足音
私はこのマンションに引っ越して一週間で、他の物件に決めればよかったと、後悔した。
━━防音が、なっていないのである。
このマンションは7階建てで、部屋は2~4LDKだった。
近くに小学校があるせいか、このマンションにはやたら小さな子供が多いらしい。
というのも、廊下に面する部屋にいると、子供がきゃっきゃと階段を駆ける音がし、リビングにいればいたで、上の階から子供の足音が聞こえてくるのだ。
前住んでいたマンションでも、上の階の子供の足音が五月蝿く、住人と喧嘩し、かなり嫌な思いをしたので結局引っ越しをしたのだ。
カッコイイ外観に惑わされず、もっと経験を活かして新しい物件を決めるべきだった。
私は、自分が子供を産めない体である事も手伝って、40歳半ばであったが独身だった。
幸い、収入は悪くない仕事に就いている為、一人で困る事はなかった。
好きな事は、リビングでゆったりとクラシックを聴いてのんびり過ごす事。
その為のコンポもバッチリと揃っている。
ここは古くはないマンションであったし、確か不動産のマンション情報では防音完備となっていたはずだ。
その為、入居を決める時、そこまではしっかりと確認しなかった。
確かに隣や上下の部屋のテレビの音や話し声が聞こえてきた事はないが、足音は響き方が違うのであろう━━……他人への気遣いが全く感じられないその足音を聞く度、イライラは募っていった。
時刻は21時。今日も、上の階の子供達がバタバタと駆け回っている足音がする。
……いい加減にしてよ。
せっかくのワインが台なしだ。
一ヶ月、我慢した。
そろそろ、管理人経由で苦情を伝えよう。
そうと決めれば、イライラした気分も多少は落ち着いた。
マンションの住人同士でものを言い合っても、拉致があかない。
こんな時の為の、管理人だ。
明日早速、話そう。
なんて言おうか。
考えながら、私は軽く眠りについてしまった。
翌日、管理人は申し訳なさそうな表情をして私の部屋に訪れた。
「いやぁ……上の階の佐藤さんね、丁度お留守だったみたいで……」
だったらまた時間置いて行けよ、と言いたくなったが、どうやら管理人は夏休みという季節柄、留守=何処かに泊まりで出掛けている、と言いたかったらしい。
私はクレーマーのイメージを持たれたくはないので、それじゃあまた今度お願いします、と言って引き下がった。
ところがその夜も。
パタパタ……
……バタバタ……
やはり、足音はうるさく響いたのだった。
☆☆☆
「昨日も足音したんですけど!!」
強い口調で管理人を咎めると、管理人は困り切った表情で私に言った。
「それなんですがね…、佐藤さんの家、調べてみたら、赤ちゃんはいても小さなお子さんはいないんですが」
「じゃあ、その佐藤さんの隣の家って事かしら」
「いえ……お隣りさん、片方はまだお子さんのいないご夫婦、もう片方はつい先日引っ越されまして空き家になっているんですよ」
「え…じゃあ、子供の足音じゃないって事?」
どういう事だろう?
あの足音は、大人の物とは思えなかった。
納得出来ないまま、一先ず管理人室から出る。
証拠がないから管理人も動かないのだろうか……
それなら、足音を録音してしまうのはどうだろう?
とにかく、あのウルサイ足音をなんとかしたい━━……
時刻は21時。今まで煩わしかった足音を、今度はまだかまだかと待つ矛盾。
すると変わらず、足音が聞こえてきた。昔ながらのカセットテープの録音ボタンを押し、初めてその足音に耳をそばだててみる。
……やはり、上から聞こえる。
リズムは疎らだが、何度も遠くから近くへ、遠くから近くへ、という感じで聞こえてくる。
……あれ、待てよ?
『遠くから近くへ』と感じるのだが、『近くから遠くへ』来ている感じはしない。
足音をわざと消して、遠くに行っているのだろうか?
何のために?
そもそも、どうして私の立っている場所の真上に…?上の階の部屋には、その場所に何があるの?
私は、上の階を見上げ……
天井を見て、しまった。
そこには
小さな子供の顔。
私が、前のマンションで騒動を起こした原因の
子供の顔。
私が、怒りに任せて殺し。
まだ遺体が発見されていない、子供。
その子供は、怒った顔をして私を見下ろしていた。
それからずっと、私の周りでは、いつも足音がする。
子供の足音が。
子供の足音を録音したテープを再生すると。
何故か、足音ではなく子供の声が入っていた。
「なんで、僕を、殺したの?」
繰り返し繰り返し、ずっと━━