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覗き

「…今日は加東さんと乾さんと松田さん家かな…いや、新規開拓するか…」



さながら、訪問販売のセールスマンの様に呟いた。




俺には人に言えない趣味がある。




それは所謂「覗き」である。




風呂場や脱衣場を見つからないようにこっそりと覗くのだが、時間帯によって、各家庭の入浴時間が違うため、仕事を上がった時間によってどの家を覗くか決めているのだ。




同じ家ばかり狙うと見つかる可能性も高くなるため、覗き現場の新規開拓も気が向けばしていた。




新規開拓する時ほど、緊張する事はない。



過去に何度も、高齢者の裸や男の裸を…つまりハズレを見る事もあった。


オバチャンにバレて警察を呼ばれた事も、更には1度ゴツい男に覗きがバレて襲われ、貞操の危機をむかえた事もあった。




そんな論外の経験もしながら、それでも覗きをやめられないのは、初めて偶然見た過激なシーン、その時味わった興奮を忘れられないからだ。




***




ともかく、今日は新規開拓と決めた。




俺の中では、窓が空いている家しか狙わないという鉄則があった。



音をたてる心配もないし、警察沙汰になっても、指紋などの痕跡を残しにくい。



覗きをする時には、昔量販店で買った古い靴と帽子、手袋とそしてマスクを付ける。


知り合いでなければ、この格好をしていると、仮に逃げる事になっても全て外してゆっくり歩くだけで通行人としか思われない。



まさに、先入観だ。




基本、地理に強い徒歩圏内で探す。車なんかの乗り物を利用すると、足がつく場合があるからだ。



今日は利用駅の線路をはさんだ向かいの住宅街に狙いをつけ、まばらに夕飯のいいにおいが漂う中、俺はふらついていた。





水音を探す。


俺がよく目を付けるのはアパートの1階だ。


足元はセメントで固められている場合が多いし、集合住宅だからか、一軒家よりも何故か窓が空いている確立が高いのだ。




しばらくふらふら歩いていると、バシャバシャと水音が聞こえた。




辺りに神経を配りながら、音の出所を探る。





行き着いた先では、縦の鉄格子と…その先にある窓が確認出来た。


ラッキーな事に、その窓は少しだけ空いている。




俺は、足音をたてないように忍びよった。






バシャ、バシャ…





どうやら、手を洗っている様だ。

洗い方はどちらかというと雑で、男かもしれないと思う程、勢いがいい。



窓から水蒸気が確認出来ないところを見ると、風呂場ではなく洗面所か。




俺は、期待せずに少しだけ覗いた。




すると。



高校生くらいの女の子が、こちらに背中を向けて、手を洗っているのが見えた。





…ビンゴ。






今は手洗いだから関係ないが、脱衣場を兼ねたこの洗面所なら、またバスタイムに来ればいい。



俺は思わずニヤリと笑い、その場を後にした。



いや、後にしようとした。




俺がその場を去ろうとした、まさにその瞬間。




視線を感じたのか、その女子高生はバッと振り向いたのだ。








…………ひっ






思わず悲鳴が漏れた。





女子高生の顔面は、赤い飛沫で覆われていた。



首から下も、まるでペンキを塗ったように、べっとりと赤い色が服に着いている。




「あ…あ…」




俺は、その赤が血の色だと認識すると、自分が覗きをしていた事も忘れて声を発した。




女子高生は、俺を確認するやいなや般若の形相になり…濡れた手をそのまま窓から出し、鉄格子の隙間から俺に向かって手を伸ばした。


それは一瞬の出来事で、放心していた俺は逃げ遅れ、ガッとマスクを奪われた。






「うあぁあああっっ」





そこで俺は、腰が砕けそうになりながらも、やっと動く事が…その場から逃げ出す事が出来た。




なんだあれは、なんだあれは…!?





今見たものは、現実か!?






何処をどう通ったのか、通行人にぶつかりながらも、とにかく俺は自力で自宅に辿り着いていた。



久々に全力疾走したせいで、まだ息が整わない。



鏡を見ると、俺の顔には赤い爪痕が残っていた。

正確には、爪痕ではなく…マスクを奪われた時についた、女子高生が洗い残した指についていた血の痕だ。



実はやっぱりペンキか何かで…と思い込もうとしたが、その痕を指で掬い上げて匂いを嗅いでみると、鉄臭かった。






どうする…!?


