貧乏ゆすり
円は、その男が煙草を吸いながらカタカタカタカタ、と貧乏ゆすりをするのを見て、昔のクラスメートを思い出した。
どこにでもいる、つまらないニキビ面の男だった。
優しいという長所も、優柔不断や気弱という短所にしか受け取られず、いつもオドオドしていた。
クラスメートの中でも極端に印象に残らないタイプで、親友と呼べる者もいなかったに違いない。
それなのに何故円がその男の事を覚えているかというと、彼女が大嫌いな貧乏ゆすりを彼がしょっちゅうしていたから、というのともうひとつ。
その、つまらない男に告白された事があるからだ。
ベッドの中から男に向かって注意した。
「ねぇ、貧乏ゆすりやめてよ」
「ん?ああ……」
男は煙草を灰皿にぐっと押し付けると、テレビをつけ、その端正な顔の眉間にシワを寄せながら「面白いのやってねーなぁ」とぼやいていた。
30を目前にした今でこそ、ちょっと人には話せない人生を歩んできてしまった円だったが、中学生の頃はまだ『クラスの人気者』として普通の学生生活を送っていた。
期末テストで一喜一憂し、恋愛話で盛り上がり、部活動にも精をだしていたあの頃が懐かしい……
ふと感傷に浸り出したが、それもまたカタカタカタカタ、という音で現実世界に引き戻された。
イラッとする。
「やめてって言ったでしょ」
髪をかき上げながら上体を軽く起こして、睨みつけた。
男は、テレビから円に視線を移して言った。
「もうすぐ死ぬのに、こんな小さな事が気になるのかよ」
そうなのだ。
私は、今日初めて会ったこの男から薬を買った。
簡単に、天国に逝ける薬。
「嫌なものは嫌なのよ」
母が男と蒸発して、私に暴力を振るう様になった父の癖が貧乏ゆすりだった。
「アンタ若いのに、なんで死にたいんだ?」
男が聞いてきた。
……なんだ、この男は。
普通買人のプライベートに首を突っ込む事は、御法度なはずだ。
けれども、最後に寝たこの男にはぶちまけてもいいかもしれない。
ちょっとした悪戯心で、話した。
「人を殺しちゃったから」
***
意外な事に、男は動じなかった。
「へぇ、なんだ、そんな事か」
ぎょっとして男を見る。
そんな事って……目の前にいる男にとっては、人殺しはたいしたことない話なのであろうか。
驚きを顔に出さないようにして、言った。
「アンタもしたことあるの?」
「ああ、中学の頃に」
さらっと世間話の様に話す男に更に驚いたが、その時初めて、仲間意識というのであろうか……目の前にいる男に興味が沸いた。
「なんで、殺しちゃったの?」
「ん~…俺の場合、若かったんだよな。クラスメートの人気の女子に思い切って告ったら、フラれたのが教室のど真ん中で」
へぇ……こんな格好イイ男なんだから、赤っ恥をかかされた訳か。
「したら、その後ずーっと、クラス中の男から笑い者にされて」
成る程、普段モテる奴がそんな滑稽な事になったら、皆言うわな。
「更に運の悪い事に、クラスのリーダー的存在だった男がその女の事好きだったみたいで」
確かに運が悪かったとしか言いようがない。
「そいつが、家にまで押しかけてきた時に、つい衝動でカッと」
親はどーしたのよ
「それが、家にいたんだよ」
……じゃあ、警察のお世話に……
「ならなかった。うちの親は変な意味で過保護でさ、更に権力とか金とかもあって。人を殺したのに、なかった事にした」
あらー……いいなぁ、私は守ってくれる人いないし、捕まりたくないなら死ぬしかない。
「よくねーよ、それから地獄が始まったんだ」
ふーん……?それで、よくわからないけど今はそんな仕事やってるんだもんね?
「まぁ、自業自得だからしゃーねーけど。けど、人殺してものうのうと生きていける世の中だぜ?意外とこの世界は」
……確かに、あっさりと人殺しが刑務所から出て来る社会だもんね
「お前さあ、一先ず自殺はやめて、整形でもして警察から逃げきって、人生リセットしてみたら?」
そんな事、考えた事なかった。
けど、人生死ぬつもりになればなんだって出来る。
「……そうね、そうしてみようかな」
「その業界で、いい医者知ってんだ。紹介してやるよ」
男はニヤリと笑った。
***
私は包帯を取った自分の顔を初めて見て……愕然とした。
そこには、見覚えのある顔があった。
見覚えのある、と言っても当然私の顔ではない。
中学の時、私が振った……ニキビ面した、貧乏ゆすりが癖の男の顔が、そこにはあったのだ。
「へぇ……成長したら、確かにこんな感じだよな。よく出来てる♪」
例の薬の売人が、私が見ている鏡を覗き込みながら言った。
「……アンタ……!!」
男はニヤニヤと笑いながら、
「アンタは俺の地獄の始まりだからな~……自業自得だとは思うけど、これくらいの復讐、したいと思ったっていいよね」
そう言って、傍にいる執刀した医者に「上出来です」と言ってお金を渡した。
「……アンタ、最初からいいもの持ってるのに、それを自分から放棄したんだ。今度は最初から何もなかったら、どうなるのか試して見なよ。」
そして、部屋を出る前に小瓶を机の上にコトンと置いて出て行った。
それは、私が男から買い付けた……天国に逝ける薬、だった……