悪魔の子
一人娘を産んでから、妻は日に日におかしくなっていった。
俺、佐藤健一郎の最近の悩みはこの妻の育児ノイローゼだ。
「貴方、貴方、この子やっぱり変よ…ちっとも泣かないの」
「手間がかからなくてイイコじゃないか」
「貴方、貴方、この子私に抱かれるのを極端に嫌がるのよ…」
「抱っこより、ネンネが好きなのかな?赤ちゃんも個性があるからな!」
「貴方、貴方、この子私を見てにやりって笑うのよ?」
「情緒面も発達してきた証拠だな!見ろ、ニコニコ笑ってくれて可愛いじゃないか」
「貴方、貴方、この子今日私に噛みついてきたの」
「おや、早目に歯が生えてきたんだな。凄いな~、順調に成長してて、良いことだ」
「貴方、貴方…」
いい加減にしてくれ!!
仕事で疲れて帰って来ても、家庭で休まる事はない。
俺も鬱になりそうだった。
「そりゃあヤバイねぇ~、しっかり奥さんのフォロー…というか、見張っておいた方がいいぜ?この世の中、平気で育児放棄する母親がわんさかいるんだからな」
同僚に愚痴を漏らすと、そう言われた。
見張れと言われても、この多忙を極める仕事の中では無理だ。
「…やっぱり、女の子だからといって、あんな名前にしなければ良かったのかな…」
娘の名前は、るり。
実は、妻の亡くなった妹の名前でもある。
妹が亡くなった後に女児を妊娠した妻が、るりという名前にしたいというから、そうしたのだが…
娘のお七夜(命名式)を終えた翌日、妻はポロリと俺に言った。
「るり、貴方の事が好きだったのよ」
妻の言う「るり」が、娘でないことは直ぐにわかった。
それからも
「貴方、貴方、この子るりそっくりだわ」
「そりゃあ君の妹だからな、似たって可笑しくないだろう?」
変わらず病的なやり取りは続いたが、ある日こう言い出した。
「貴方、貴方、私はこの子に殺されるわ」
俺が、本格的に妻がヤバイと感じたのは、この発言だった。
生後間もない赤ん坊がお前を殺せるわけないだろう、と言っても
「この子はるりなのよ!るりは私を憎んでいるから!!」
と言ってきかない。
その日、俺は育児ノイローゼに対する市の助成やカウンセリングを調べ、実際に保育士を呼ぶ段取りをつけたり、クリニックに予約を取ったりした。
何故妻が妹から憎まれているのかは不明なままだが、妹の生まれ変わりと思い込まれた娘が不憫だった。
ある日、俺が早目に帰宅すると、るりの物凄い鳴き声が聞こえた。
「おい、どうしたんだ?何があった!?」
俺が慌ててリビングに駆け込むと、妻は…
妻は、るりの首に両手を回していた。
「やめろぉおぉっっっ」
妻に体当たりするようにして退かし、るりを抱え上げた。
「お前、何を考えているんだ!!」
俺が妻に怒鳴ると
「その子はるりなのよぉっ!殺される前に殺さないと!!」
と、半狂乱になって泣き出した。
「いいか、るりちゃんは亡くなったんだ。雨の日、歩道橋から足を滑らせて、事故で亡くなった」
俺は諭すように言った。
ちょうど、デザイナーの卵である彼女は、その頃スランプに陥っていたようで、警察では事故か自殺か悩んだらしいが、結局自殺と決定するには証拠が不十分だった為、事故と断定したのだ。
妻は、泣きながら…膝を抱え込んで言った。
「違うの、るりは…
るりは、事故じゃなくて…私が突き落として…殺したのよ…」
俺は頭が真っ白になった。
「貴方とるりがホテルから出てきたところを見て頭に血がのぼって…
怖くなって、逃げ出した…
どうせ警察にすぐバレるだろうから…それまでは貴方といたくて…自首しないでいたら、事故で処理されて…
けど、貴方にも復讐はしたくて…わざとるりの名前をつけて…
貴方がるりの名前を呼ぶたびに、そんな名前つけなきゃ良かったって…後悔したけど遅くて…」
俺は、妻と相談し…改めて、警察に自首する事にした。
「先に、るりだけは何の異常もないか、検査してもらおう?」
俺達は、市内の市民病院に行き、妻の虐待の話を医者に正直に話して、るりの一泊二日の検査入院をしてもらう事にした。
妻は、何かに解放された様に、ひたすらるりに「ごめんね、ごめんね」と謝り続けてながら、優しく抱き抱えている。
一方俺は、るりの冷めた目で妻を見る表情に違和感を感じていた。
赤ちゃんの表情は、目まぐるしく変わるはず。
けれども、るりはまるで大人のように…眉ひとつ動かさず、ずっと同じ表情で妻を見ていたのだ。
るりは、私がじっと見ている事に気が付くと…
私の方を見て、
にやり
と笑った。
俺は、その笑い方が誰かに似ている、と感じ…
それが、死んだるりである事に気付いた時…
自らも、この先、ノイローゼになるだろうと、確信した…