公衆トイレ
恋人と、大学の友人に会いに行った帰り道。
山道をずっと下り続け、時刻は20時をまわったところである。
潤は、いつも寄る『駅の道』まで、どうやらもちそうもない、と自分の尿意について判決を下した。
「お嬢さん、トイレ行きたいよね?」
「ううん、まだ平気」
「いやいや、我慢は禁物。道の駅の手前に確か公衆トイレがあったから、そこ寄って行こ~♪」
「ええ~!あそこ汚いから嫌~!」
「まあ、そうおっしゃらず」
ちぐはぐな会話を無理矢理成立させながら、愛車を公衆トイレの駐車場に停めた。
長旅でよく使う道だった為、ここに公衆トイレがある事はチェック済みだったが、実際使った事はなかった。
「……うん、確かに汚いわな」
「だからさっきそう言ったじゃない~」
ぶうぶう、という言葉が似合う彼女に「では行ってくるよ」と軽快に声をかけ、潤はサクサクと公衆トイレに入って行った。
……み、見た目より更に汚い……
思わず尿意も引っ込みそうな、アンモニアの強烈な臭い。
小さな虫が今にも消えそうな蛍光灯に当たっている。バチッバチッと響く音は、虫の当たった音か、それとも蛍光灯の命が消えゆく音か。
手洗い場の陶器にはヒビが入り、壁は落書きだらけ。
小さな鏡は人の顔を写しているのか、わからないほど水垢で汚れている。
しかも珍しく、男子トイレに小用トイレが……なーい!
潤はずがーん、と頭に落雷を受けたような錯覚に陥りながらも個室にヨロヨロと入った。
潤が一人小劇場を繰り広げ、個室に入ってふぅ、と一息つくと。
コツン、とハイヒールの音が響いた。
壁は薄く、女子トイレに入った音がする。
「何、お嬢さんも入る事にしたの?」
隣に入っているのが赤の他人かもしれないのに、潤は軽口を叩いた。
「うん」
返事がした。
「一人じゃ怖いか~、怖いだろ~、でも先に済ませて外に出ちゃうもんね~」
「ええ~!!」
彼女の苦情を隣で聞きながら、潤は好きなコに意地悪をする小学生の様に、ささっと公衆トイレを出た。
後で少しぶうぶう言うかもしれないが、彼女はさほど怖がりではないから、ちょっとした冗談で済むだろう。
潤は彼女のぷーっと膨れた顔も好きだった。
S気を発揮しながら、一人ニヤニヤと愛車に戻っる。
……目を、疑った。
愛車の助手席には、彼女がちょこんと座っている。
潤を見つけて、車から出てきた。
「何、ニヤニヤしてたの~?また変な事、考えてたんでしょ~~~!!」
彼女の足元を見ると、スニーカーを履いていた。
「ちょ、ちょっと潤!?」
無言で彼女を助手席に押し込み、愛車を発車させた。
さっき、自分の軽口に答えた女は誰だったのか……
潤は極力、考えないようにした。
自分の愛車しか駐車場に止まってないように見えたのもキノセイ。
ハイヒールの女は、誰かと潤を勘違いしたのだ、そうに違いない。
公衆トイレがやっとバックミラーから見えなくなって、ホッとした。
道の駅まで、後少し。
次のカーブを曲がろうとした、その時。
潤は確かに見てしまった。
カーブ沿いに曲がる白いガードレールの下から、真っ赤なハイヒールを履いた『足だけ』が立っているのを……