憑く理由
私は恐怖に震えている。
目の前には、私と同じ姿形の少女。
場所は、昔住んでいた家だった。
これは夢だ。
夢とわかっていても、私はその場から逃げ出した。
玄関には、胸を真っ赤に染めた父と。
リビングには、背中を真っ赤に染めた母が横たわっている。
恐慌状態にある私は、2階へ駆け上がる。
それが間違いだと気付くのには、少し時間が掛かった。
「若葉ぁ……何処に……隠れてるのぉ……?」
怒りの形相で、包丁を手にした紅葉がゆっくりと上ってくる。
私は、何か武器になる物はないか、と思考回路を巡らせたが、思い当たる物はなかった。
紅葉は、もう階段中程まで来ている。
《狩られる側》が、こんなに怖いなんて思わなかった。
歯がガチガチ鳴るのを止められない。
やっと手にした武器は、モップだった。
長いその棒を手に取り、やっと私は戦い方を考えついた。
階段を昇りきった紅葉の正面から走り込み……モップを紅葉に向かって、思い切り突いた。
‡‡‡‡‡‡
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その中年夫婦は、必死の形相で目の前の人間に食い下がった。
「お願いです!!どうか……どうか、この子に取り憑いた悪霊を除霊して下さい!!」
「この子は、幼い頃から3年間も……そう、3年間もずっと、悪霊に悩まされているのです」
とある、除霊師の、仕事請け負い部屋。
1時間もの間、中年夫婦はその真ん中に17歳になった娘を挟み、除霊師に訴え続けていた。
「……ですから、何度も言うように、今回はお引き受け出来ません」
「なんでや!あんたが一番という噂を聞いて、わざわざここまで来たんやで!!」
興奮した中年男性が、ちらりと関西弁を披露した。
「とにかく、今回はお引き受け出来ません。悪霊なんか憑いておりませんから、他の除霊師にお願いするのも止めて下さい」
「あんた、そないな事言うて……ほんまは、この子に取り憑いてる悪霊が手におえへんのやろ!!」
中年男性は泣き落としから挑発へとその戦略を変えたが、除霊師はのらなかった。
夫婦の間で口を挟まず、ちょこんと礼儀正しく座っているのは、若葉という少女だった。
若葉は、双子の姉・紅葉が起こしたと言われる3年前の惨劇のせいで、不眠を訴えていた。
また、若葉曰く、毎日どんな時でも、姉が少女に取り憑き、恨み言を言うという。
その状態で、正気を保っていられる若葉はある意味凄かった。
中年夫婦は、亡き両親の兄弟で、つまり若葉の伯父・伯母にあたった。
彼等は、子供に恵まれずに普段から双子を可愛がっていた為、若葉を直ぐに引き取る事にした。
幸い、それなりの有力者だった為、金銭的余裕もあり、若葉は3年間彼等によって育てられてきたのである。
「確かに、霊はついていますが……除霊しない方が、いいと思います」
「なんでや!!理由を言うてみい!!理由を!!」
除霊師は、消え入りそうな声で、
「それは話せません……」
と答えた。
それみたことか、と中年夫婦は鼻を鳴らしたが、そこで初めて、若葉が発言した。
「伯父さん、伯母さん、ありがとう……。もう、いいよ」
はにかむ様な、痛々しい笑顔を作り、夫婦を止める。
若葉としては、毎日姉の紅葉が見張る様に現れるのは、勿論嫌でなんとかして欲しかったが、除霊師の意志は固い。
そう思えた。
「若葉、そんな事言うて……もうすぐ受験やのに……」
中年女性は若葉の発言に戸惑ったが、
「うん、でも……今までも確かに姉さんが何かしてくる訳でもなかったし……霊となっても、私を見守ってくれているんだと思って、頑張るよ」
にこ、と女性を安心させる様に笑顔を見せる。
「そんなあんた……姉さんって言っても、立派な親殺しなんに……」
そこで、女性の本音がぽろりと出たが、若葉に対して言い過ぎたと思ったのか、除霊師を前にして話しすぎたと思ったのか、女性は急に口をつぐんだ。
「わかった!!もうあんたには頼まん!!」
中年男性は、話を打ち切る様にそう言い、席を立った。
「何も、あんたに頼まんでもええわ!他の霊能者に頼めばええ!!」
そう捨て台詞を吐いて、3人は去って行った。
「……まずかったかな……でも、しょうがない、か……」
残された除霊師は、一人呟く。
商売柄、霊=金ヅルと勘違いして、能力はあるのに金だけで動く同業者がいる事を、彼女は心得ていた。
今回はちょっと、嫌な予感がする。
同業者に連絡をしたいが、なんと説明すれば良いのかわからない……
悩む彼女に訃報が届いたのは、それからしばらくしてだった。
‡‡‡‡‡‡
除霊師の不安は的中し、中年夫婦は殺された。
勿論、悪霊と言われた紅葉から解放された、若葉によって……
警察は、当時一家惨殺の犯人を若葉でなはく紅葉だと確定したのだ。
それなのに、除霊師が今更「紅葉さんは、両親を殺害した若葉さんをなんとか捕らえ様として、逆に殺されました。彼女に取り憑いているのは、これ以上若葉さんに殺人を犯させない為です」と言った所で、何が変わっただろう……
生きている若葉は、全ての者から擁護され、除霊師は非難されただろう。
紅葉の霊は、必死に訴えていた。
知っていたのに、中年夫婦を救えなかった……
なんとも言えない後味の悪さに、除霊師は唇を噛む。
「忍様、次の依頼人ですが」
「……お通しして下さい」
霊は、悪いものばかりではない。
霊が憑くのだったら、憑かれる理由も、もう少し人間に考えて貰いたいものだ━━心から、そう思った。