第十一話 電話
険悪な雰囲気に気圧された私は、八木さんに声をかけるタイミングをすっかり失っていた。
とりあえず一言あいさつしてからこの場を立ち去ろう、と思いつつもなかなか口を開けない。
もういっそこのまま出て行ってしまおうかと扉の方へ足を進めたとき、八木さんは部屋の隅っこで申し訳なさそうに立っているスーツ姿の男に話かけた。
「内海さんよ、あんたの口から仕事の内容をこいつらに説明してやってくれんか。若造どもがいかがわしいとかなんとかって因縁つけてくるからよ」
内海と呼ばれたスーツ姿の男は、驚いた表情で八木さんに顔を向ける。
「え、ほ、本気ですか?」
かなり動揺している様子だった。
八木さんは『冗談だ』とでも言うように笑いながら手を振り、茶髪に向かって話を始めた。
「この人は一流企業の会社員でな、ちゃんとした人だぜ? 俺はこの人から依頼を受けてこの仕事をやってんだ。なぁ、内海さん」
「え、ええ、まぁ」
「ここに依頼書もある。どうだ、これでもいかがわしいか?」
机に置いてあった紙切れに手をやり、見せ付けるように高々と上げた。
しかし、茶髪は横を向いたまま見ようともしない。
八木さんの視線が、今度は自分の方に向く。
「なぁおい、前田君よ。ちゃんとした仕事だろう?」
どうやら八木さんは、私もボイコットしようとしていると思ったようだ。
早く誤解を解かなければならない。
「い、いや、僕はこの人を連れてきただけなんで……」
「なんだ。じゃあさっさと現場に戻れよ」
八木さんの口調は、明らかに不機嫌な感情を含んだものだった。
まったく茶髪のせいでとんだとばっちりを受けたもんだ。
「ああ、ちょっと待って」
八木さんは扉に手をかけた私に向かってそう言うと、上着の内ポケットから携帯を取り出し、電話に出た。
通話音量が大きいのか、相手の話し声が携帯から漏れる。
特徴のある喋り方から察するに、どうやら西さんからの電話のようだ。
八木さんの顔色がみるみるうちに変わっていく。
嫌な予感がする。
現場で何か異常事態が起こったのかもしれない。
「おい、話が違うじゃねーかよ」
携帯から顔を離し、スーツの男に向かってそう叫ぶ。
「何かありましたか?」
男の問いかけにすぐに返答せず、八木さんは私達の方をちらりと見た。
一瞬ためらった様子だったが、すぐに男の方へ近づいていき、話を続ける。
「生きてるのが一匹見つかったらしい。アレの処理は全部そっちでやるんじゃなかったのかよ」
小声ではあったが、一語一句がきちんと耳に届いた。
生きてるって?
あのクラゲのような生物が?
「こっちが請け負ってるのは死骸の回収だけだぞ。どうすんだよ」
「そ、そんなはずは……」
スーツの男はあわてた様子でスーツケースの中からクリアファイルを取り出し、中に入っている書類を確認し始めた。
「しかし、報告書にはすべて処理済と書いてあって……」
「そんなもん見てもクソの役にも立たねえよ。すぐ上司に電話しろ」
「でもこんな夜更けに……、多分寝てると思いますが……」
「だから電話で叩き起こすんだろうが。おまえじゃ話になんねえんだよ」
男はあたふたとしながら携帯を取り出し、私達に背を向けるようにして電話をかけ始めた。
話の内容を聞かれたくないのだろう。
不測の事態が起こったことは間違いないようだ。
緊迫した空気が小屋中に充満している。
「……西さん、悪いけどすぐに小屋まで来てくんねーかな」
まだ電話で会話を続けている八木さんの方を見る。
いらいらした様子はあるものの、話ぶりからは恐怖感は感じ取れなかった。
しかしこの男なら、たとえあの生物が人を食らうような化け物でも、怖がるそぶりを他人には見せないだろう。
ああ、家に帰りたい。
徐々にではあるが、私はこのバイトに参加したことを後悔し始めていた。




