動き出すことができなかった。

しかしクラゲがゆっくりとこちらに動き始めるのを視界の隅でとらえ、がくがくと震える足をなんとか押さえながら小屋に向かって走り出した。




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