悪夢
その男は、真っ黒な中で下に……下に、落ちていく感覚を味わいながら、ああ、また夢か、と思った。
最近、リアルが切羽詰まっているせいか、何かに追いかけられる夢や、前に進もうとしても沈んだり後ろに引きずられたりする夢ばかり見る。
しかし、男には他人に余り自慢出来ないが、とある特技があった。
「悪夢」の結末が嫌であれば、その夢を「巻き戻し」し、違った結末に導く事が出来るのである。
自分が忍者に追いかけられ、手裏剣を投げられ、それが手や背中に当たる夢を見た時には、「巻き戻し」をし、手裏剣を華麗に全て避ける夢にすり変えた。
沢山のワニが待ち構え、通行人が下半身を食べられている道を、自分も通り襲われた夢を見た時には、「巻き戻し」をし、車でその道を進んだ。
どっちにしろ、夢の中では男は無敵であり、悪夢もただの夢に変化させてしまうのである。
男にとって本当の悪夢は、現実という世界であった。
小さい頃は神童と持て囃されたが、合格間違いなしの大学に、体調不良で挑む事になり、全て落とされた。
一浪した後に入った一流大学では、入ったサークルのメンバーと反りが合わずに4年間気まずい思いをした。
なんとか滑り込んだ一流企業は、まさかの倒産。
大学の友人が企業を立ち上げる話しが出たのでそこに就職したら、まともな給料を払われないまま半年でドロン。
それでも小さな町工場でコツコツと働き、彼女といざ結婚しようとしたら、実は二股で更に自分は捨てられた。
これはもう、変えようのない現実だった。
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男は、下に落ちながら地面を視界に捕らえた時、さて、どういう夢に変えよう、と考えた。
背中に翼を生やしてもいいし、この腕を翼に変化させてもいい。
いや、それでは余りにもありふれているから、いっその事地面を通過して、マグマとこんにちは、するのも悪くない……
男は思いを巡らせた。
男にとって幸いだった事は、地面に叩きつけられ、脳みそが飛び散るその時まで……
それが現実だと、認識しなかった事である。