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孤独の逃夜行

孤独の終点駅を抜け出して

作者: 渡 遊歩

 付き合いで呑み会に出た。飲み屋街で始まった呑み会は、アルコールも回って一層の高まりを見せている。

 酒を呑むことは嫌いではない。でも、呑み会で飲むのは好きではない。

 これは昔からの僕の性分で、生来のものと自覚している。とかく、あのもっと騒げと言っているような空気が苦手なのだ。

 ひたすら道化を演じて場をにぎやかす。酒は一滴も呑まなかった。周りの人間も、そのことに気付いている人間はいない。

 居心地の悪い時間はカタツムリのように進むのが遅い。ああ、早く過ぎ去ってはくれないか……。




 ようやっとお開きの時間となり、まだ飲み足りない者たちは二次会に行く話をしている。私は彼らに気づかれないように、こっそりとその場を後にした。

 いつの間にか、着ていた服がヤニ臭かった。早く部屋に帰って、シャワーを浴びたい。

 もう夜遅いというのに、飲み屋街には人が多い。まだまだ夢冷めやらぬといった風に、陽気に、時には肩を組んだりして、光り輝く街中を行き交う。面白いことに、駅に近づくと、だんだんと夢から覚めていくように、人々の顔に絶望に似た気色が含んでいくのだった。

……ああ、あの時もこんな感じで駅へ歩いたっけか。

 学生時代の遠い記憶。あの時はよく友人たちと夜遅くまで酒を呑み歩き、終電間際の電車にどうにか乗り込んで家を目指した日々。

 杯を片手に、遅くまで語り合う。空になった杯が、テーブルの隅に並んでいく。あの頃は、どれだけでも呑んでいられた。酒を呑んでいることが、楽しくてたまらなかった。

 いつからだろう。酒を呑むことが、楽しくなくなったのは。

 いつからだろう。杯に入る液体が、アルコールを含まなくなったのは。

 いつからだろう。周りに、語り合う友人たちがいなくなったのは……。

 駅の改札をくぐれば、慣れ親しんだに方向へ続く階段。学生の頃も使ったこの階段の左側へと進めば、私の家がある方面へのホームになる。

 そういえば、いつだったか私は酔った頭で間違えて、反対の右側のホームへ上がってしまったことがあった。私はそのことに気が付かず、あまつさえ眠気に負けて電車に乗った後すぐに座席で眠ってしまい、そのまま終点まで行ってしまったのだ。

 あの時は焦った。そう、焦った……。

 私は思わずフフ、と笑ってしまった。懐かしい、もうどれだけ昔のことだろうか。反対のホームを見てみれば、ほら、あの時の私がふらふらと階段を上がっていくのが見えるようだ。

 ……不意に、妙な郷愁にかられた。階段を昇っていく私の影に、強烈な焦がれを覚えた。

 楽しかった、あの日々。酒はいくら呑んでも足りず、呑んでいる時間がとにかく愛しかった、あの日々……今は失われてしまった、あの。

 あの影を追っていけば、もしかしたらまた思い出せるかもしれない。あの時の自分を、もしかしたら。

 このまま家に帰るのは惜しい気がした。もしかしたら、私はそのときすでに酔っていたのかもしれない。

私は反対方面行のホームへと上がった。




 電車が進んでいく。駅が遠ざかっていく。

 私はあの時と同じように、家とは反対方向への電車に乗っている。

 なんとなく、だった。私は終点まで乗っていくつもりである。このまま乗っていけば、間違いなく今日中に家に帰ることはできなくなる。家に帰りたいならば、次の駅でもいいから早々に電車から降りるべきだ。でも、私の尻は椅子のくっついたように重く、席から立てない。

 考えてみると、私は反対方面へあまり行ったことがない。今乗っているこの電車のいく先に、私はどれだけ向かったことがあるだろう。

 ああ、この辺までは来たことはある。しかし……私は、名前を久しぶりに見た駅を何個も見ては通り過ぎていって、だんだんと不安さが心にちらついてくるようになった。

 大きな駅に着けば、人々がワッと降りていく。そうすれば、どんどんと社内の人口は減っていく。終点間際になれば、車内にいるのは私を含めて数えられるほどだった。

 終点に着いた。電車が止まる。この先、この電車が進んでいくことはない。乗り続けることは許されない。

 ホームに降りる。あの、繁華街の喧騒や輝きはどこに行ったのか。あたりは静まり返り、光よりも暗闇の方が多い。

 呆けていたら、ホームに私一人しかいなくなっていた。無性に寂しさを覚えて、私は急いで改札を通る。

 終点の駅に、久しぶりに降りた。前に降りたのは、そう、あの深酒をしてここまで居眠りをした学生時代だ。あの時ぶりの、あの時と同じ場所に私は立っている。

 誰もいない、何もない。駅前の店は軒並みシャッターを閉めている。街は眠っている。静かに朝を待っている。

 私は、その眠りの中に取り残されている。この街で起きているのは私だけ、夢の中に現れた覚醒の兆しのようで、つまりは異端者で、街は今にも私をここからはじき出そうと大きな力を発揮してきそうだ。

