夫婦のルール
どの夫婦にも暗黙のルールが幾つかある様に、我が家にも幾つかの夫婦のルールがあった。
そのルールの中の一つが、『後から家に帰った者がマンションにある玄関の呼び出しを鳴らす⇒先に帰った者がマンションのオートロックと玄関の鍵をはずす』というものだ。
我が家ではこのルールによって、マンションのオートロックの、煩わしい面を一日一人しか味わわずに済んでいる。
おそらく、オートロックの家に住む者なら結構な数で採用されているルールだろう。
一時期、旦那の帰りが遅かったり、なかなか家に帰って来なかったりで、マンションの呼び出しを待ちながらうたた寝してしまう事もあったが、今ではまたきっちり定時に呼び出しがなるようになった。
…平和だなぁ。
ちょっと感傷に浸っていた、たった今も、呼び出し音がした。
カメラで男の姿を確認し、受話器を軽くあげ、オートロックを遠隔操作し、玄関まで鍵を開けに行く。
‡‡‡‡‡‡
「なあ、この家やっぱり変じゃないか?」
今日もまた旦那が言って来た。
平和な家庭の、唯一の悩みの種だ。
旦那は半年前に引っ越してきたこのマンションがお気に召さないらしい。
「そぉ?何が?」
「昨日も、俺が帰って来た時に、電気は点けっ放し、玄関の鍵は開けっ放しだったって言っただろう?」
私は毎日チェックをしているのに、旦那が先に帰る日に限って何度か言われた。
「うん。今日こそしっかり確認したよ。…まさか、また?」
「ああ。やっぱり変だって」
駅近で、築年数も5年以内のこの物件は、かなりのお手頃価格で手に入れた。
その、お手頃価格の理由を日照権(日当たりが多少悪い)であると聞いていたのだが━━
「わかった、ちょっと近所の人とかにも聞いてみるよ」
何もないだろうけど、と思いながら私は答えた。
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「引っ越ししよう」
私がある日マンションに帰ると、旦那が真っ青な顔でマンション玄関の入り口に立っていた。
近所で情報収集をした私は、その意見に反対しなかった。
直ぐに引っ越し準備を整えて、賃貸物件に移り住んだ。
旦那はその新しい住まいに慣れた頃、やっと前の住まいについてポツリポツリと話してくれた。
あの日━━真っ青な顔で玄関にいた日――旦那はいつもより遅くなって帰ってきた為、私が先に帰っているのではないかと思い、マンションの玄関でインターホンを鳴らした。
すると、受話器から確かに「お帰り」と返事があり、マンションのオートロックが解除された。
多少声が違った気がしたのだが、旦那は普段通りに家に入った。
勿論、玄関の鍵も開いており、電気も点いている。
━━が、私の姿は当然ない。
旦那は一旦、全ての電気を消して、玄関の鍵をかけて、またマンション入り口まで戻ったらしい。
そして━━
もう一度、震える指で、インターホンを押した。
また、受話器があがる音がして━━誰かが言った。
「お か え り」
その話を聞いて、私は旦那に近所の人から聞いた話を伝えた。
私達の住んでいた部屋で、以前住んでいた夫婦が心中をしたという。
原因は、旦那の浮気。
夜帰らなくなった旦那を妻は待ち続けたが、旦那は日に日にマンションに寄り付かなくなっていったという。
精神的に病んでいった妻は、ある日旦那を刺して、自分も死んだ。
それ以来、何度か夫婦がその部屋に住んだが、いずれも早く引っ越していったらしい。
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帰って来ない……
また、帰って来なくなった……
どうして?
早く帰って来て……
私、待ってるのに……
「お、かなり綺麗じゃん」
「そうだね~、日当たり悪いって…今の時間なら全然気にならないしね!」
「ここにしよーぜ」
「うん!お得な物件に出会えてよかったね!」
プルルル プルルル
ああ……
帰って来てくれたのね……
お か え り