覗きをしていた俺が、警察に言えるわけがない。



たまたま目撃してしまった事件性の高い事象のために、教師という社会的地位を失うわけには、いかなかった。




***




結局、悶々としたまま夜を明かし、翌日は普通に出勤した。




俺の通う高校は、何時もより何やらざわついて騒がしかった。






…まさか、覗きが…ばれたか?




昨日の覗きを、女子高生が警察に話していないとも限らない。

なんせ、俺はマスクを取られ…顔を見られているのだ。




少し緊張しながら、何事もなかったかのように職員室に入る。





「おはようございます」


「ああ、おはよう」




俺の挨拶に返事をよこしたのは、隣の席に座る中年教師だけだった。


他の者は皆、一様に真剣な表情をして何か話し込んでいる。



「昨日ね、うちの生徒のお父さんが亡くなったらしいんですよ」



中年教師は続けた。



「それがどうやら他殺らしくて…今、警察が来てるところなんだよ」




警察が来ていることには驚いたが、俺は、その原因が覗きの件ではない事に安堵した。




「私も知っている生徒ですかね?」



「一年生の、岸だよ。Cクラスの」



「1のCですか、恐らく知りませんね」



受け持ちは二年生であり、当然岸という生徒は知らない。


警察が俺に何か聞くことはないだろう。もし聞いたとしても、当たり障りのない質問だろう。



「その岸という生徒は、今どうしているんですか?」



「まだ警察が保護してるよ…父子家庭だったみたいで、近くに身内がいない上、どうやら発見者だったみたいで…可哀想に、精神的に大夫参っているようだ」





俺は、昨日見たシーンが頭をよぎった。





「今日1日休んで、明日授業にはでないが職員室には一度寄るそうだ」



「そうなんですか」




この中年教師は噂好きで、その日1日中、事件の情報収集をしては、俺にべらべらと得意気に話していた。





「お父さんは、どうやら寝室で殺されていた様だよ」


そうか、洗面所以外である事は俺も知ってる。


「岸が見つけた時には、まだ息があったみたいで…懸命に心臓マッサージをしたらしい」


だから手も服も血まみれだったのか…


「凶器は遺体に刺さったままだそうで、岸が家の包丁だと証言したらしい」


包丁を抜かなかったのか。確かに、抜いた途端に出血が酷くなる場合もあると聞くしな…冷静な判断だ。



「救急隊が駆け付けた時には、岸も血まみれだったみたいで、彼女も怪我をしたと思ったそうだ」


そりゃそうだろう、彼女の服に着いた血はかなりの量だった。



「岸、最初は半狂乱で…叫びながら、頭や顔をかきむしっていたらしい」



だから、顔にも血がついていたのか…




***




翌日、一人の顔色が悪い女子生徒が、職員室を訪ねた。



今にも倒れそうだ。




彼女は教頭と共に校長室にこもり、数分後には学校を後にした。






「先生」




すっかり帰ったと思っていた…岸、に呼び止められた。




辺りを見回すが、他に教師はいない。



「先生、私は先生の趣味の事は誰にも話しません。


…だから、私の事も誰にも話さないで…忘れて下さい」




今にも倒れそうだった筈の岸は、不気味な表情を湛えてそう言い捨て、去っていった。







ああ、言わないさ。



警察に対し≪血まみれの自分≫についてどんな説明をしたのか知らないが、俺の事さえ話さなきゃ、それでいい。




今回の事で、覗きは止めようと思えるようになった。

スリルを求めて、職を失うのは馬鹿らしい。




***




職員室に戻ると、例の中年教師がまた勝手に話し掛けてきた。



「岸、演劇部だったみたいなんだけど、流石にこの事件で次のヒロイン役を降りるらしいって顧問が泣いてたよ。


彼女、すごい才能らしいから、代わりがいなくて困るみたいだねぇ」






ああ、それで半狂乱…のフリ、か。





俺は、岸の≪顔についた血の飛沫≫を見たんだ。


心臓マッサージで、顔に血がつくこと位あるだろう。



だが。






救急隊が駆け付けた時に、包丁が刺さったままだったなら。







犯人しか、≪飛沫≫は、つかないだろうな。

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