 学生時代ぶりの駅前は、あのときとはだいぶ変わった……既視感がないところを思うに、大きく変化したのは確かなのだろう。

 きっとあのときもこのような気分でこの駅前を眺めていたに違いない。初めて見る、知らない街。さぞかし焦っていたことだろう。

 私が懐かしさに辺りを見渡していると、ふと視線を感じた。こんな時間に視線? 私はそれを感じる方に目を向けると、ああ、なるほど、タクシーの運転手のものであった。

 黒い瞳が、私のことをとらえている。私がタクシーに乗り込んでくるのを待っているのだろうか。目線があった。見返すと、その瞳がいっそうに黒くなった気がした。

 視線から逃れるようにその場から急いで離れ、私は歩きながら辺りを見渡して、探した。あのことの私の残滓を。焦って、途方に暮れて、不安げにうろうろとしていた私の影を。

 ……待て、本当に焦っていただろうか? ふと足を止めて思い出す。

 目が覚めて、知らない駅で、私はそれで焦って……。

 ――思い出せない。

 歩いていれば鮮明に思い出すと思っていたのに、瞼に映るのは掠れた記憶。ぼんやりとして、まるで分からない。

 この街の様子を、間違いなく私は見た。あの日、私は確かにこの場所に降りて、深夜の町中をさまよったのだ。

 でも、覚えていない。見たはずの景色が、初めて見る新鮮さを帯びて目に映る。

 ――ああ、記憶が薄れていく。

 あんなに鮮明だったと思っていた記憶の景色はすでに曇りガラス越しでしか見られなくなっていた。

 怖い、怖い!

 私の歩きは早まっていく。終いには走ってしまう。どこまでも続く街灯の列。その明かりが指し示す道の先に何があるのか、私はまったく分からない。

 あの時、私はこうやってさまよい、いったいどうやって家に帰ったのだろうか。いやそもそも家に帰ったのだろうか。こうやってさまよったのは覚えているが、さまよった末にどうなったのか、まるで思い出せないのだ。

 いや、もしかしたらこのさまよった記憶すらも嘘なのだろうか。駅前に停まっていたタクシーに乗り、家に帰ったのではなかろうか? あの、運転手のうつろな瞳に誘われて。

 私は、とにかく歩いた。何かに追われる恐怖を抱きながら。

 しばらく歩くと、また駅前に戻って来ていた。遠巻きに駅前を一周してきたらしい。

 あの時の私の影は、どこかに行ってしまった。誰もいない駅前に、私は茫然と立ち尽くす。

 タクシーは、いなくなっていた。いなくて良かった。いたら、私は恐怖で叫んでいたかもしれない。

 ――帰してくれ!

 そんな風に。




 家に着いた。

 私は服を脱ぎ捨て、部屋に倒れ込んだ。服がしわになろうと、今日はどうでもよかった。

 結局、少し歩いた先のホテルで一泊し、朝に家に帰ってきた。今日が休みでよかったというところである。

 朝の電車で終点の駅からいつもの車窓が見える路線の区域に走り戻ってくるのは不思議な感覚で、普段見ている景色にいくらかの新鮮味があった。

 私は倒れながら思い返す。あの時の私の記憶……学生だった私は、あの孤独の駅前から、いったいどうやって脱出したのだろうか。

 気になるが思い出せない。どんなに記憶を漁ってみても、あの時の私が出てくることは無い。ほしい記憶が出てこないのは、悶々として気持ちが悪い。

 どうにかしてこのモヤモヤを解決したかった私は、久しく会っていない学生時代の友人に連絡を取ることにした。

 あの夜にともに杯を空にし続けていた友人は、電話に出ると驚きの声を上げた。

「どうした、ずいぶんと久しぶりじゃないか連絡なんかよこして」

 突然の私の電話に驚きながらも、嬉しいことに少々嬉しそうな声色の友人に、私は簡単な挨拶を返しつつ、尋ねることにした。

 私は、あの夜どうやってあの駅から帰ってきたのか。あの孤独の駅前から、どうやって抜け出したのかと。

 すると、友人は突然なんだと言いながらも、懐かしいじゃないかとこぼしながら、

「お前はあの日、駅の構内で寝て一夜を過ごしたっていっていたぞ。なんだか自慢げにな」

と言ったのだった。

 そうだ、私は脱出なんてしていなかった。豪胆にも、あの深夜の駅で独り寝て過ごしたのだ。

 言われて、思い出していく。私は不安も焦りも感じず、駅の構内の待合所に入って、その中の椅子をベッドにして寝てやったのだ。

 今では、もうやる勇気も気概も無い。若気の至りというか、後先のことなど考えていなかったあの頃だからできた、そんな夜の孤独の構内泊。

 あの駅前の街の中に、私の影はどこにもいなかったのだ。いたのは、構内の、誰もいない待合所の中だった。

 私は、なんだかとても気持ちが軽くなった。モヤモヤが晴れたと同時に、あの時の自分が私の目の前に現れた気がしたのだ。

 ――やあ、自分。あの夜はどうだったよ?

 ――まあまあ寝れた、悪くなかったね。

 私は、そのまま友人に一つの約束を取り付けた。

 久しぶりに飲みに行こう。そうだ、あいつらと一緒にだ。店も行きたい場所があるんだ。ほら、あのときに行ったあの――。


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